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2012年2月の記事

2012年2月29日 (水)

ドラマ「Mother」

現在東京で、日本テレビの15時55分から、ドラマ「Mother」の再放送をしています。
本放送は、2010年4月14日から同年6月23日の水曜22時のドラマ枠で放送されていました。
昨年春にも再放送したようですので、うがった見方をすると、ドラマDVDがそれなりに売れているのでしょうか?

あらすじは、YouTubeの番宣を見て下さい。

自分は、そのクールのドラマ、7割くらい見ますが、面白くないと、どんどん見なくなります。
3週間後には、見るドラマが3-4本くらいに絞られます。
ダメドラマは、10分でデリートしたりしますね(笑)。

このドラマ、テーマが「母性」で、しかも子どもの虐待が出て来たり、重い社会派ドラマです。
主演が12年振りと言う、松雪泰子。
妹役に、酒井若菜、倉科カナ。
松雪泰子を養子として引き取り、育てた母親に、高畑淳子。
松雪泰子を捨てた(実は捨てざるを得なかった)実母に、田中裕子。

親から虐待を受けている、芦田愛菜。
芦田愛菜を事故死に装い、松雪泰子が連れて逃げます。
芦田愛菜は、このドラマで、ブレイクしましたね。

自分は、このドラマの事前検討で、一体どうやって視聴率を取ろうとしているんだろうか?と思いましたね。
個人的感想はともかく、上記のキャスティングで、このドラマを見ようと思いますか?
逆に言うと、内容が伴わなければ、こんなドラマ誰も見なくなる訳で、その意味で期待が持てました。

もうひとつ、脚本が坂元裕二。
坂元裕二は売れっ子脚本家で、数々のヒットドラマの脚本を手掛けていますが、中でも好きなのは、「わたしたちの教科書」。
このドラマも、重たい社会はドラマですけどね(笑)。
それだけに、内容が期待出来そうという、予感がしました。

自分本当は、お気楽な娯楽ものが好きです(笑)。

テーマは「母性」で、高畑淳子が、幼い松雪泰子を施設から引き取り、育てたのも母性。
松雪泰子の実母、田中裕子の母性。
婚約者の子供を宿した、酒井若菜の母性。
酒井若菜は、おなかに宿った子供に障害があると分かると、最初おろそうとしますが、その後一転、産んで育てる事を決意します。

何と言っても、物語の中心は、実母ではない松雪泰子が、芦田愛菜の母になろうとする母性。

この内、メインとなる松雪泰子と芦田愛菜、松雪泰子と高畑淳子は、実の母子ではありません。
このドラマを見ていて、実の母子でないがゆえに切なく、むしろ母性を描き出せている皮肉。

芦田愛菜は、松雪泰子に、次第に母を感じ、慕って行ます。
実の母子ではなく、誘拐して人目を避けて逃げているだけに、芦田愛菜を小学校に入れるだけで、一苦労です。
最初は親切にしてくれていた、田中裕子が、実は松雪泰子を捨てた母親だったり、その内芦田愛菜の実母役の尾野真千子に見つかったりと、1話ごと様々な波乱がありつつ、さらに母子の絆が強くなって行きます。

ストーリーも素晴らしいですが、何と言っても出演者の演技が凄い!

「母性」というテーマだけに、女優陣演技の凄味のある事。
松雪泰子、高畑淳子、酒井若菜、倉科カナと、皆演技が素晴らしい女優さん達です。
しかし中でも、24年ぶりに民放の連続ドラマに出演したと言う田中裕子の演技は、凄過ぎます。
田中裕子は、この後NHKで放送された、「蒼穹の昴」の西太后役も素晴らしかったですね。

そして、「動物と子供にはかなわない」と言われますが、このドラマを見ると、芦田愛菜が天才子役と言われた理由がわかりますよ。
芦田愛菜は、実はこのドラマのオーディション時、年齢7歳と言う条件をクリアしていませんでした。
しかしダメもとで、オーディションを受けた際、芦田愛菜の受け答えの素晴らしさに、この役を得ました。
芦田愛菜は当時5歳、ドラマの役の小学校2年生としては、身長が低過ぎました。
逆に、親のネグレクト(子供の面倒を見ない)で栄養失調と、台本を書き変えてしまったほどです。

このドラマ、平均視聴率も10%パーセント前半で、それほど視聴率としてまあまあの当りドラマでした。
しかしYahoo!JAPANで実施された2010年春ドラマ満足度ランキング1位。
ザテレビジョン 第65回ドラマアカデミー賞で、最優秀作品賞、松雪泰子が主演女優賞、田中裕子が助演女優賞、芦田愛菜が新人賞、水田伸生が監督賞、坂元裕二が脚本賞の6冠達成。
日刊スポーツ・ドラマグランプリ、松雪泰子が主演女優賞1位、芦田愛菜が助演女優賞1位。
他、数々の賞を取りました。

実は、ストーリーの骨組みは良いとして、細部の突っ込みどころはあります。
しかしそれを補ってあまりある、女優陣の素晴らしい演技。
見て頂けると分かりますが、賞を取った事が当然とも言える、内容のドラマです。

それでも看過出来ない、このドラマの大きな突っ込みどころは、2点。

1.芦田愛菜を誘拐して逃げる動機が薄い
これ確か、当時ネットでも突っ込まれていた気がしますし、何度か後の回のセリフで、フォローしてたように思います。
芦田愛菜を誘拐して逃げるから、このドラマが始まる訳ですが、しっかりした性格と言う役の、松雪泰子に合わなく見える行動ですね。
あのくらいでは、警察に相談とか、児童相談所に相談するのが、常識の範囲内です。
合理的なストーリー展開にするには、芦田愛菜を誘拐して逃げざるを得ない、もっと切羽詰まった状況が必要ですね。

2.ラストシーンが弱い
松雪泰子は、芦田愛菜を誘拐した事で捕まり、刑期を終え出所して来ます。
施設に入っていた芦田愛菜は、松雪泰子の出所を知り、松雪泰子の元まで逃げて来ます。
しかし今度は、言い聞かせて施設に芦田愛菜を戻します。
ラストシーンは、芦田愛菜が20歳になって、松雪泰子と再会します。

いっその事、「卒業」みたいに、もう一度芦田愛菜を連れて逃げれば良いのに・・・と思いましたね。
道義的に、そんなドラマを作るのが難しい事は、理解しますけどね。
例えば、映像では松雪泰子と芦田愛菜が追い詰められ、死んだように見えますが、実は生きているかもと思える映像を最後に流す・・・とか。

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2012年2月27日 (月)

平成三強物語外伝 - ヤエノムテキ

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、平成三強の個性派脇役だった、ヤエノムテキについて書きます。
内容は多少、平成三強物語 - 1990年 天皇賞秋(GⅠ芝2000m)に、似るところもあるかも知れませんが、ご了承願います。

ヤエノムテキの父ヤマニンスキー、祖父イギリス3冠馬のニジンスキー、曽祖父大種牡馬ノーザンダンサー。
いわゆる、競馬で言うとニジンスキー系と言う血統になります。
イギリス3冠馬のニジンスキーは、競争成績でもノーザンダンサーの代表産駒と言えますし、種牡馬としても優秀な仔を多数輩出しています。

父ヤマニンスキーは、当時活躍馬が多かったニジンスキーの直仔、そして母父の系統には、底力を遺伝するバックパサーが入っています。
当時の超一流馬の母父には、バックパサーが入っている馬が多くいて、ブルードメアサイアーの王者でした。
日本で向かうところ敵なしだった、伝説の名馬マルゼンスキーは、ニジンスキー×バックパサーの血統配合です。

海外からの持ち込み馬だったヤマニンスキーは、競走馬として大きな期待を受けていたと思いますが、腰とか足が強くなく、体調万全で走れず、結局条件クラスのまま現役引退してしまいます。
良血なので、種牡馬となり、先に種牡馬としても成功していたマルゼンスキーの代替馬として、そこそこ人気がありました。

自分の勝手な印象なのですが、ニジンスキー系の一流馬は、馬体大き目、骨太筋肉質と言う印象があります。
これはニジンスキー自体も、大き目の馬体で、骨太筋肉質でした。

ヤエノムテキも500kgを少し切る、大き目の馬体で、骨太筋肉質な馬でした。
自分は、ニジンスキー系はダート走るだろうなと思っていましたが、当時JRAでダート競争に力を入れてなく、多くが芝で活躍しました。

ヤエノムテキのデビューは、3歳になってからと遅く、2月27日、阪神新馬戦ダート1700mに出走し、2着に1.1秒も離すぶっち切りの圧勝。


3月19日ヤエノムテキは、400万下条件戦中京ダート1700mに出走し、直線短い中京競馬場で、2着に2.0秒も離すぶっち切りの圧勝。
元々、他馬とは能力が違ったでしょうし、恐らくダート適性も高かったと推測します。


3月27日ヤエノムテキは、連闘で毎日杯(阪神GⅢ芝2000m)に出走しました。
ダートのレースの勝ちっぷりの高さから、一転芝のレースを試してみたのでしょうが、連闘したのは皐月賞(中山GⅠ芝2000m)に出走したかったんだと思います。
ここで2着以内に入る必要がありました。

このレースには、当時公営から転厩して、能力の高さを見せつけた、オグリキャップも出走して来ました。
レース映像は、平成三強物語 - 1988年 オグリキャップ(2)を参照願います。
ヤエノムテキは、初めての芝と言う事もあったでしょうが、オグリキャップの4着に敗れます。

通常なら、初芝、初重賞な訳で、4着は上々とも言えるのですが、この成績だと抽選を勝ち取らなければ、クラッシック第1冠目、皐月賞(中山GⅠ芝2000m)に出走出来ません。
そして運良く抽選を通り、4月17日ヤエノムテキは、皐月賞に出走しました。

クラッシック登録のないオグリキャップが出走出来ないのはしょうがないとして、出走すれば圧倒的1番人気となったであろうサッカーボーイは裂蹄から菌が入り、飛節炎となって回避しました。
混戦ムードとなりました。
この年の皐月賞は、いつもの中山競馬場改修工事のため、東京競馬場の開催でした。

1番人気は、前走スプリングS(中山GⅡ芝1800m)に勝って4勝目、成績安定しているモガミナイン。
2番人気は、朝日3歳S(中山GⅠ芝1600m)、前走弥生賞(中山GⅡ芝2000m)優賞馬、サクラチヨノオー。
3番人気は、京成杯(中山GⅢ芝1600m)優勝、前走弥生賞(中山GⅡ芝2000m)2着のトウショウマリオ。
抽選でやっと出走出来たヤエノムテキは、9番人気でした。

逃げたのはキョウシンムサシ、2番手サクラチヨノオーでしたが、アイビートウコウが向こう正面で交し、キョウシンムサシも追いかけ、先頭に並びました。
ヤエノムテキは、サクラチヨノオーのすぐ後ろに付けています。
スタートから3F(600m)は35.1、1000m通過59.8のハイペース。
3-4コーナーで、先行勢が動き出し、アイビートウコウに迫り団子状態になります。

直線向いて、インコースが空き、するするとヤエノムテキが出て来て先頭に立ちます。
サクラチヨノオーが追いかけますが、交せそうにない。
大外からディクターランドが強襲し、サクラチヨノオーを交しますが時遅し、ヤエノムテキが優勝しました。

1着 ヤエノムテキ 2:01.3
2着 ディクターランド 3/4
3着 サクラチヨノオー 1/2

ペースは早過ぎず、それでいてハイペース・・・ヤエノムテキに向いた流れでした。

ヤエノムテキ、ディクターランドとも、毎日杯で、オグリキャップに惨敗しています。
オグリキャップは、クラッシック登録がなかったので、皐月賞に出られなかっただけで、世代最強馬はオグリキャップと言う認識でした。

5月29日ヤエノムテキは、日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)に出走しました。
レース詳細は、平成三強物語外伝 - サッカーボーイを参照願います。
ヤエノムテキは、サクラチヨノオーに敗れ4着。


7月3日ヤエノムテキは、中日スポーツ賞4歳S(中京GⅢ芝1800m)に出走しました。
レース詳細は、平成三強物語外伝 - サッカーボーイを参照願います。
ヤエノムテキは、体調回復したサッカーボーイに敗れ2着。


9月11日ヤエノムテキは、古馬混合オープン特別のUHB杯(函館オープン芝1800m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、オープン2勝のトウショウサミット。
3番人気は、金鯱賞(中京GⅢ芝1800m)優賞馬、パッシングパワー。

逃げたのはパッシングパワー、2番手マイネルフリッセ、3番手ヤエノムテキ。
スタートから3F(600m)は36.4、1000m通過1分0秒8のスローペース。
ヤエノムテキは3-4コーナーで仕掛け、直線1頭だけ次元の違う脚を繰り出し、残り100mで逃げるパッシングパワーを交し、1馬身3/4離して優勝。
2着は粘ったパッシングパワー。

1着 ヤエノムテキ 1:49.4
2着 パッシングパワー 1 3/4
3着 コクサイダイヤ 3 1/2


10月16日ヤエノムテキは、京都新聞杯(京都GⅡ芝2200m)に出走します。
レース詳細につきましては、平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(2)を参照願います。
ヤエノムテキが皐月賞馬の貫録で優勝。


11月6日ヤエノムテキは、菊花賞(京都GⅠ芝3000m)に出走し
レース詳細につきましては、平成三強物語 - 1988年 菊花賞(京都GⅠ芝3000m) スーパークリーク(3)を参照願います。
ヤエノムテキは、ここまでの実績から1番人気に推されますが、抽選で出走にこぎつけたスーパークリークに敗れ、10着。


12月4日ヤエノムテキは、鳴尾記念(阪神GⅡ芝2500m)に出走します。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、前走大原S(京都オープン芝2400m)に勝った騸馬ハツシバエース。
3番人気は、前走冬特別(東京900万下芝1800m)に勝って駒を進めて来た、カゲマル。

逃げたのはダンシングジオット、2番手はダイナカーペンター、3番手ミスターシクレノン。
ヤエノムテキはハツシバエースと共に、その後に付けています。
スタートから3.5F(700m)は43.3、1100m通過1分9秒8のスローペース。

レースは淡々と流れ、3-4コーナーでは先頭グループが団子状になりました。
直線向いてダンシングジオットは後退、ダイナカーペンターが先頭に立ちます。
先団のすぐ後ろに付けていたヤエノムテキが、馬群の間から抜け、先頭に立ちます。
ダイナカーペンターはここで後退。
外からカゲマルが追って来ますが、ヤエノムテキに届きそうにもない。
インコースから、ハツシバエースが凄い脚で突っ込んで来ましたが、ヤエノムテキがハナ差抑えて優勝。

1着 ヤエノムテキ 2:33.1
2着 ハツシバエース ハナ
3着 カゲマル 1/2

ヤエノムテキはタマモクロス、オグリキャップ、サッカーボーイ、スーパークリークと空前の対決となった1988年有馬記念(中山GⅠ芝2500m)には向かいませんでした。


1989年1月22日ヤエノムテキは、日経新春杯(京都GⅡ芝2200m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、前走愛知杯(中京GⅢ芝2000m)2着のインターアニマート。
3番人気は、1987年高松宮杯(中京GⅡ芝2000m)優勝、1988年高松宮杯(中京GⅡ芝2000m)2着の、ランドヒリュウ。

逃げたのはハッピースズラン、2番手ダイナカーペンター、3番手ランドヒリュウ。
ヤエノムテキは、その後に付けています。
スタートから3F(600m)は36.6、1000m通過1分0秒6のやや遅目のペース。

向こう正面下りから先行勢が仕掛け、逃げるハッピースズランとの差を縮めて行きます。
3-4コーナーでは、ランドヒリュウ、ヤエノムテキが、ハッピースズランに手が届くところまで進出します。
直線で2番手まで進出していたランドヒリュウが、ハッピースズランの大外から差して来て、外から馬体を合わせ、ヤエノムテキも差して来ます。
ランドヒリュウはゴール100m前で、二の足を使って粘るハッピースズランを交わし、先頭に立ち、ヤエノムテキを首差押さえて優勝。

1着 ランドヒリュウ 2.14.4
2着 ヤエノムテキ クビ
3着 ハッピースズラン 1 1/2

ヤエノムテキは、前にいたランドヒリュウのペースに捉え切れませんでした。


4月2日ヤエノムテキは、産経大阪杯GⅡ(芝2000m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、前走日経新春杯(京都GⅡ芝2200m)でヤエノムテキを負かした、ランドヒリュウ。
3番人気は、前々走愛知杯(中京GⅢ芝2000m)2着のインターアニマート。

逃げたのはヒデリュウオー、2番手ゴールドシチー、3番手プレジデントシチー。
しかし1コーナーでランドヒリュウが2番手に上りました。
ヤエノムテキは、その後に付けています。
スタートから3F(600m)は36.8、1000m通過1分0秒6のスローペース。

向こう正面でヤエノムテキは、少しだけ順位を上げました。
3コーナーでゴールドシチーが仕掛け、ランドヒリュウを交わして2番手。
3-4コーナーで各馬仕掛け、先団に付けます。

直線向いて、逃げるヒデリュウオーを、ゴールドシチーが交わします。
馬場の真ん中からヤエノムテキが伸びてゴールドシチーを交わすと、後は後続を引き離す一方。
ランドヒリュウがじりじり伸びて、ゴールドシチーを交わしましたが、時遅し。
ヤエノムテキが優勝、2着はランドヒリュウ。

1着 ヤエノムテキ 2.01.4
2着 ランドヒリュウ 3 1/2
3着 ゴールドシチー 1/2


6月11日ヤエノムテキは、宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)に出走しました。
このレースは、ヤエノムテキの春の目標でした。
結果は、イナリワンの7着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1989年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m) イナリワン(7)を参照願います。

菊花賞の大敗は、距離が向かなかったのでしょうが、この宝塚記念の敗戦は、不可解なものでした。
しかし後に、ヤエノムテキは気の悪い馬で、気分良く走らないと、力を発揮しないと言う事を知ります。


夏場は休み、10月29日ヤエノムテキは、休み明けぶっつけで天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)に出走しました。
結果は、スーパークリークの4着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1989年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)を参照願います。


12月24日ヤエノムテキは、有馬記念(中山GⅠ芝2500m)に出走しました。
結果は、イナリワンの6着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1989年 有馬記念(GⅠ芝2500m)を参照願います。
平成三強に、ことごとく敗れます。

ヤエノムテキは、例年ならば、結構な実力馬だったと思いますが、平成三強には歯が立ちませんでした。
ヤエノムテキにとって平成三強は、悪夢のようだったでしょうね。


明けて1990年1月21日ヤエノムテキは、日経新春杯(京都GⅡ芝2200m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、1989年天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)2着のミスターシクレノン。
3番人気は、1989年きさらぎ賞(京都GⅢ芝1800m)優勝のナイスナイスナイス。

逃げたのはラッキーゲラン、2番手トーワトリプル、3番手外からナイスナイスナイスでしたが、すぐにモガミナインが交わして上りました。
ヤエノムテキはその後に付けました。
スタートから3F(600m)は37.0、1000m通過1分1秒3のスローペース。

3-4コーナーで各馬仕掛け、ヤエノムテキも少し上って行きました。
直線向いて、2番手のトーワトリプルが差して、ラッキーゲランを交わして先頭に立ちます。
ヤエノムテキが外から差して来ますが、バテないトーワトリプルを交わせそうにない。
大外からハツシバエースが、凄い足で突っ込んで来ました。
ヤエノムテキが、トーワトリプルに3/4馬身まで近づいたところがゴール。
トーワトリプルが優勝、2着はヤエノムテキ。

1着 トーワトリプル 2.15.0
2着 ヤエノムテキ 3/4
3着 ハツシバエース クビ


ヤエノムテキの今年の目標の1つを安田記念(東京GⅠ芝1600m)としました。
2月25日ヤエノムテキは、読売マイラーズC(京都GⅡ芝1600m)に出走しました。
馬場状態は重馬場。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、1989年スプリングS(中山GⅡ芝1800m)、前走仁川短距離S(阪神オープン芝1200m)優勝のナルシスノワール。
3番人気は、昨年の優勝馬で、前走CBC賞(中京GⅢ芝1200m)優勝のミスティックスター。

逃げたのはエーコーシーザー、2番手ナルシスノワール、3番手外からミスティックスター 。
ヤエノムテキは後方に付けました。
スタートから3F(600m)は35.0、1000m通過59.2の重馬場としては速目のペース。

直線向くと先行勢が崩れ、中団からメジロワース、ヤエノムテキが差して来ます。
メジロワースの脚色に、ヤエノムテキは差せそうにもなく、さらに後方からスカイジャイアントが突っ込んで来ました。
メジロワースが優勝、2着はスカイジャイアント。

1着 メジロワース 1.36.6
2着 スカイジャイアント 1/2
3着 ヤエノムテキ クビ

ヤエノムテキは3着に敗れはしましたが、着差はわずかで、可能性を感じさせました。


4月1日ヤエノムテキは、産経大阪杯GⅡ(芝2000m)に出走しました。に出走しました。
結果は、スーパークリークの3着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 産經大阪杯(阪神GⅡ芝2000m)を参照願います。


5月13日ヤエノムテキは、安田記念(東京GⅠ芝1600m)に出走しました。
結果は、オグリキャップの2着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 安田記念(GⅠ芝1600m)を参照願います。


6月10日ヤエノムテキは、宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)に出走しました。
結果は、オサイチジョージの3着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)を参照願います。


夏シーズンは休養し、10月28日ヤエノムテキは、休み明けぶっつけで天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)に出走しました。
平成三強のイナリワン、スーパークリークは脚部不安による回避。
そしてその後、そのままターフに姿を現す事なく、引退しました。
このレースには平成三強の一番人気、オグリキャップが休み明けぶっつけで出走しました。
結果は、まるで皐月賞(中山GⅠ芝2000m)の再現を見るかのような走りで、ヤエノムテキ優勝。
初めてオグリキャップに対して先着し、溜飲を下げました。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)を参照願います。


11月25日ヤエノムテキは、ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)に出走しました。
結果は、ベタールースンアップの6着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)を参照願います。


12月23日ヤエノムテキは、有馬記念(中山GⅠ芝2500m)に出走しました。
結果は、オグリキャップの7着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)を参照願います。
ヤエノムテキはこのレースで、オグリキャップと共に引退しました。


ヤエノムテキは種牡馬となり、1991年に5億のシンジケートが組まれましたが、あまり人気がなく、産駒もさほど活躍せず、1996年シンジケート解散。
それでも2010年まで種牡馬として繋養され、その後功労馬として日高スタリオンステーションで功労馬として余生を送っています。

種牡馬として成功しなかったのは、サンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイム等、海外からの種牡馬が大活躍したと言うのがあります。
優秀な産駒を出すのに、良質の繁殖牝馬も不可欠な要素ですが、ヤエノムテキのような内国産馬には、良質の繁殖牝馬との交配の機会はありませんでした。
この頃に種牡馬になった馬にとって、サンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイムは、悪夢のような凄さでしたからね。

もう1つは、スローペースのスピード勝負の競馬が多くなり、スピード不足の血統は、ことごとく活躍しませんでした。
ニジンスキー系は、ハイペースで最後の底力があるタイプが多くて、直線3F(600m)が34秒より速い切れ味を要求されるレースには、向きませんでした。

次回は、平成三強物語外伝として、タマモクロスについて書きます。

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2012年2月23日 (木)

ビルマ決戦記(2) / 越智春海


第一章 連合軍反攻開始

書かれている内容は、第一次第二次アキャブ戦、モール要塞戦(ロングクロス作戦)、フーコン谷の激戦について書かれています。
この中で、第一次第二次アキャブ戦について、詳しく知りたかったのですが、記録が残っていないのか、詳しく書かれていませんね。
第一次アキャブ戦は、後退した日本軍に対する連合軍の攻撃で、結局連合軍は撤退するが、一時は包囲された部隊が全滅の危機でした。

第二次アキャブ戦は、悪名高きインパール作戦の支作戦で、インパール作戦に先立ち、はるか南部のアキャブで攻勢に出る事で、少しでも連合軍を引き付ける目的の作戦です。
攻勢に出て、敵を包囲しますが、連合軍が数と物量に物を言わせ、全集防御したために、包囲した日本軍の攻撃の方が再三撃退され、損害続出して、最終的に撤退しました。
この本では、桜井省三少将の進言で、戦上手の花谷正中将が決断して撤退の英断をしたかのように書かれていますが、これは間違えです。
現実には現場指揮官の棚橋真作大佐が、作戦期間中(18日)補給もなく、花谷正中将の命令を遂行すると、部隊が全滅してしまうため、独断で撤退しました。
花谷正中将は、当時の大本営には戦上手と思われていましたが、現在の評価では戦下手の上、兵隊を殴る、自決を強要するなど、パワハラの異常者に過ぎません。

モール要塞戦、フーコン谷の激戦は、様々な著作、手記があります。


第二章 インパール作戦

悪名高き、インパール作戦の内容については、こちらを参照願います。
『林』軍司令官だった、牟田口中将は、補給を無視した作戦を立て、作戦期間中約4ヶ月間、ほぼ無補給で、配下部隊を督戦します。
ぶっちゃけて言うと、飯もなく(作戦期間4ヶ月に対し携行食料20日分)、砲弾も銃弾もなく、攻撃命令ばかり唱えていた訳で、これがいかに常識外れな事かお分かり頂けると思います。
しかも進撃路は、3,000m級の峻険な、道がほとんどない山岳地。武器弾薬や携行食料を目いっぱい持つと、装備重量は30kgから60kgにもなったそうです。

普通の人なら、平地で、30kgの荷物を持って、300kmくらいの距離を約1か月徒歩行軍するだけで、めげてしまうのではないでしょうか?
しかもインパールにたどり着いて、お終いではなく、そこから戦闘して、敵の堅固な陣を突破、占領する事が作戦目的なのです。

インパール作戦について書かれた著作は多く、本書に新しい事実は書かれていませんでした。
しかし、面白いなと思ったのが、著者がインパール作戦の実施が、東条英機首相の首相延命策で実施したのではないかと言う推理です。
他にこんな考えの人はいるのでしょうか?
自分は今まで、考えた事もありませんでしたが、あり得る話だと思います。

東条英機は、事務屋の軍人で、彼が携わった数少ない作戦は、成功したものの見るべきものがない、下手な戦でした。
東条英機はこの時、内閣総理大臣、陸軍大臣、参謀総長を兼務していました。
インパール作戦は、補給を無視した、世界戦史上例を見ない稚拙な作戦で、直接参加兵力『林』軍9万が壊滅しました。
ひいては、ビルマに当時いた約20万の日本軍が、総崩れする引き金となりました。

現場の実情を知らない事業計画が、ロクな事にならないのは、会社と一緒ですね。


第三章 『昆』軍の奮闘

『昆』軍とは、日本軍最強師団と言われた18師団『菊』、同じく最強と言われた56師団『龍』を中心とした舞台で、日本軍の編成では軍となっていますが、他国なら軍団と言う規模です。
『昆』軍のミートキーナ戦、拉孟戦、騰越戦、平戞戦について書かれています。

先にインパール作戦で壊滅した『林』軍が、安全なところまで後退するまで、『昆』軍は実質2個師団4万人くらいで、数百キロを側衛した訳です。
ビルマ作戦のクライマックスとも言うべき、人智を超えた激闘です。
この時の『昆』軍の激闘は、かの有名な日系人部隊米100大隊、442連隊を遙かに上回る戦闘振りで、それに比べこの部隊参加者が、100大隊、442連隊ほどスポットライトが当たらず、日本で知る者が少ないのは、残念な事です。

この戦闘で、『昆』軍は大損害を被ります。
前線で戦った兵士は賞賛に値しますが、激闘になったのは日本軍の下手な戦がゆえです。

ミートキーナ、拉孟戦、騰越戦の日本軍の激闘を、対戦した印支軍(中国インド派遣軍)に蒋介石が、「拉猛において、騰越において、またミートキーナにおいて、日本軍が発揮した勇戦健闘ぶりを見よ。」と声明したのは、逆感状と呼ばれています。
また終戦後、『菊』が強力でタフな部隊だった事から、こんな部隊がイギリスにもあったら・・・とうらやまれたそうです。

本書で、越智春海が辻政信中佐を作戦の天才と称揚していますが、それについては自分は疑問に思います。
辻政信は、ノモンハンで下手な戦をやらかし左遷されますが、その後大本営作戦課参謀に栄転し、開戦時のマレー戦で活躍(これについても様々疑問あり)し、作戦の神様と言われました。
その後ポートモレスビー戦で、ガダルカナル戦で下手な戦を繰り返し、東条英機と喧嘩し、ビルマ軍の参謀に飛ばされました。

田中稔著「死守命令―ビルマ戦線「菊兵団」死闘の記録」に、ビルマの戦闘で、辻政信が偵察をろくにやらず、突撃命令を出したため、その部隊が大損害を被って作戦失敗した事が書かれています。
相も変わらず、ビルマで下手な戦を繰り返しています。
田中稔は、辻政信が作戦の神様と言われていた事を、信じられないと書いています。
参謀本部内では有能だったようですが、旧日本軍は、辻政信が優秀に見えてしまう程度の、将校団だっただけではないでしょうか?

ちなみに、戦後辻政信は、自身の手記を出版して、ベストセラーとなった作家でもありますが、自分の都合の良いように事実をねじ曲げ、また嘘を書き、歴史資料としての価値はないと言われています。
ミートキーナ戦での、謎の水上少将死守命令は、本書を読むと、ミートキーナ守備隊主力、丸山連隊長が、『昆』軍の参謀だった辻政信と同期だったためとも読めますね。


第四章 崩れ行く日本軍

ここからビルマの日本軍は、総崩れで終戦まで後退に後退を重ねます。
実はこの先の戦史を詳しく書いた書籍は、多くありません。
その意味では、その先のビルマ戦の流れを書いた本書は、ある意味貴重と言えます。

ビルマ方面軍司令官が、河辺中将から木村兵太郎中将に代わります。
牟田口中将の上官、河辺中将は、インパール作戦の責任を取って交代させるべきでしょうが、実は何の非もとがめられず、中部防衛司令官に異動し、その後大将に昇進し、航空総軍司令官、陸軍航空本部長を歴任します。
河辺中将は、陸軍大学の成績も良かったのでしょうね。
エリートコースを歩み、出世順位も高かったのでしょうが、軍務でリーダーシップを発揮した事はなく、戦争中も大過なく過ごしただけのようですね。
部下は、屍の山を築いていたと言うのに、いい気なものです。

新司令官、木村兵太郎中将は、東条英機の信認が厚かった人で、東条英機の失脚の後、ビルマ方面軍に飛ばされて来た、事務屋の将軍です。
東条英機の信認が厚かった木村兵太郎も、フィリピンに行った富永恭次中将も、東条英機の失脚の後、前戦に出され、両者とも後に敵前逃亡します。
木村兵太郎中将は、大本営参謀本部第1部長だった田中新一を、大本営から追い出す事を画策したと言われていますが、皮肉にもビルマ方面軍の参謀長は、田中新一中将が任命されます。

ビルマ方面軍の参謀も、総入れ替えになったそうですが、実戦を知る者はいなかったようです。
ビルマ方面軍の上位組織、南方総軍から指導を受けた通りに、机上の作戦計画、「盤作戦」を立案します。
当時、1個師団(2万人弱)の守備範囲は、定数の師団で6kmと言われていたと、何かの本で読んだ事があります。
この作戦の杜撰(ずさん)さは、例えば壊滅状態の『林』軍3個師団(推定1.5万弱)に、200kmの範囲を守備させ、かつ制空権があり、兵力も装備も格段に優勢な、連合軍を攻撃する計画なのです。

この作戦立案は、陸軍で優秀と目されていた、田中新一中将の立案です。
ちなみに、日本軍のほとんどは歩兵なのに対し、イギリス軍は歩兵ですらある程度自動車化され、戦車を先頭に攻撃しているのです。
作戦立案時に、敵に追い立てられ行方不明の部隊が多くあり、各部隊大損害を受けていて補給もなく、銃すら持っていない兵士多数だったのです。
何を基準に、作戦を立てたのでしょうか?
田中新一中将は、元大本営参謀本部第1部・・・太平洋戦争の前半の戦争の作戦指導をして来た人です。

例えば、会社で言うと、現場を無視して、数字ありきで策定したプロジェクトとか、事業・・・みたいなものだと思って下さい。
そんなクソプロジェクトなんて、やりたくもありませんが、仕事で人は死にません。しかし、戦争で人は死にます。

当然、こんな作戦は成功するはずもなく、命令を守って攻撃しますが、すぐに頓挫。
その後、守るのもおぼつかず、血で血を争いながら、圧迫されて行きます。
そうこうしている内、穴だらけの戦線をすり抜けて、機械化された大部隊が戦線後方のメイクテーラになだれ込み、占領してしまいます。
この部隊を軽視したビルマ方面軍は、1個連隊(約2千人)を攻撃に差し向けますが、焼け石に水で、すぐに大損害を受け消滅。
ビルマ方面軍司令部がある、ラングーンまで遮るものはありせん。

まだ、命の危険にさらされている訳ではありませんが、ここで木村兵太郎中将以下、ビルマ方面軍幕僚がラングーンから敵前逃亡します。
せめて、撤退命令でも出してから逃げれば良いのに、そのまま逃亡するから、四分五裂になった日本軍は、ビルマ方面軍が逃亡先で連絡がつくようになるまでの1週間以上に渡り、退くに退けず、死傷者続出します。
ビルマ方面軍の逃亡が、直接原因ではありませんが、この時期から雨季で増水したシッタン川の渡河作戦にかけて、最も多くの死傷者が出ます。

ビルマ方面軍の兵士は、そのまま終戦まで、タイ国境近くまで追い立てられ、終戦を迎えます。

越智春海は、河辺中将の頃もビルマ方面軍の作戦も非難していますが、木村兵太郎中将に代わってからの、ビルマ方面軍の作戦については、それはもう辛辣に批判しています。
越智春海に限らず、ビルマ方面軍の逃亡は、現在でも弁護する人が誰もいないくらい、ボロクソに言われています。

本書に書かれたビルマ作戦の全期間に言える事ですが、敵を下算し、積極作戦の旗印に、あたら勇敢な兵士を死に追いやり、司令官も、作戦立案した参謀も、作戦を失敗した責任を取りません。
戦場の兵士は、超人的な活躍をしますが、下手な作戦が故に屍の山を築きます。

果たしてこれは、太平洋戦争だけにとどまる話なのでしょうか?
現在のどこかの会社の、無謀なプロジェクトや事業に、似たような事が起こっても、驚きません。

ビルマ戦役全体を通して、約30万人(大部分陸軍)の兵士がビルマにいて、日本に帰還出来たのは、わずか12万人。
「将、功ならずして、万骨枯る」と言うには、あまりに多くの若者が亡くなりました。
自分は、戦争のない平和な時代に生まれて、本当に良かったと思います。

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2012年2月21日 (火)

ビルマ決戦記(1) / 越智春海

このブログ初の、戦記物の読書レビューです。
実は自分、かなり戦記物は読みます。

戦記物を読むきっかけは、小学校3年の頃親にねだって買ってもらった、タミヤのタイガー(ティーゲル)戦車のプラモデルです。
それ以来、楽器と出会う中学2年まで、自分の小遣いは、プラモデルに消えました。
時によって、戦車ばかりでなく、飛行機や船にもハマりました。
しかし、地上兵器は結構凝って、中学の時にはミニジオラマも作って、飾っていましたね。

プラモデル作りに平行して、その背景としての戦記を読むようになり、プラモデル造りは卒業しましたが、戦記は今だに読んでいます。
戦記は、特に体験記なんかを読めば読むほど、絶対に軍隊にも入りたくないし、戦場にも行きたくないですね。

日本は、勝てるはずのない太平洋戦争ですが、その上さらに下手な戦(いくさ)をして、多くの死傷者を出しました。
太平洋戦争での、軍隊の戦死者がおよそ174万人、民間人を含めると213万人も死んでいます。
それに対して、アメリカの戦死者は9万人、イギリス8万人。
結果論と言われるかも知れませんが、単純な、戦死者数の比でも、下手な戦(いくさ)と言わざるを得ないですよね。

ちなみに、第二次大戦ヨーロッパの場合はと言うと、ドイツの軍人の戦死者が325万人、イタリア38万人、旧ソ連611万人、イギリス36万人、アメリカ45万人、フランス24万人。
ドイツ、イタリアの合計が363万人、旧ソ連、イギリス、アメリカ、フランスの合計が714万人。
どう言い訳しても、日本が戦下手な事は、お分かり頂けますでしょうか?

戦記物を読む際に、注意する事は・・・戦記物に限りませんけどね、書かれている事が、必ずしも事実だと信じないで読む事です。
善意で言うと、執筆者の誤解、記述ミスがありますし、悪く言うと執筆者によっては、事実の曲解は可愛い方で、ぶっちゃけウソを書いている事です。

これは上級指揮官の手によるものである場合、特に顕著に曲解やウソが多いです。
そして太平洋戦争の公刊戦史とも言うべき、「戦史叢書」でも、執筆者やインタービューした相手が上級指揮者で、どこまで真実なものやら。

どうして、曲解やウソが多いのか?「戦史叢書」では、下手な戦(いくさ)をした本人にインタビューしていまして、下手な戦(いくさ)でしたと認める潔い人が、どれくらいいるのか、考えれば分かる事でしょう。

では、書かれた事をどうやって、真実かどうか見分けるのか?
これも、戦記物には限りませんが、なるべく多くの関連書籍を付き合わせ、クロスチェックする以外に方法はありません。
しかしその際に、全ての書籍が、等しく「戦史叢書」を引用していたら、目も当てられませんけどね。

さて、ビルマ決戦記のレビューに入りましょう。
著者の越智春海は、太平洋戦争中、軍人でしたが、地獄のビルマ(現ミャンマー)戦の従軍者ではありません。
「ジャワは天国、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と当時言われたそうですが、第5師団の将校として、東ニューギニア戦の初期に、比較的平穏なウエワク、マダン付近にいて、激戦になる前にニューギニアを離れ、平穏なセラム島に駐留していたそうです。

当時日本と中国(蒋介石率いる中華民国)と戦争をしていまして、中国を支援していた連合国側からの補給路が4つありました。
香港ルート、ベトナムルート、ビルマルート、シルクロードルート。
シルクロードルートは、ソ連からの援助で、1941年に独ソ戦が始まって以来、ソ連からの援助は途絶えました。
ベトナムルートは1940年9月、日本軍の仏印進駐で途絶え、香港ルートは、太平洋戦争の開始後日本陸軍が攻撃し、1941年12月末には香港を占領しました。
この仏印進駐が、太平洋戦争の遠因と言われていますね。

1941年12月8日、太平洋戦争発生後、陸軍の作戦で、ビルマから中国への補給ルート切断し、中国を屈服させるため、1942年4月にビルマを占領しました。
これにより、ビルマルートで、中国を支援する事が出来なくなり、当初は空路から、後に人跡未踏のジャングルを切り開いた、レド公路が作られ、新たな中国への補給路となりました。

このビルマ決戦記は、日本軍のビルマ侵攻後、1942年秋以降のビルマの戦闘について、終戦までの流れをカバーしています。

実は、自分の知る限り、この頃のビルマ戦全体をカバーした作品は、「戦史叢書」の前に公刊戦記扱いだった服部卓四郎著「大東亜戦争全史」しかありませんでした。
その意味で、貴重だなと思い、購入して読みました。
ちなみに自分、「戦史叢書」は持っていませんが、「大東亜戦争全史」は持っています。
ビルマ戦に参加した兵士の手記も、他の戦域に比べ豊富で、自分は可能な限り目を通しています。

本書を読んで気が着いたのですが、作者越智春海氏が、本書を書くにあたり参考にしたのは、「戦史叢書」や「大東亜戦争全史」、「中国ビルマ戦記」、「回想ビルマ作戦」あたりがメインと思われます。
戦史叢書」は、東京都の大きな図書館(例えば東京都立図書館とか国会図書館とか)に行けば見れますが、個人購入するのは現在では困難です。
大東亜戦争全史」、「中国ビルマ戦記」は、中古のみ入手出来ます。
回想ビルマ作戦」は、新館で入手可能です。

これらのいずれの本も、ビルマ作戦では引用される定番の著作なのですが、簡単に信用ならないと言うのは、前述の通りです。

これらの資料を参考にして書くなら、自分でも書ける訳で、そこに元軍人、越智春海の軍隊経験を加味して書いています。
しかも面白い事に、元陸軍軍人でありながら、下手な作戦とか、ダメな司令部(または司令官)をこっぴどく批難して書いています。
これは、他の旧日本陸軍の元軍人の著作にはない特徴です。

これらは他人事ではなく、会社組織は、軍隊を参考に作られておりますので、会社組織に例えて読むと、現在でも心に突き刺さる事が多々あります。
会社の仕事で人は死にませんが、戦場では人が死にます。

読んだ結論から言うと、越智春海の視点については、面白いなと思いました。
当たり前ですが、自分には軍隊経験はないですからね。
しかし、目にする事が可能な本を元に書いているので、自分にとって目新しい情報はありませんでした。

次回は、本書の各章について、思うところを書きます。

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2012年2月19日 (日)

2012年 フェブラリーステークス:結果

2月19日は、4歳以上ダートGⅠレース、フェブラリーステークス(東京ダ1600m)が行われました。

①テスタマッタ 1:35.4
②シルクフォーチュン 2
③ワンダーアキュート 3/4

勝利の女神は、最善をつくした者にのみ、微笑むのでしょうね。
人は、何かを行うにあたり、悩んだり迷ったりしますが、思い切りの良さと、少しの幸運があれば、道が開ける事があります。

トランセンドが追っ付けて、逃げようとしているのに、セイクリムズンが好スタートから、鼻を譲らず。
あのトランセンドが、2番手にすら付けられません。
もしくは、エスポワールシチーが逃げるかとも思っていましたが、エスポワールシチーもやっと先行出来ていると言う超ハイペース。
スタートからの3Fが、34.7秒・・・安田記念ですか!

トランセンドはこれを追走し、あまつさえ行きたがり、4コーナー手前で上がって行くと言う、スムーズさを欠いた競馬でした。
虎視眈々と優勝を狙う、エスポワールシチーも先行、2番人気のワンダーアキュートも、後ろからでは届かないと、トランセンドをマークする乗り方。

ハイペースに先団は総崩れし、4コーナーで後方にいたテスタマッタが良い脚で伸び、直線疲れて、歩いている馬を尻目に、まとめて交わした・・・そんなレースでした。
2着のシルクフォーチュンは、テスタマッタの後ろを追走して、テスタマッタを差すような脚は、使えませんでしたが、それでも良い脚を使いました。
3着のワンダーアキュートは、あるいはよくやるように、後方待機に徹していれば、どうなったでしょう?
4着のダノンカモンも、後方から良く伸びて来ましたが、伸び脚と最後の根性が劣りました。

テスタマッタは、悪いスタートではありませんでしたが、先行争いを尻目に、後方で自分の競馬に徹しましたね。
いつもなら、トランセンドに勝つには、後方一気では無理なのですが、これで負けたらしょうがないと言う心境だったのでは、ないでしょうか?
この思い切った乗り方をしたからこそ、有力馬は前にいて脚をなくしたのに対し、テスタマッタが最後伸びて、千切ったんだと思います。

勝利ジョッキーインタビューで、岩田騎手は、スタートからリラックスさせて乗ったと語りました。
逆な言い方をすれば、スタート直後から力む、気の悪い馬で、乗り方が難しい馬と言う事なんだと思います。

正直、こんな競馬になるとは、つゆほども思いませんでした。
レースの上がり3Fは、36.7秒、典型的な上がりのかかる競馬で、差し追い込み有利でしたね。

競馬は難しい・・・

現在の収支:-553,000

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2012年2月18日 (土)

2012年 フェブラリーステークス

2月19日は、4歳以上ダートGⅠレース、フェブラリーステークス(東京ダ1600m)が行われます。

1-1 ナイキマドリード(牡6、戸崎圭太、船橋・川島正行)
1-2 タガノロックオン(牡4、田辺裕信、栗・松田博資)
2-3 シルクフォーチュン(牡6、藤岡康太、栗・藤沢則雄)
2-4 スマイルジャック(牡7、丸山元気、美・小桧山悟)
3-5 ヒラボクワイルド(牡6、幸英明、栗・大久保龍志)
3-6 ケイアイテンジン(牡6、後藤浩輝、栗・白井寿昭)
4-7 ヤマニンキングリー(牡7、C.デムーロ、栗・河内洋)
4-8 セイクリムズン(牡6、吉田隼人、栗・服部利之)
5-9 エスポワールシチー(牡7、武豊、栗・安達昭夫)
5-10 ワンダーアキュート(牡6、和田 竜二、栗・佐藤正雄)
6-11 ダノンカモン(牡6、福永祐一、栗・池江泰寿)
6-12 ライブコンサート(セン8、蛯名 正義、栗・白井寿昭)
7-13 グランプリボス(牡4、内田博幸、栗・矢作芳人)
7-14 トウショウカズン(牡5、川田将雅、栗・領家政蔵)
8-15 トランセンド(牡6、藤田伸二、栗・安田隆行)
8-16 テスタマッタ(牡6、岩田康誠、栗・村山明)

このレース、昨年もデータをやってませんね。
フェブラリーステークスは、毎年軸になる中心馬がいる事が多いので、あまりデータは考えないんですよ。

逃げるのは、内枠を利してケイアイテンジン、またはエスポワールシチー、トランセンドあたりでしょう。
エスポワールシチーは、昨年の南部杯で、オーバーペースで逃げ、4着に沈みました。
ハナには、こだわらないかも知れませんね。

競馬に絶対はありませんが、ダートGⅠで好走していて、順調にきているのは以下4頭です。

2-3 シルクフォーチュン(牡6、藤岡康太、栗・藤沢則雄)
5-9 エスポワールシチー(牡7、武豊、栗・安達昭夫)
5-10 ワンダーアキュート(牡6、和田 竜二、栗・佐藤正雄)
8-15 トランセンド(牡6、藤田伸二、栗・安田隆行)

この中で、シルクフォーチュンは、ダ1600mで最高3着。
昨年の南部杯で、エスポワールシチーに先着していますが、エスポワールシチーは休み明けでした。
シルクフォーチュンを切ります。

ドバイWC出走予定のトランセンドは、ここでは負けられませんね。
昨年JCDを勝った後も、放牧せず、乗り込んでいました。
トランセンド1着、エスポワールシチーは武がうまく乗って2着、後から毎回良い脚を使うワンダーアキュート3着を本線にします。

人気の3頭なので、オッズは付きませんが、ここで勝負しなくて、どこで勝負するんだ!と思います。

3連単 15-9-10 100,000
   15-10-9 10,000

自信は、いつもよりはあります。

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2012年2月16日 (木)

平成三強物語 - 1988 オグリキャップ(2)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

最初にこのページを読む前に、平成三強物語 - 1987年-1988年 オグリキャップ(1)を一読願います。

今回は、オグリキャップの3歳JRAデビューから、夏までについて書きます。

1988年3月6日オグリキャップは、中央競馬に移籍して、ペガサスS(阪神GⅢ芝1600m)初出走しました。

1番人気は、4連勝中で、シンザン記念(京都GⅢ芝1600m)を勝っている、出走馬中唯一のJRA重賞ウィナー、ラガーブラック。
2番人気は、オグリキャップ。
地方競馬で、12戦10勝2着2回、内1勝は芝の勝利で、芝もダートも圧勝ばかりでしたが、公営馬と言う事で軽んじられ、1番人気にはなりませんでした。
当時は、中央競馬と地方競馬の交流は少なく、地方競馬に偏見を持っている人が多かったです。
地方競馬への偏見は、現在もですけどね。
それでも2番人気と言うのは、もしや・・・と思う人が多かったんでしょう。
3番人気は、ダートではありましたが、新馬、400万下条件戦2戦2勝のワンダーテイオー。
他の出走メンバーには、この時点では人気はありませんでしたが、後に重賞ウィナーとなる、グレートモンテ、インターアニマートも出走しています。

逃げたのはホリノライデン、2番手グレートモンテ、3番手ラガーブラック。
オグリキャップは、当初後ろから3番手につけました。
スタートから3F(600m)のタイム35.4、1000m通過が59.1と平均ペース。
先団グループは一団となり、入れ替わりました。

オグリキャップは、3-4コーナーで先団に上ります。
4コーナーから直線向いて、逃げたアグネスカノーバの外からオグリキャップが仕掛けると、ケタ違いの脚色を繰り出します。
残り200mでオグリキャップが先頭に立つと、後続を置き去りにします。
馬群からラガーブラックが上って来ますが、3馬身差離された2着まで。
オグリキャップは、ゴール前は手綱を緩める余裕の楽勝。

1着 オグリキャップ 1.35.6
2着 ラガーブラック 3
3着 マチカネイトハン 1 1/4

直線からの模様が、映像にあります。


3月27日オグリキャップは、毎日杯(阪神GⅢ芝2000m)に出走しました。
1番人気は、前走ペガサスS(阪神GⅢ芝1600m)楽勝のオグリキャップ。
2番人気は、きさらぎ賞GⅢを2着したファンドリデクター。
3番人気は、函館3歳S GⅢ芝1200m(現函館2歳S)を勝った後、休養していたディクターランド。
ついでに4番人気は、新馬、400万下を連勝中のヤエノムテキ。
他には、きさらぎ賞GⅢを勝ったマイネルフリッセ、後に重賞を勝つホリノライデン、グレートモンテ、インターアニマートも出走しています。

逃げたのはホリノライデンでしたが、1コーナー過ぎにグレートモンテに交わされます。
3番手はディクターランド。
オグリキャップは、後方に付けました。
スタートからの3F(600m)は36.2、1000m通過が1分0秒9と、平均ペースからやや遅目。

オグリキャップは前走同様、3-4コーナーで先団に上ります。
重上手なのか、直線抜け出したファンドリデクターの脚色が良いですが、オグリキャップも良く伸びて来ます。
前走ほどの切れ味はありませんでしたが、オグリキャップが粘るファンドリデクターを、首差交してゴール。

1着 オグリキャップ 2.04.8
2着 ファンドリデクター クビ
3着 インターアニマート 3 1/2身

ちなみにこのレース4着のヤエノムテキが、次走の皐月賞GⅠ芝2000m優勝、7着に敗れたディクターランドが皐月賞を2着しました。

クラッシック登録のないオグリキャップは、皐月賞、ダービー、菊花賞の3冠には、出走出来ませんでした。
現在なら、高い追加登録料を払えば出走できるよう、規定が変わったんですけどね
規定が変わったのは、オグリキャップの存在も、1つの原因です。

5月8日オグリキャップは、京都4歳特別(京都GⅢ芝2000m)に出走しました。
現在この京都4歳特別と言うレースはなく、代わって秋に開催していた京都新聞杯が、この時期に移設されていますね。
京都4歳特別は本来、ダービトライアルではないものの、ここで賞金を加算して、ダービの出走権を取る位置づけのレースです。

1番人気は、オグリキャップ。
2番人気は、シンザン記念(京都GⅢ芝1600m)優勝勝で、ペガサスS(阪神GⅢ芝1600m)はオグリキャップの2着、皐月賞(中山GⅠ芝2000m)9着のラガーブラック。
3番人気は、シンザン記念(京都GⅢ芝1600m)4着の後、休養明けのマグマアロー。

このレースには他に、きさらぎ賞GⅢを勝ったマイネルフリッセ、後に重賞を勝つエーコーシーザーも出走しています。
オグリキャップは、主戦ジョッキーの河内騎手が、東京競馬場のダービトライアルNHK杯GⅡ芝2000mに出走するサッカーボーイに乗るために、南井騎手が代役で騎乗しました。

逃げたのはエーコーシーザー、2番手アルピガ、3番手パワーウイナー。
オグリキャップは、中段より後方に付けます。
スタートからの3F(600m)は36.5、1000m通過が1分1秒2と遅いですが、これは今日と競馬場の馬場が荒れていたため。
この馬場では、平均ペースくらい。

オグリキャップは向こう正面から早仕掛け気味に上がって行き、3-4コナーで馬込みに突っ込みます。
直線向くと運よく前が空き、南井騎手が軽く追ったら先頭に立ち、後方を大きく突き放します。
そのまま差を広げ、5馬身差大楽勝。
2着に人気薄のコウエイスパート、3着も人気薄フミノアチーブ。

1着 オグリキャップ 2.03.6
2着 コウエイスパート 5
3着 フミノアチーブ 3 1/2身


6月5日オグリキャップは、ニュージーランドT4歳S(東京GⅡ芝1600m)に出走しました。
当時は、NHKマイルC(東京GⅠ芝1600m)もなく、クラッシックに出走出来ない外国産馬等が目指す、最大のレースでした。

1番人気は、オグリキャップ。
2番人気は、前走400万下条件戦を2馬身1/2千切って勝ったトマム。
3番人気は、前走菖蒲特別(東京オープン芝1400m)2着のリンドホシ。
他には、この後秋に重賞を勝つヤエノダイヤ、札幌3歳S GⅢ芝1200m勝ち馬ミヨノスピード、後に重賞を勝つマキバサイクロン、バレロッソ、アイビートウコウも出走しています。
オグリキャップの鞍上は、主戦河内騎手が復帰。

逃げたのはアイビートウコウ、2番手ハヤブサモン、3番手ダイワダグラス。
オグリキャップは最初、後方に付けました。
スタートからの3F(600m)は34.0、1000m通過が58.1の、3歳馬にしてはかなりのハイペース。

オグリキャップは、道中徐々に中団に進出し、3-4コーナーでは、前目に先団に取り付きます。
4コーナー回り、直線向く頃には4番手。
直線の長い東京競馬場、早仕掛けかと思いきや杞憂で、直線向くとと、馬なりで上って行きました。
手綱を押さえたまま、スピードの違いで先頭に押し出されます。
ハイペースに、他馬は懸命に追いますが、全く伸びません。
残り300mでちょっと気合を入れると、後方を突き離し、後は手綱を押さえても、7馬身差大楽勝。
2着リンドホシ、3着トマム。

1着 オグリキャップ 1.34.0
2着 リンドホシ 7
3着 トマム 3/4

時計がビックリで、当時の3歳にしては破格の1分34秒0。
この当時、GⅠ2勝しているニッポーテイオーが、日本最強マイラーと思われてました。
ニッポーテイオーが、3週間前に勝った同コース同距離の、安田記念GⅠ芝1600mの勝ちタイムより、オグリキャップのニュージーランドT4歳Sは、0.2妙速いタイムなのです。
オグリキャップを追っていたら、1分33秒台のタイムだったでしょうね。

オグリキャップのニュージーランドT4歳Sは、オグリキャップの伝説のレースの1つです。

7月10日オグリキャップは、高松宮杯(中京GⅡ芝2000m)に出走しました。
このレースも、走れるレースが少ない外国産馬等が目指すレースでした。
3歳のオグリキャップには、初の古馬との対戦です。

1番人気は、オグリキャップ。
2番人気は、前年の高松宮杯優勝馬で、重賞2勝馬の強豪ランドヒリュウ。
3番人気は、1987年朝日チャレンジC(阪神GⅢ芝2000m)優勝馬で、前走の金鯱賞(中京GⅢ芝1800m)2着他、重賞の2着が計3回あるプレジデントシチー。
他にはオークス(東京GⅠ芝2400m)優勝馬コスモドリーム、1987年カブトヤマ記念(福島GⅢ芝1800m)優勝馬ユウミロクも出走しています。

各馬、牽制するようにスタートして、押し出されるようにランドヒリュウが先頭で逃げます。
2番手パワーウイナー、3番手プレイガイドバード。
オグリキャップはその後、4番手に付けます。
スタートからの3F(600m)は36.1、1000m通過が1分0秒5とランドヒリュウがスローペースで逃げましたが、その後ペースを速めます。

オグリキャップは向こう正面で外に出し、3-4コーナーで上がって行き、4コーナー手前では2番手に付けます。
直線向いて、ランドヒリュウの脚色衰えず、2馬身後方からオグリキャップが懸命に追います。
直線短い中京競馬場で、レース展開はランドヒリュウに有利。
オグリキャップは1完歩ずつランドヒリュウを追い詰め、残り200mで並ぶと、さらに1馬身1/4差突き抜けました。
2着ランドヒリュウ、3着に同じく3歳のコスモドリーム。

1着 オグリキャップ 1.59.0 レコード
2着 ランドヒリュウ 1 1/4身
3着 コスモドリーム 4

これでオグリキャップは、公営から移籍した馬としては、ハイセイコーの記録を破る重賞5連勝を果たしました。
以下映像の3:00から、高松宮杯の直線だけのレース映像があります。

クラッシック登録のないオグリキャップは、秋には菊花賞ではなく、天皇賞秋、ジャパンC、有馬記念を目標にしていました。
しかし1988年には、古馬にとんでもない強さのタマモクロスがいたのです。
オグリキャップとタマモクロスは、伝説の戦いを繰り広げます。

次回は、平成三強物語外伝として、ヤエノムテキについて書きます。

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2012年2月12日 (日)

Bonp Me / Greg Mathieson Project

そもそも、グレック・マティソン・プロジェクトを知っている人は、少ないでしょうね。
グレック・マティソンは、以前紹介した、ラリー・カールトンのRoom 335で、キーボードを弾いていた人です。
ラリー・カールトン、グレック・マティソンとも、クルセイダーズのサポートメンバーです。

実はこのアルバム、グレック・マティソンが、当時人気だったTOTOのギタリスト、スティーブ・ルカサー、ドラマー、故ジェフ・ポーカロ、ベーシスト、ロバート・パウエルで行ったセッションのバンド名です。
アルバムタイトルは、「ベイクドポテトライブ」
ベイクドポテトは、ロサンゼルスの有名なライブハウスの名前です。

先日紹介した、ブライアン・オーガーのライブ映像場所が、ベイクドポテト。
思ったより、小さなライブハウスですね。

アルバムは、グレック・マティソンのキーボードを盛り立てると言う内容です。
この曲では、スティーブ・ルカサーのギンギン(死語?)のギターも聞き所ですが、本当の目的は、ドラマー、故ジェフ・ポーカロの素晴しいプレイを聞いてもらいたいですね。

ジェフ・ポーカロは1970年代後半から、当初はジャズ/フュージョン系のドラマーとして頭角を現し、ボズ・スキャッグスのバックを務め、その際のバックミュージシャンでTOTOを結成し、これがまたヒットしました。
ジャズ/フュージョンの小技の利いた、オシャレなフレーズから、ノリの良い疾走感のあるロックまで、幅広く得意としていました。

ジェフ・ポーカロの台頭は、スティーブ・ガッドの麻薬中毒による戦線離脱と、無関係ではなかったでしょう。
しかし、スティーブ・ガッド以上に、幅広い音楽をカバー出来、しかも個性もあるジェフ・ポーカロは、様々なプロデューサーからも信頼されました。
一時は、有名ミュージシャンのアルバムのバックのドラムを、半ば独占状態と言えるほど務めていましたね。
1992年8月5日、キャリアの絶頂期に、自宅の庭で殺虫剤を散布中にアレルギーの心臓発作を起こし、亡くなったのは、本当に残念極まりない事でした。

面白い事に、ジェフ・ポーカロが注目され出した1980年当時の音楽仲間では、ジャズ/フュージョンをやってた人には、ロックに浮気したドラマーと見られ、ロック好きからは、ジャズ/フュージョン系ドラマーが無理やりロックに合わせて、叩いてると思われていました。
自分は、当初から大好きでしたけどね。
音楽仲間の友人達に、まるでドラムが歌を歌っているようだと、表現していました。
先に紹介した、ラリー・カールトンのRoom 335で、ドラムを叩いているのも、ジェフ・ポーカロです。

そもそもTOTOは、ロックにジャズ/フュージョンのオシャレで複雑なコード進行、フレーズの仕掛け、多彩なシンセサイザーを持ち込み、オシャレでポップに変身させました。
当時は普通にロックの分類でしたが、現在ではAORに分類する人もいますね。
TOTOの4枚目のアルバム、「TOTO Ⅳ(そのまんまや!)」のシングルカットされた曲、「Rosanna」のドラムは、ジャズ/フュージョンを聴く人にも、ロック好きの人にも絶賛されます。
しっかりしたシャッフルの3連系リズムに、時々入るスネアのゴーストノートのセンスの良さ。
シンセブラスの仕掛けに、かっこ良いフィルインと、それまでのジェフ・ポーカロの総決算とも言うべき、エッセンスが詰まっています。
「Rosanna」の素晴しいプレイは、様々な人が語り尽くしている感があり、あまりにもベタなので、このブログでは取り上げません。

「Rosanna」の素晴しいプレイについて気にになる方は、こちらジェフ・ポーカロの教則ビデオに、本人から語られています。
http://www.youtube.com/watch?v=IyMfuVyGT4M&feature=related

実は、ジェフ・ポーカロのプレイで、シャッフルビートのような、ミドルテンポに跳ねたようなビートとか、シンコペーション(アクセントをずらす)のフレーズには、名演が多いです。
例えばこのアルバムでも、自分が好きなジェフ・ポーカロのプレイは、実はこの曲ではなく、「Thank you」のシンコペーションプレイだったりします。
しかし自分の筆力の貧弱さか、「Thank you」のプレイの素晴らしさを、ドラムを知らない方に分かるように伝える自信がありません。
やむなく、分かりやすく、疾走感がありつつ、複雑さもあるビートの、この曲にした訳です。

本当は、尾崎亜美の「Prism Train」にしようかとも思ったのですが、「Prism Train」の当時、ドラムのハイハットシンバルをハーフオープンにして叩くのが流行っていました。
「Prism Train」も、ハーフオープンにて叩いていまして、この叩き方では、ビート感が出ないため、結局この曲に決定しました。

ドラムの個々の音について分からない方は、こちらジェフ・ポーカロの教則ビデオを参考にして下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=zdaxu5rUjcQ

まあ、難しい事考えなくとも、聞けば爽快に分かりますけどね(笑)。

一応メンバーを再掲載します。
・keyboards:Greg Mathieson
・guitar:Steve Lukather
・bass:Robert Popwell
・drums:Jeff Porcaro

曲に行きましょう。
スティーブ・ルカサーのギターの、00:33トレモロアームを利かせたオープニングから、ビートを利かせたフレーズに移行します。
00:37バスドラム(以後バスドラ)とスネアドラム(以後スネア)を利かせたフレーズは、良くジェフ・ポーカロが多用していたフレーズでした。
00:44シンプルにスネアを鳴らして、イントロが始まります。
イントロのハイハットシンバル(以後ハイハット)のフレーズが、ハイハットをハーフオープンにして叩いています。
ドラムのパターンが始まると同時に、グレック・マティソンは、オルガンを奏でます。

00:55テーマメロは、グレック・マティソンのシンセ。
このシンセは、音からミニ・モーグでしょうか?
ドラムのハイハットはクローズで、たまに細かいリズムを刻みます。
2小節目のパターンの4拍目に、ハイハットオープンが入るのが、素敵です。
曲全体に言えますが、時々、バスドラが16分音符を刻んでいるのが、ノリの疾走感、ドライブ感を増していますね。
恐らく、バスドラのパターンは、アドリブでしょう。

01:18ここの16分音符のキメフレーズは、スネア→タム(L)→タム(R)→バスタム→バスドラの繰り返しです。
このフレーズは、世界中の色々なドラマーが、死ぬほどパクったフレーズですね。
ここから、01:36までのハイハットも派手なギターのフレーズに負けぬように、ハーフオープンで叩いています。
その後テーマメロをもう1度リフレインします。
02:17ハイハットはクローズに、少しハイハットの手数を多くし、バスドラも多目に入れて、ポイントでシンバルを叩き、盛り上げにかかります。

02:52ここからグレック・マティソンのシンセソロ。
テーマとは、別のシンセを使っていますね。
芯があるような太い音色を2つ、微妙にチューニングをずらし、広がりのある音色にしています。
この音色は、Prophet-5/10っぽいですね。ポリモーグの可能性もありますが。
03:17刻むように、細かいフレーズが、テーマメロと同じシンセですね。左手で、Prophet-5/10の音を伸ばしています。
03:38ここから、シンセの速弾き。
シンセの速弾きに合わせ、ドラムの手(足)数を増やしたり、シンバルを派手に叩いたり。

04:40シンセソロの終了と共に、ドラムも音を小さく叩きます。
04:49スティーブ・ルカサーのギターソロが開始しても、最初は同じ感じで、小さい音で叩き続けます。
05:07このあたりから、少しずつドラムのフレーズを派手にしたり、音量も大きくなって行きます。
ギターソロは盛り上げるまでが冗長で、単調で途中少々飽きますね。
もっと、手っ取り早く盛り上げ、変化に富んだフレーズで、聞かせるべきですね。
06:01からの速弾きは、スティーブ・ルカサーの手クセですね。
06:12からの速弾きも、手クセです。
最後にガツンと盛り上がりますが、ここから?と思ったところで、終わります。

頭のテーマメロに戻り、16分音符のキメフレーズにて終了。
どうでしょうか、まるでドラムが歌っているようだったでしょう?

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2012年2月 9日 (木)

平成三強物語外伝 - チヤンピオンスター

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

平成三強物語外伝とは、平成三強の戦いに絡んだ、平成三強以外の名馬についての話です。
今回は、イナリワンの公営競馬のライバル、チヤンピオンスターについて書きます。

最初にこのページを読む前に、これまでの平成三強物語、平成三強物語リターンズ 1986-1987 イナリワン(1)平成三強物語リターンズ 1986-1987 イナリワン(2)を一読願います。

チヤンピオンスターの父、ノーザンダンサー系のスイフトスワロー、母父はロードリージ、祖父サーゲイロード、どちらの血統も、スタミナタイプで奥手が多いです。
スイフトスワローはダート馬も多く輩出しました。

デビューは1986年12月9日。奇しくもイナリワンと同じデビュー日、距離も同じ大井競馬の新馬戦ダート1000m短距離戦です。
2着に5馬身差をつけて勝利しました。


1987年1月2日チヤンピオンスターは、大井競馬の3歳条件戦ダート1400mに出走しました。
イナリワンも出走予定でしたが、ゲートに頭を強打して出走取り消し。
このレースも2着に1馬身1/2の着差を付けて勝利します。


1月28日チヤンピオンスターは、3歳特別競走、大井競馬の葉牡丹特別ダート1600mに出走しました。
2着に3馬身差の優勝をして、デビュー以来無傷の3連勝。


1月28日チヤンピオンスターは、3歳特別競走、大井競馬の水仙特別ダート1600mに出走しました。
チヤンピオンスターは1番人気となりましたが、ジヨージレツクスの3着に敗れます。


次は4月9日黒潮盃(大井重賞ダート1800m)。
JRAで言うと、弥生賞(中山GⅡ芝2000m)に当たるレースです。

1番人気は前走、京浜盃(大井重賞ダート1700m)2着のクンシヨウ。
2番人気はジヨージレツクス。
3番人気は京浜盃(大井重賞ダート1700m)3着のアラナスモンタ。

前走完敗だった、ジヨージレツクスも出走しますが、今度は寄せ付けずチヤンピオンスターが勝利します。
2着には1勝馬ながら、オープンで活躍していたアラナスモンタ、ジヨージレツクスは5着。

1着 チヤンピオンスター 1:58.3
2着 アラナスモンタ 3/4
3着 クンシヨウ アタマ


チヤンピオンスターは、5月6日の南関東の牡馬三冠レース、羽田盃(大井重賞ダート2000m)出走の予定でしたが回避(理由は調べましたが不明)。

6月3日チヤンピオンスターは、南関東の牡馬三冠の2戦目、東京ダービー(大井重賞ダート2400m)に出走しました。

1番人気はここまで、無敗の5連勝で、羽田盃(大井重賞ダート2000m)優勝のシナノデービス。
鞍上は大井競馬の帝王、的場文男騎手。
2番人気は羽田盃(大井重賞ダート2000m)2着のジヨージレツクス。
3番人気は一頓挫あったチヤンピオンスター。

ジヨージレツクスが、圧倒的1番人気のシナノデービスに3馬身差付けて優勝。
シナノデービスはラツキハミリーに絡まれ、苦しい競馬になったそうです。
チヤンピオンスターは5着に敗れました。

1着 ジヨージレツクス  2:38.0
2着 シナノデービス 3
3着 リンドミカド 1

ジヨージレツクス、シナノデービス共に、脚部不安からこのレースで引退しました。


7月26日チヤンピオンスターは、古馬混合の条件戦のサマーC(大井B1ダート1700m)に出走し、7着と惨敗しました。


11月11日チヤンピオンスターは、南関東の牡馬三冠の3戦目、東京王冠賞(大井重賞ダート2600m)に出走しました。
レースについては、1986年-1987年 イナリワン(1)を参照願います。


チヤンピオンスターは結局、南関東三冠には勝ちきれませんでしたが、12月23日の東京大賞典(大井重賞ダート3000m)に出走します。
JRAの有馬記念(中山GⅠ芝2500m)に相当し、陣営はこの馬の能力に期待していたのでしょう。

1番人気は重賞3勝、前走東京記念(大井重賞ダート2400m)優勝のシナノジョージ。
鞍上は大井競馬の帝王、的場文男騎手。
2番人気は前走東京記念(大井重賞ダート2400m)2着のミハマシヤーク。
3番人気はこの年、帝王賞(大井重賞ダート2000m)優勝のテツノカチドキ。
前走東京記念(大井重賞ダート2400m)で、斤量60kgを背負い、6着に敗れています。

テツノカチドキがミハマシヤークに、3馬身差をつけて優勝。
チヤンピオンスターは4着に敗れました。

1着 テツノカチドキ 3:15.8
2着 ミハマシヤーク 3
3着 ストロングフアイタ ハナ


1988年2月4日チヤンピオンスターは、条件戦ウインターC(大井B1ダート1700m)に出走し、2着にスーパーミストに2馬身差をつけて優勝。


3月3日チヤンピオンスターは、金盃(大井重賞ダ-ト2000m)に出走し、優勝しました。
レースについては、1988年 イナリワン(2)を参照願います。


4月13日チヤンピオンスターは、帝王賞(大井重賞ダート2000m)に出走し、優勝しました。
レースについては、1988年 イナリワン(2)を参照願います。


6月21日のチヤンピオンスターは、大井記念(大井重賞ダート2500m)に出走しました。

1番人気はチヤンピオンスター。
2番人気は前走隅田川賞(大井オープンダート1800m)優勝のダツシユホウシヨウ。
3番人気は、帝王賞(大井重賞ダート2000m)3着のストロングフアイタ。

チヤンピオンスターがスーパーミストに1馬身1/2差で優勝しました。

1着 チヤンピオンスター 2:42.8
2着 スーパーミスト 1 1/2
3着 ストロングフアイタ 4


7月27日チヤンピオンスターは、報知オールスターC(川崎重賞ダート1600m)に出走しました。

1番人気はチヤンピオンスター。
2番人気は前走ふみづき特別(船橋オープンダート1600m)優勝のアイランドハンター。
3番人気は、今年羽田盃(大井重賞ダート2000m)優勝の3歳馬、リユウコウキング。

リユウコウキングがチヤンピオンスターに首差で優勝しました。
この後リユウコウキングは、JRAに移籍します。

1着 リユウコウキング 1:41.5
2着 チヤンピオンスター クビ
3着 アイランドハンター 2


9月18日チヤンピオンスターは、JRAのオールカマー(新潟GⅡ芝2200m)に出走しました。

1番人気は、前年の宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)優勝馬、脚部不安の休み明けスズパレード。
2番人気は、前年の桜花賞(阪神GⅠ芝1600m)、オークス(東京GⅠ芝2400m)優勝の牝馬2冠馬、マックスビューティ。
3番人気は、リユウコウキング。

ゲートが開いて、公営名古屋競馬のヒデノフアイターが逃げようとしますが、外からJRAのミスターブランディが交し、逃げます。
2番手は控えたヒデノフアイター。
3番手はチヤンピオンスターが上がりましたが、コーナーを利してスズパレードが付けました。
スタートから3F(600m)のタイム35.2、1000m通過が59.5のハイペース。

3コーナー過ぎてチヤンピオンスターの手応えが、怪しくなってきました。
3-4コーナーで、マックスビューティも上がろうと、手綱を動かし始めました。

4コーナーから直線に向くと、スズパレードがインコースから伸びて来ます。
逃げるミスターブランディに、残り200m手前で並びかけると、あっという間に2馬身突き放して優勝。
2着は逃げ粘った人気薄のミスターブランディ。

チヤンピオンスターは芝が合わず、15着に惨敗。

1着 スズパレード 2:12.3
2着 ミスターブランディ 2
3着 ランニングフリー 2


11月2日チヤンピオンスターは、ハンデ戦の東京記念(大井重賞ダート2400m)に出走しました。
レースについては、1988年 イナリワン(2)を参照願います。
チヤンピオンスターは1番人気でしたが、7着に敗退。
その後屈腱炎が判明し、およそ2年休養します。


チヤンピオンスターが復帰したのは、1990年9月5日、かちどき賞(大井オープンダート1800m)。
逃げたテツノヒリユウの4着に敗退しました。

10月24日チヤンピオンスターは、新設重賞のグランドチャンピオン2000(大井ダート2000m)に出走しました。

1番人気は、23戦18勝2着5回連対率100%、重賞6勝で昨年2着の、岩手盛岡競馬の強豪、4歳牡馬スイフトセイダイ。
2番人気は、チヤンピオンスター。
3番人気は、北関東公営、中京公営、岩手公営と転戦し、大井に転籍して前走東京盃(大井重賞ダート1200m)2着のダイコウガルダン。

先行争いをして、チヤンピオンスターが逃げました。
2番手被せるようにスイフトセイダイ。
3番手その外からダイコウガルダンでしたが、1コーナーを利してトウケイボールドが上がります。

ペースは大井としては速目で、5番手以下は付いて行けず置かれます。
向こう正面でトウケイボールドは脱落し、ダイコウガルダンがインコースに付けます。
3コーナー手前でトムフアイターが4番手に上がって来ました。

4コーナー回り、逃げたチヤンピオンスターを外からスイフトセイダイが競りかけます。
ダイコウガルダンがインコースから凄い脚で、並ぶ間なくまとめて交し先頭に立ちました。
スイフトセイダイも負けじと、ダイコウガルダンを追いかけますが、そこから脚色変わらず。
交されたチヤンピオンスターを始め、後方との差は広がるばかり。

ダイコウガルダンが、スイフトセイダイを1/2馬身差押さえて優勝しました。
チヤンピオンスターは馬群に沈み、7着に敗退。

1着 ダイコウガルダン 2:08.1
2着 スイフトセイダイ 1/2
3着 イイオカスワロー 7


11月20日チヤンピオンスターは、ハンデ戦の東京記念(大井重賞ダート2400m)に出走しました。

1番人気は、チヤンピオンスター。
2番人気は、前走キヨフジ記念(川崎重賞ダート2000m)優勝のスピリツトエビス。
3番人気は、グランドチャンピオン2000(大井ダート2000m)4着のトムフアイター。

55kgと斤量に恵まれたチヤンピオンスターは、スピリツトエビスに2馬身差で優勝します。

1着 チヤンピオンスター 2:34.3
2着 スピリツトエビス 2
3着 ダンデイフラツシユ 3


12月13日チヤンピオンスターは、東京大賞典(大井重賞ダート2800m)に出走します。

1番人気は、前走グランドチャンピオン2000(大井ダート2000m)2着で、鞍上が大井の帝王、的場文男騎乗のスイフトセイダイ。
2番人気は、前走グランドチャンピオン2000(大井ダート2000m)優勝のダイコウガルダン。
3番人気は、チヤンピオンスター。

逃げたのはウインドミル、2番手ジヨージモナーク、3番手ダイコウガルダン、スイフトセイダイ4番手。
チヤンピオンスターは5番手に付けました。
最初のスタンド前でチヤンピオンスターとスイフトセイダイが仕掛け、ウインドミルを交し、チヤンピオンスターが逃げ、スイフトセイダイが2番手に上がりました。
向こう正面ではウインドミルが仕掛け、スイフトセイダイを交して2番手。
向こう正面中間で、チヤンピオンスターが一杯になり、脱落。
再びスイフトセイダイが仕掛け、先頭に立ちましたが、外ウインドミルも譲らず並走。

3コーナーからウインドミルの手が動きますが、スイフトセイダイとの差は縮まりません。
ウインドミルの外から、ダイコウガルダンが上がって来ました。

直線向くと、ウインドミルは後退。
スイフトセイダイが伸びますが、外からダイコウガルダンがさらに良い脚で並びかけます。
わずかクビダイコウガルダンが先頭に立ち、後はスイフトセイダイと脚色変わらず。
2頭のマッチレースで、ゴールまで熾烈な叩き合いの並走をします。

後続は離れ、後方でじっとしていたスピリツトエビスが追い込んで、3着確保。

ダイコウガルダンが勝利、2着は今年もスイフトセイダイでした。
前年のロジータのタイムより、9秒も遅く、当初かなりのスローペースでしたが、途中からペースが速くなり上りの勝負でした。
ダイコウガルダン、スイフトセイダイ、どっちが勝ってもおかしくなかったと思いますが、ダイコウガルダンの地力がわずかに勝りました。

失速したチヤンピオンスターは11着。

1着 ダイコウガルダン 3:02.2
2着 スイフトセイダイ クビ
3着 スピリツトエビス 4

レース映像は、以下のリンクページ内にあります。

http://www.tokyocitykeiba.com/special_page/special2011yearend/daisyouten_06.php


明け1991年2月26日チヤンピオンスターは、ハンデ戦の金盃(大井重賞ダート2000m)に出走しました。

1番人気は、前走東京大賞典(大井重賞ダート2800m)3着のスピリツトエビス。
2番人気は、チヤンピオンスター。
3番人気は、前走条件戦を勝利したイシノドリーム。

斤量54kgの軽ハンデを活かした、シローランドが優勝。
2着は57.5を背負ったチヤンピオンスター。

1着 シローランド 2:06.6
2着 チヤンピオンスター クビ
3着 トムフアイター 1/2

4月3日チヤンピオンスターは、帝王賞(大井重賞ダート2000m)に出走しました。
この年、南関東公営最強馬、ダイコウガルダンは、JRAの天皇賞出走のため不在。
JRAからは、ダート最強の呼び声高いナリタハヤブサ、ダートの強豪インディアンヒル、ミスタートウジン、公営笠松からマツクスフリート。

1番人気は、ウインターS(中京GⅢダート2300m)、フェブラリーH(東京GⅡダート1600m)共にレコードで2連勝中のナリタハヤブサ。
2番人気は、笠松の女オグリ、マツクスフリート。
3番人気は、チヤンピオンスター。

スピード上位の逃げ馬、テツノヒリユウが逃げ、インディアンヒル2番手、シローランド3番手、4番手ナリタハヤブサ、5番手チヤンピオンスター、6番手ミスタートウジン、7番手ジヨージモナーク。
マツクスフリートは、後ろから3番手と、行きっぷりが良くありません。
3-4コーナーでインディアンヒルが、逃げるテツノヒリユウを交しに行きますが、テツノヒリユウは粘ります。
直線向いて、ナリタハヤブサは伸びを欠き、馬群の間からチヤンピオンスターが抜け、インコースからジヨージモナークが抜けてきます。
インディアンヒルも粘り、ナリタハヤブサと脚色変わりません。
チヤンピオンスターが、2着ジヨージモナークに1馬身差を付けて優勝。
3着インディアンヒル、ナリタハヤブサ4着、マツクスフリート9着。

チヤンピオンスターは、史上初めて、帝王賞を2度勝った馬となりました。
現在まで、チヤンピオンスター以外には、GⅠ6勝のフリオーソしか達成していない記録です。

1着 チヤンピオンスター 2.05.2
2着 ジヨージモナーク 1
3着 インディアンヒル 1 1/2

7月10日チヤンピオンスターは、報知オールスターC(川崎ダート1600m)に出走しました。

1番人気は、JRAで中京記念(中京GⅢ芝2000m)勝ちがあり、公営川崎競馬に移籍して来たインターアニマート。
2番人気は、チヤンピオンスター。
3番人気は、昨年の>東京大賞典(大井重賞ダート2800m)優勝馬でJRA帰りのダイコウガルダン。

本格化したチヤンピオンスターの敵ではなく、インターアニマートに1/2馬身差優勝。
ダイコウガルダンは離された3着でしたが、この時は調子が悪かったんだと思います。

1着 チヤンピオンスター 1:41.0
2着 インターアニマート 1/2
3着 ダイコウガルダン 2


9月15日チヤンピオンスターは、JRAの交流競走オールカマー(中山GⅡ芝2200m)に出走しました。

1番人気は、JRAでセントライト記念(中山GⅡ芝2200m)優勝、日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)x着、菊花賞(京都GⅠ芝3000m)2着、有馬記念(中山GⅠ芝2500m)3着のホワイトストーン。
2番人気は、今回のオールカマーの目玉、スイフトセイダイ。
3番人気は、前走新潟記念(新潟GⅢ芝2000m)3着のセントビッド。

チヤンピオンスターは戦前、芝が合わないと見られ、9番人気でした。

逃げたのは鉄人増沢騎手騎乗のユキノサンライズ、2番手ベルクラウン、3番手はタケデンマンゲツ、併走してジョージモナーク。
チヤンピオンスターは、後方に付けました。
スタートから3F(600m)のタイム35.5、1000m通過59.8とやや速いペース。
3コーナー手前で、ベルクラウン、タケデンマンゲツは脱落。
ジョージモナークが仕掛けて上って行きました。
3-4コーナーで、ホワイトストーンも仕掛け、4コーナー手前ではジョージモナークの外まで上りました。

直線向くと、ホワイトストーンは伸びず、もがいています。
ジョージモナークの脚色良く、残り100mでユキノサンライズを交わし、先頭に立ちました。
ホワイトストーンは沈まず、盛り返して、差して来たモガミチャンピオンと共に上って来ました。
ホワイトストーンはそのまま、ジョージモナークに1/2馬身迫ったところがゴール。

良馬場でしたが、持ち前の芝適正を発揮して、大井のジョージモナークがJRA勢を蹴散らし優勝。
2着はホワイトストーン。
チヤンピオンスターは予想通り芝が合わず、ジョージモナークの12着に惨敗。

1着 ジョージモナーク 2.12.4
2着 ホワイトストーン 1/2
3着 モガミチャンピオン 1/2

チヤンピオンスターはこのレース後、屈腱炎を発症し、このまま引退します。

公営の馬は、引退しても種牡馬になる事すら難しいのですが、珍しい事に1億5000万円のシンジケートが組まれます。
試験種付け時の検査では異常なしだったのに、不受胎が続き、精虫に異常が見つかり、種牡馬登録を抹消、シンジケートも解散という事態になりました。

1頭だけ受胎し、アレチャンピオンと言う牝馬が生まれ、その後繁殖入りし、チヤンピオンスターの血を伝えています。

ダートに関しては、超1流馬と言って良いでしょう。
2度の故障が、いずれも芝レースの後で、足元が弱かったんでしょうね。
芝レースを走っていなければ、故障していなければ、どんな成績になったんでしょうか?
恐らく、この頃の公営最強馬、フェートノーザンとの対戦も、1989年帝王賞で実現したでしょうね。

次は、平成三強物語 JRAデビュー後のオグリキャップについて書きます。

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2012年2月 6日 (月)

ドラマ「ストロベリーナイト」が面白い

現在東京だと、フジテレビ毎週火曜21時に放送しているドラマです。

原作は誉田哲也。
この人は、警察小説のシリーズものに、姫川玲子シリーズとジウシリーズがあり、ジウは2011年夏-秋クールにドラマ化されましたね。

姫川玲子シリーズの第1作、「ストロベリーナイト」は2010年11月13日に、スペシャルドラマとして、放送されています。
姫川玲子シリーズは、毎作様々なタイトルで、「ストロベリーナイト」は第1作目の長編小説のタイトルなのですが、スペシャルドラマのタイトルそのまま、同じキャストで、小説「ストロベリーナイト」以外の姫川玲子シリーズの話をドラマ化しています。

主人公は、警視庁捜査一課、唯一の女刑事にして、警部補で主任、姫川玲子役に、竹内結子。
女だてらに、キャリアでもないのに、若くして警部補で捜査一課主任・・・上司役の高嶋政宏扮する今泉警部や部下からは認められています。
脇を固める姫川玲子の部下に、菊田巡査部長役=西島秀俊、石倉巡査部長=宇梶剛士、連続ドラマからの登場の葉山巡査長=小出恵介、湯田巡査長=丸山隆平。

今泉警部の上司の管理官、渡辺いっけい扮する橋爪警視や、姫川玲子の天敵、武田鉄矢扮する勝俣警部補からイヤミを言われ、じゃけんに扱われます。

自分は、スペシャルドラマは、ストーリーが好きではないのですが、ドラマになって、この作品が俄然好きになりました。

現実に、警視庁捜査一課に、女性刑事はいるのか?知りませんが、もしいたとしても男社会の警察、ドラマとたがわず、じゃけんに扱われている事でしょう。

姫川玲子は、高校時代にレイプされた過去を持ち、その際自分をケアしてくれて、犯人逮捕の際に殉職した佐田倫子巡査がきっかけで、警察官になりました。
現在も、レイプされたPTSDがあり、それを無神経にも、勝俣警部補が揶揄(やゆ)されたりしますが、負けずに犯人に立ち向かって行きます。

現実の社会でも、様々な背景条件、制約、障害は仕事のデフォルトと言って良いくらいで、さらに組織の上下左右から、様々な軋轢(あつれき)が来ます。
それらをすべて調整して、結果を出すという意味で、リアリズムがあります。

姫川玲子は、気の強い、男勝りの面がなければならない訳で、竹内結子が名演しています。
時々、とても女っぽい面も見せ、それがまた姫川玲子の魅力だったりします。
度々、レイプされた際の状況に似た場面に出くわすと、PTSDのフラッシュバックも来ます。

周りを固める西島秀俊、宇梶剛士、小出恵介、丸山隆平の演技も良いですが、渡辺いっけいや武田鉄矢の演技は、素晴らしいですね。
特に武田鉄矢は、敵役で、憎らしいくらいの名演技です。

警察の人間関係はリアリティがありますが、発生する犯罪は、めったに起こらないような変な事件が多く、リアリティがありません。
事件のリアリティのなさは、原作から来ています。
実は自分、姫川玲子シリーズも、ジウシリーズも、事件にリアリティがないので、何度も手に取りましたが、購入するには至りませんでした。
つまり、原作は読んでいません。
出版不況が叫ばれていますが、小説家は出版社から、本が売れるような、派手な事件にしてくれ・・・とか言われているんでしょうか?

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2012年2月 5日 (日)

Lonly Nights / 梅津和時 and MAL WALDRON

今回の音楽は、久々にジャズ・・・それも日本人が演奏するジャズを紹介します。
特に紹介したいのは、名サックスプレイヤーの梅津和時です。

古くからジャズを聴いている人の中には、日本人が演奏するジャズなんて、聴く気がしないよ!って言う方もいるかも知れませんね。
度々紹介(それでもまだ2回w)している上原ひろみさんくらい天才なら、誰もが認めるんでしょうけどね。

また、梅津和時ファンならいざ知らず、ファンじゃなくて、梅津和時を知っている人なら、あんな変なジャズマンを紹介するなんて、頭がおかしいんじゃないの?と思うかも知れません。

梅津和時の経歴については、こちらを見て頂きましょう。

もしかすると、梅津和時は現在、メジャーレコーディング会社と契約していないかも知れません。
良い演奏に、メジャーかメジャーじゃないかなんて、関係ありません。

この曲は、梅津和時のアルバムでは異質な(笑)、スタンダートジャズを演奏した、1982年発表の「アナザー・ステップ」の2曲目です。
しかもピアノに、重鎮、マル・ウォルドロンを迎えています。

マル・ウォルドロンの経歴については、こちらを見て頂きましょう。

このアルバム、「アナザー・ステップ」は、自分は梅津和時のアルバムの中でも唯一大好きなアルバムで、名盤です。
もし、奇抜なフリージャズを演奏している梅津和時しか知らないなら、このアルバムは聞いてみるべきです。
梅津和時の腕前に気がつきます。

自分と梅津和時の出会いは、1980年代後半の深夜に、日本のジャズを紹介する番組がありました。
番組名を失念したので、調べたんですが、見当たらず。
番組に出演した、ほとんどのミュージシャンは、気に止まらないものでしたが、これはスゲえと思ったのが2組あり、1組は以前紹介したChickenshack、もう1組は梅津和時でした。
自分は、ひとたび梅津和時がサックスを吹くと、番組にかじりつきでした。
以後2回だけですが、梅津和時のライブに行った事があります。

その内の1回、上野の不忍池そばでやった、ジャズのライブで、梅津和時のステージも良かったんですが、近藤房之助も出ていまして、梅津和時のステージを見て気に入ったんでしょうね。
梅津和時のマネージャーは、至急近藤房之助のマネージャーまで連絡下さいとアナウンスされ、近藤房之助のステージに、梅津和時の飛び入りが実現しました。
近藤房之助と言うと、「踊るポンポコリン」しか知らない人も多いと思いますが、素晴しい日本のブルースボーカリストです。
その時のバックバンドのギタリストは、Chickenshack山岸潤史!?
梅津和時の間奏のソロと、山岸潤史のソロのバトルありの、嵐が来たような大盛り上がりのステージで、忘れられないライブの1つです。

閑話休題、曲に行きましょう。
自分が「アナザー・ステップ」の中で、最も好きなのは、原曲をかなり崩していますが、静と動の切り替えが素晴しい「I Should Care」。
梅津和時のオリジナル曲、「Hole In Stomach Woman」も盛り上がる良い曲です。
あまりに有名なスタンダードナンバー、「Round Midnight」素晴しい演奏です。
しかしあえて、梅津和時の素晴らしさを知ってもらうため、スローなナンバーのこの曲にしました。

可能なら、真夜中に、照明を暗くして聞いて下さい。
バーボン片手なら、なお良し(笑)。
もう出だしで、ジャズ好きのハートをゲットでしょう?
抑え気味の、ブルージーなアルト・サックスが素晴しいです。
サックスやトランペット等の金管楽器は、抑え気味の小さな音で素晴しく演じるのが、難しいんです。

サックスの演奏の魅力は、音色や演奏技法のダイナミクス。
音色変化、音の強弱、フレージング、どれをとっても素晴しいです。
生半可な腕では、速いパッセージもなく、こんなに聴かせる事は出来ません。

04:44からは、マル・ウォルドロンのピアノソロ。
デジタルの音源だと分かりにくいかも知れませんが、恐らくとても柔らかい音色のピアノなんでしょうね。
素敵なフレージングです。

そして梅津和時のサックスに戻って来て、エンディングしますが、もっと・・・この倍の時間ぐらい、腹いっぱい聞きたかった!

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2012年2月 1日 (水)

平成三強物語 - 1988年 イナリワン(2)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、イナリワンの4歳前半のレースについて書きます。
最初にこのページを読む前に、これまでの平成三強物語のイナリワンの話、平成三強物語 - 1986年-1987年 イナリワン(1)を一読願います。

イナリワンは、1988年最初のレースを3月3日大井競馬場の金盃(大井重賞ダ-ト2000m)に出走しました。
1番人気は前走条件戦、ウインターC(大井B1ダート1800m)を2馬身差勝利したチヤンピオンスター
2番人気イナリワン。
3番人気は大井競馬場の帝王、的場文男騎手が乗る5歳のシナノジョージ。
馬場は泥んこの重馬場となりました。

レース結果は直線抜け出したチャンピオンスターが、2着シナノジョージに4馬身差をつけて快勝。
イナリワンは、さらに1馬身差3着と敗れました。

1着 チヤンピオンスター 2:05.8
2着 シナノジョージ 4
3着 イナリワン 1

この3日後、JRAでオグリキャップが、華々しいデビューを飾りますが、それはまた別の機会に。


4月13日イナリワンは、当時としては数少ないJRA、全国公営競馬交流レース、帝王賞(大井重賞ダート2000m)に出走して来ました。
現在統一GⅠレースで、6月下旬に開催される帝王賞も、当時は4月中旬開催でした。

1番人気、大井競馬場と言う事もあるのか、多分に鞍上の的場文男人気もあったでしょうシナノジョージ。
2番人気イナリワン。
3番人気チヤンピオンスター
ついでに、4番人気JRAのメジロゴスホーク、5番人気JRAのローマンプリンス。

他の南関東勢は、1987年の東京大賞典に3着しているストロングフアイタ、1987年重賞の戸塚記念優勝のマルケンアキーラ、古豪スーパーミスト、1月に報知グランプリCに優勝し、金盃も4着だったイーグルシヤトーと好メンバーが揃いました。
公営他地区から、1987末、高崎大賞典(高崎競馬場限定でJRAの有馬記念に相当)を勝っているカツノコバン、北海道の強豪ホロトウルフが出走して来ました。
ついでに(笑)JRAからは、当時GⅢのフェブラリーHを勝利したローマンプリンス、札幌3歳S(現2歳S)優勝、GⅢのウインターSを2着したガルダンサー、オープン特別仁川S勝ちのメジロゴスホーク等が出走して来ました。

今でこそ、地方競馬場で行われる、ダートの交流競走は、JRAの独壇場ですが、その頃はダートではJRAは地方勢、特に南関東勢には、歯が立ちませんでした。
当日は雨で、またもや泥んこの重馬場となります。

イーグルシヤトーが逃げ、インターシオカゼ、マルケンアキーラ、ガルダンサー、チヤンピオンスターの順に進みます。
その後ろのグループに、シナノジョージやイナリワン。
3コーナー過ぎにシナノジヨージ、ガルダンサーが上がって行き、インコースに入れていたチヤンピオンスターもスムーズに外に出します。
4コーナー回って、外から良い手ごたえで上がって来たチヤンピオンスターが、先団を捉え追い出すと、先頭に躍り出ます。

直線向いてシナノジヨージが追い込み、チヤンピオンスターを追走して差を詰めますが、残り100m、脚色が一緒になってしまいました。
ストロングフアイタも突っ込んで来ますが、チヤンピオンスター、シナノジヨージの追い比べには及ばず。
1着チヤンピオンスター、2着シナノジヨージ、3着ストロングフアイタ。
イナリワンは良いところなく7着、JRA勢は8着ガルダンサーが最高。

1着 3枠 4番 チヤンピオンスター 牡4 56 桑島孝春 秋谷元次 2.07.0 3人
2着 1枠 1番 シナノジヨージ 牡5 56 的場文男 松浦備 3/4身 1人
3着 7枠 11番 ストロングフアイタ 牡5 56 早田秀治 飯野貞雄 2身 10人
4着 5枠 8番 マルケンアキーラ 牡4 56 佐々木竹見 物井栄 1身 6人
5着 3枠 3番 スーパーミスト 牡5 56 赤嶺本浩 渥美忠男 3/4身 12人
6着 5枠 7番 カツノコバン 牡4 56 加藤和宏 渋谷武久 3/4身 11人
7着 2枠 2番 イナリワン 牡4 56 宮浦正行 福永二三雄 1/2身 2人
8着 7枠 12番 ガルダンサー 牡4 56 横山典弘 久恒久夫 2 1/2身 9人
9着 4枠 5番 メジロゴスホーク 牡4 56 村本善之 大久保正陽 3身 4人
10着 8枠 13番 イーグルシヤトー 牝5 54 堀千亜樹 大山二三夫 クビ 7人
11着 6枠 10番 ローマンプリンス 牡7 55 増沢末夫 佐藤征助 4身 5人
12着 4枠 6番 ブルーケート 牡5 56 石崎隆之 栗田繁 2身 14人
13着 6枠 9番 ホロトウルフ 牡4 56 佐々木一夫 黒川武 大差 13人
14着 8枠 14番 インターシオカゼ 牡4 56 鹿戸雄一 久保田金造 大差 8人


8月10日イナリワンは、関東盃(大井重賞ダート1600m)に出走しました。

1番人気は、前走クイーン賞(船橋重賞ダート1800m)優勝のイーグルシャトー。
2番人気は、前走帝王賞(大井重賞ダート2000m)2着のシナノジヨージ。
3番人気は、南関東公営トップジョッキー、石崎騎手騎乗のオープン馬、ダツシユホウシヨウ。

帝王賞で7着に敗れたイナリワンは、人気を落として4番人気。

またまた重馬場となり、イーグルシヤトーが4馬身差優勝、2着スーパーミスト、シナノジヨージは4着、イナリワンは5着に敗れます。

1着 イーグルシヤトー 1:39.4
2着 スーパーミスト 4
3着 ハッピーシャトー 1/2

イナリワンにとって、1600mは距離不足だったでしょうね。

1988年のイナリワンのレースは、いずれも重馬場で勝てず・・・いつしか重下手というレッテルを張られてしまいました。
でも、ダートの重馬場は、時計が速くなります。
芝のGⅠを勝つスピードのあるイナリワンが、ダートの重下手なんて事があるのでしょうか?
自分の個人的見解は、この時イナリワンは、不調だったんだと思います。

11月2日イナリワンは、ハンデ戦の東京記念(大井重賞ダート2400m)に出走しました。

1番人気は、前走オールカマー(中山GⅡ芝2200m)では15着惨敗しましたが、この年重賞3勝のチヤンピオンスター、斤量57.5kg。
2番人気は、前走おおとり賞(大井オープンダート2000m)勝利のスーパーミスト、斤量54kg。
3番人気は、イナリワン、斤量54kg。

ハンデ戦らしく荒れ、人気薄のダツシユホウシヨウが1馬身差で優勝。
2着も斤量に恵まれた、人気薄のアラナスモンタ。
3着にイナリワン。

1着 ダツシユホウシヨウ 2:35.9
2着 アラナスモンタ 1
3着 イナリワン 1/2

1番人気のチヤンピオンスターは7着に敗れ、その後骨折が判明し、およそ2年休養します。

次回は平成三強物語外伝として、チヤンピオンスターについて書きます。

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