B5009.ビルマ決戦記

2012年2月23日 (木)

ビルマ決戦記(2) / 越智春海


第一章 連合軍反攻開始

書かれている内容は、第一次第二次アキャブ戦、モール要塞戦(ロングクロス作戦)、フーコン谷の激戦について書かれています。
この中で、第一次第二次アキャブ戦について、詳しく知りたかったのですが、記録が残っていないのか、詳しく書かれていませんね。
第一次アキャブ戦は、後退した日本軍に対する連合軍の攻撃で、結局連合軍は撤退するが、一時は包囲された部隊が全滅の危機でした。

第二次アキャブ戦は、悪名高きインパール作戦の支作戦で、インパール作戦に先立ち、はるか南部のアキャブで攻勢に出る事で、少しでも連合軍を引き付ける目的の作戦です。
攻勢に出て、敵を包囲しますが、連合軍が数と物量に物を言わせ、全集防御したために、包囲した日本軍の攻撃の方が再三撃退され、損害続出して、最終的に撤退しました。
この本では、桜井省三少将の進言で、戦上手の花谷正中将が決断して撤退の英断をしたかのように書かれていますが、これは間違えです。
現実には現場指揮官の棚橋真作大佐が、作戦期間中(18日)補給もなく、花谷正中将の命令を遂行すると、部隊が全滅してしまうため、独断で撤退しました。
花谷正中将は、当時の大本営には戦上手と思われていましたが、現在の評価では戦下手の上、兵隊を殴る、自決を強要するなど、パワハラの異常者に過ぎません。

モール要塞戦、フーコン谷の激戦は、様々な著作、手記があります。


第二章 インパール作戦

悪名高き、インパール作戦の内容については、こちらを参照願います。
『林』軍司令官だった、牟田口中将は、補給を無視した作戦を立て、作戦期間中約4ヶ月間、ほぼ無補給で、配下部隊を督戦します。
ぶっちゃけて言うと、飯もなく(作戦期間4ヶ月に対し携行食料20日分)、砲弾も銃弾もなく、攻撃命令ばかり唱えていた訳で、これがいかに常識外れな事かお分かり頂けると思います。
しかも進撃路は、3,000m級の峻険な、道がほとんどない山岳地。武器弾薬や携行食料を目いっぱい持つと、装備重量は30kgから60kgにもなったそうです。

普通の人なら、平地で、30kgの荷物を持って、300kmくらいの距離を約1か月徒歩行軍するだけで、めげてしまうのではないでしょうか?
しかもインパールにたどり着いて、お終いではなく、そこから戦闘して、敵の堅固な陣を突破、占領する事が作戦目的なのです。

インパール作戦について書かれた著作は多く、本書に新しい事実は書かれていませんでした。
しかし、面白いなと思ったのが、著者がインパール作戦の実施が、東条英機首相の首相延命策で実施したのではないかと言う推理です。
他にこんな考えの人はいるのでしょうか?
自分は今まで、考えた事もありませんでしたが、あり得る話だと思います。

東条英機は、事務屋の軍人で、彼が携わった数少ない作戦は、成功したものの見るべきものがない、下手な戦でした。
東条英機はこの時、内閣総理大臣、陸軍大臣、参謀総長を兼務していました。
インパール作戦は、補給を無視した、世界戦史上例を見ない稚拙な作戦で、直接参加兵力『林』軍9万が壊滅しました。
ひいては、ビルマに当時いた約20万の日本軍が、総崩れする引き金となりました。

現場の実情を知らない事業計画が、ロクな事にならないのは、会社と一緒ですね。


第三章 『昆』軍の奮闘

『昆』軍とは、日本軍最強師団と言われた18師団『菊』、同じく最強と言われた56師団『龍』を中心とした舞台で、日本軍の編成では軍となっていますが、他国なら軍団と言う規模です。
『昆』軍のミートキーナ戦、拉孟戦、騰越戦、平戞戦について書かれています。

先にインパール作戦で壊滅した『林』軍が、安全なところまで後退するまで、『昆』軍は実質2個師団4万人くらいで、数百キロを側衛した訳です。
ビルマ作戦のクライマックスとも言うべき、人智を超えた激闘です。
この時の『昆』軍の激闘は、かの有名な日系人部隊米100大隊、442連隊を遙かに上回る戦闘振りで、それに比べこの部隊参加者が、100大隊、442連隊ほどスポットライトが当たらず、日本で知る者が少ないのは、残念な事です。

この戦闘で、『昆』軍は大損害を被ります。
前線で戦った兵士は賞賛に値しますが、激闘になったのは日本軍の下手な戦がゆえです。

ミートキーナ、拉孟戦、騰越戦の日本軍の激闘を、対戦した印支軍(中国インド派遣軍)に蒋介石が、「拉猛において、騰越において、またミートキーナにおいて、日本軍が発揮した勇戦健闘ぶりを見よ。」と声明したのは、逆感状と呼ばれています。
また終戦後、『菊』が強力でタフな部隊だった事から、こんな部隊がイギリスにもあったら・・・とうらやまれたそうです。

本書で、越智春海が辻政信中佐を作戦の天才と称揚していますが、それについては自分は疑問に思います。
辻政信は、ノモンハンで下手な戦をやらかし左遷されますが、その後大本営作戦課参謀に栄転し、開戦時のマレー戦で活躍(これについても様々疑問あり)し、作戦の神様と言われました。
その後ポートモレスビー戦で、ガダルカナル戦で下手な戦を繰り返し、東条英機と喧嘩し、ビルマ軍の参謀に飛ばされました。

田中稔著「死守命令―ビルマ戦線「菊兵団」死闘の記録」に、ビルマの戦闘で、辻政信が偵察をろくにやらず、突撃命令を出したため、その部隊が大損害を被って作戦失敗した事が書かれています。
相も変わらず、ビルマで下手な戦を繰り返しています。
田中稔は、辻政信が作戦の神様と言われていた事を、信じられないと書いています。
参謀本部内では有能だったようですが、旧日本軍は、辻政信が優秀に見えてしまう程度の、将校団だっただけではないでしょうか?

ちなみに、戦後辻政信は、自身の手記を出版して、ベストセラーとなった作家でもありますが、自分の都合の良いように事実をねじ曲げ、また嘘を書き、歴史資料としての価値はないと言われています。
ミートキーナ戦での、謎の水上少将死守命令は、本書を読むと、ミートキーナ守備隊主力、丸山連隊長が、『昆』軍の参謀だった辻政信と同期だったためとも読めますね。


第四章 崩れ行く日本軍

ここからビルマの日本軍は、総崩れで終戦まで後退に後退を重ねます。
実はこの先の戦史を詳しく書いた書籍は、多くありません。
その意味では、その先のビルマ戦の流れを書いた本書は、ある意味貴重と言えます。

ビルマ方面軍司令官が、河辺中将から木村兵太郎中将に代わります。
牟田口中将の上官、河辺中将は、インパール作戦の責任を取って交代させるべきでしょうが、実は何の非もとがめられず、中部防衛司令官に異動し、その後大将に昇進し、航空総軍司令官、陸軍航空本部長を歴任します。
河辺中将は、陸軍大学の成績も良かったのでしょうね。
エリートコースを歩み、出世順位も高かったのでしょうが、軍務でリーダーシップを発揮した事はなく、戦争中も大過なく過ごしただけのようですね。
部下は、屍の山を築いていたと言うのに、いい気なものです。

新司令官、木村兵太郎中将は、東条英機の信認が厚かった人で、東条英機の失脚の後、ビルマ方面軍に飛ばされて来た、事務屋の将軍です。
東条英機の信認が厚かった木村兵太郎も、フィリピンに行った富永恭次中将も、東条英機の失脚の後、前戦に出され、両者とも後に敵前逃亡します。
木村兵太郎中将は、大本営参謀本部第1部長だった田中新一を、大本営から追い出す事を画策したと言われていますが、皮肉にもビルマ方面軍の参謀長は、田中新一中将が任命されます。

ビルマ方面軍の参謀も、総入れ替えになったそうですが、実戦を知る者はいなかったようです。
ビルマ方面軍の上位組織、南方総軍から指導を受けた通りに、机上の作戦計画、「盤作戦」を立案します。
当時、1個師団(2万人弱)の守備範囲は、定数の師団で6kmと言われていたと、何かの本で読んだ事があります。
この作戦の杜撰(ずさん)さは、例えば壊滅状態の『林』軍3個師団(推定1.5万弱)に、200kmの範囲を守備させ、かつ制空権があり、兵力も装備も格段に優勢な、連合軍を攻撃する計画なのです。

この作戦立案は、陸軍で優秀と目されていた、田中新一中将の立案です。
ちなみに、日本軍のほとんどは歩兵なのに対し、イギリス軍は歩兵ですらある程度自動車化され、戦車を先頭に攻撃しているのです。
作戦立案時に、敵に追い立てられ行方不明の部隊が多くあり、各部隊大損害を受けていて補給もなく、銃すら持っていない兵士多数だったのです。
何を基準に、作戦を立てたのでしょうか?
田中新一中将は、元大本営参謀本部第1部・・・太平洋戦争の前半の戦争の作戦指導をして来た人です。

例えば、会社で言うと、現場を無視して、数字ありきで策定したプロジェクトとか、事業・・・みたいなものだと思って下さい。
そんなクソプロジェクトなんて、やりたくもありませんが、仕事で人は死にません。しかし、戦争で人は死にます。

当然、こんな作戦は成功するはずもなく、命令を守って攻撃しますが、すぐに頓挫。
その後、守るのもおぼつかず、血で血を争いながら、圧迫されて行きます。
そうこうしている内、穴だらけの戦線をすり抜けて、機械化された大部隊が戦線後方のメイクテーラになだれ込み、占領してしまいます。
この部隊を軽視したビルマ方面軍は、1個連隊(約2千人)を攻撃に差し向けますが、焼け石に水で、すぐに大損害を受け消滅。
ビルマ方面軍司令部がある、ラングーンまで遮るものはありせん。

まだ、命の危険にさらされている訳ではありませんが、ここで木村兵太郎中将以下、ビルマ方面軍幕僚がラングーンから敵前逃亡します。
せめて、撤退命令でも出してから逃げれば良いのに、そのまま逃亡するから、四分五裂になった日本軍は、ビルマ方面軍が逃亡先で連絡がつくようになるまでの1週間以上に渡り、退くに退けず、死傷者続出します。
ビルマ方面軍の逃亡が、直接原因ではありませんが、この時期から雨季で増水したシッタン川の渡河作戦にかけて、最も多くの死傷者が出ます。

ビルマ方面軍の兵士は、そのまま終戦まで、タイ国境近くまで追い立てられ、終戦を迎えます。

越智春海は、河辺中将の頃もビルマ方面軍の作戦も非難していますが、木村兵太郎中将に代わってからの、ビルマ方面軍の作戦については、それはもう辛辣に批判しています。
越智春海に限らず、ビルマ方面軍の逃亡は、現在でも弁護する人が誰もいないくらい、ボロクソに言われています。

本書に書かれたビルマ作戦の全期間に言える事ですが、敵を下算し、積極作戦の旗印に、あたら勇敢な兵士を死に追いやり、司令官も、作戦立案した参謀も、作戦を失敗した責任を取りません。
戦場の兵士は、超人的な活躍をしますが、下手な作戦が故に屍の山を築きます。

果たしてこれは、太平洋戦争だけにとどまる話なのでしょうか?
現在のどこかの会社の、無謀なプロジェクトや事業に、似たような事が起こっても、驚きません。

ビルマ戦役全体を通して、約30万人(大部分陸軍)の兵士がビルマにいて、日本に帰還出来たのは、わずか12万人。
「将、功ならずして、万骨枯る」と言うには、あまりに多くの若者が亡くなりました。
自分は、戦争のない平和な時代に生まれて、本当に良かったと思います。

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2012年2月21日 (火)

ビルマ決戦記(1) / 越智春海

このブログ初の、戦記物の読書レビューです。
実は自分、かなり戦記物は読みます。

戦記物を読むきっかけは、小学校3年の頃親にねだって買ってもらった、タミヤのタイガー(ティーゲル)戦車のプラモデルです。
それ以来、楽器と出会う中学2年まで、自分の小遣いは、プラモデルに消えました。
時によって、戦車ばかりでなく、飛行機や船にもハマりました。
しかし、地上兵器は結構凝って、中学の時にはミニジオラマも作って、飾っていましたね。

プラモデル作りに平行して、その背景としての戦記を読むようになり、プラモデル造りは卒業しましたが、戦記は今だに読んでいます。
戦記は、特に体験記なんかを読めば読むほど、絶対に軍隊にも入りたくないし、戦場にも行きたくないですね。

日本は、勝てるはずのない太平洋戦争ですが、その上さらに下手な戦(いくさ)をして、多くの死傷者を出しました。
太平洋戦争での、軍隊の戦死者がおよそ174万人、民間人を含めると213万人も死んでいます。
それに対して、アメリカの戦死者は9万人、イギリス8万人。
結果論と言われるかも知れませんが、単純な、戦死者数の比でも、下手な戦(いくさ)と言わざるを得ないですよね。

ちなみに、第二次大戦ヨーロッパの場合はと言うと、ドイツの軍人の戦死者が325万人、イタリア38万人、旧ソ連611万人、イギリス36万人、アメリカ45万人、フランス24万人。
ドイツ、イタリアの合計が363万人、旧ソ連、イギリス、アメリカ、フランスの合計が714万人。
どう言い訳しても、日本が戦下手な事は、お分かり頂けますでしょうか?

戦記物を読む際に、注意する事は・・・戦記物に限りませんけどね、書かれている事が、必ずしも事実だと信じないで読む事です。
善意で言うと、執筆者の誤解、記述ミスがありますし、悪く言うと執筆者によっては、事実の曲解は可愛い方で、ぶっちゃけウソを書いている事です。

これは上級指揮官の手によるものである場合、特に顕著に曲解やウソが多いです。
そして太平洋戦争の公刊戦史とも言うべき、「戦史叢書」でも、執筆者やインタービューした相手が上級指揮者で、どこまで真実なものやら。

どうして、曲解やウソが多いのか?「戦史叢書」では、下手な戦(いくさ)をした本人にインタビューしていまして、下手な戦(いくさ)でしたと認める潔い人が、どれくらいいるのか、考えれば分かる事でしょう。

では、書かれた事をどうやって、真実かどうか見分けるのか?
これも、戦記物には限りませんが、なるべく多くの関連書籍を付き合わせ、クロスチェックする以外に方法はありません。
しかしその際に、全ての書籍が、等しく「戦史叢書」を引用していたら、目も当てられませんけどね。

さて、ビルマ決戦記のレビューに入りましょう。
著者の越智春海は、太平洋戦争中、軍人でしたが、地獄のビルマ(現ミャンマー)戦の従軍者ではありません。
「ジャワは天国、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と当時言われたそうですが、第5師団の将校として、東ニューギニア戦の初期に、比較的平穏なウエワク、マダン付近にいて、激戦になる前にニューギニアを離れ、平穏なセラム島に駐留していたそうです。

当時日本と中国(蒋介石率いる中華民国)と戦争をしていまして、中国を支援していた連合国側からの補給路が4つありました。
香港ルート、ベトナムルート、ビルマルート、シルクロードルート。
シルクロードルートは、ソ連からの援助で、1941年に独ソ戦が始まって以来、ソ連からの援助は途絶えました。
ベトナムルートは1940年9月、日本軍の仏印進駐で途絶え、香港ルートは、太平洋戦争の開始後日本陸軍が攻撃し、1941年12月末には香港を占領しました。
この仏印進駐が、太平洋戦争の遠因と言われていますね。

1941年12月8日、太平洋戦争発生後、陸軍の作戦で、ビルマから中国への補給ルート切断し、中国を屈服させるため、1942年4月にビルマを占領しました。
これにより、ビルマルートで、中国を支援する事が出来なくなり、当初は空路から、後に人跡未踏のジャングルを切り開いた、レド公路が作られ、新たな中国への補給路となりました。

このビルマ決戦記は、日本軍のビルマ侵攻後、1942年秋以降のビルマの戦闘について、終戦までの流れをカバーしています。

実は、自分の知る限り、この頃のビルマ戦全体をカバーした作品は、「戦史叢書」の前に公刊戦記扱いだった服部卓四郎著「大東亜戦争全史」しかありませんでした。
その意味で、貴重だなと思い、購入して読みました。
ちなみに自分、「戦史叢書」は持っていませんが、「大東亜戦争全史」は持っています。
ビルマ戦に参加した兵士の手記も、他の戦域に比べ豊富で、自分は可能な限り目を通しています。

本書を読んで気が着いたのですが、作者越智春海氏が、本書を書くにあたり参考にしたのは、「戦史叢書」や「大東亜戦争全史」、「中国ビルマ戦記」、「回想ビルマ作戦」あたりがメインと思われます。
戦史叢書」は、東京都の大きな図書館(例えば東京都立図書館とか国会図書館とか)に行けば見れますが、個人購入するのは現在では困難です。
大東亜戦争全史」、「中国ビルマ戦記」は、中古のみ入手出来ます。
回想ビルマ作戦」は、新館で入手可能です。

これらのいずれの本も、ビルマ作戦では引用される定番の著作なのですが、簡単に信用ならないと言うのは、前述の通りです。

これらの資料を参考にして書くなら、自分でも書ける訳で、そこに元軍人、越智春海の軍隊経験を加味して書いています。
しかも面白い事に、元陸軍軍人でありながら、下手な作戦とか、ダメな司令部(または司令官)をこっぴどく批難して書いています。
これは、他の旧日本陸軍の元軍人の著作にはない特徴です。

これらは他人事ではなく、会社組織は、軍隊を参考に作られておりますので、会社組織に例えて読むと、現在でも心に突き刺さる事が多々あります。
会社の仕事で人は死にませんが、戦場では人が死にます。

読んだ結論から言うと、越智春海の視点については、面白いなと思いました。
当たり前ですが、自分には軍隊経験はないですからね。
しかし、目にする事が可能な本を元に書いているので、自分にとって目新しい情報はありませんでした。

次回は、本書の各章について、思うところを書きます。

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