H3001.伝説の名レース

2015年2月28日 (土)

2002年安田記念(東京GⅠ芝1600m)アドマイヤコジーン【後藤浩輝騎手追悼】

2015年2月26日-27日の夜間、JRAの後藤浩輝騎手が亡くなりました。
どうしてこのタイミングで、しかも自殺なんて最悪の選択をしたのか・・・分かりませんが、記憶に残る騎手でした。
追悼も兼ね、自分が後藤浩輝騎手の記憶に残る騎乗をチョイスしました。

アドマイヤコジーンは、父コジーン、母アドマイヤマカディ。

父コジーンは、しっぽ以外はほぼ白い芦毛。
アメリカで走り、当初はアメリカ競馬の主流、ダート路線でしたが、4歳で芝路線に転向すると、中距離GⅠで活躍し、重賞勝ちこそなかったもののその年の暮れに、ブリーダーズ・カップ・マイル(ハリウッドパークGⅠ芝8F=約1609m)3着。
翌5歳に本格化し、GⅢ、GⅡと勝ち、暮れのブリーダーズ・カップ・マイル(アケダクトGⅠ芝8F=約1609m)に優勝して、引退して種牡馬になりました。
幅広い距離の活躍馬を輩出し、ティッカネン、アルファベットスープ、スターオブコジーン等GⅠホースを輩出し、日本でもオークス(東京GⅠ芝2400m)優勝馬ローブデコルテ、そして本馬を輩出しました。
傾向としては、マイルから中距離に適性があり、奥手の馬が多かったように思います。

母アドマイヤマカディは未出走馬でしたが、母父ノーザンテースト、祖母ミセスマカディーは英1000ギニー(ニューマーケットGⅠ芝8F=約1609m)優勝馬。
つまりは、母系もマイラー傾向だったという事です。
持ち込みの外国産馬でした。

2歳秋京都競馬場でデビューし、3着でしたが、その後芝1600mで9馬身差で1勝目。
次走東京スポーツ杯3歳S(東京GⅢ芝1800m)も、1馬身1/2で優勝。
2歳チャンピオンを決める朝日杯3歳ステークス(中山GⅠ芝1600m)でも、1番人気に応えて優勝。
1998年JRA賞最優秀3歳牡馬に輝きました。

翌年、外国産馬でしたが、トライアルレースに好成績を収めれば、クラッシックにも出走可能だったのですが、故障を発生して春シーズン全休。
復帰は夏の札幌でしたが、この年6戦して未勝利。
この内、後藤騎手は2戦しましたが、11着と8着。
翌年も6戦して1勝も出来ず、もう終わった馬かに思われました。

2002年、再び鞍上が後藤騎手にめぐって来ます。
1月27日、東京新聞杯(東京GⅢ芝1600m)で、これまでとは違い、積極的に先行し、直線長い東京競馬場で逃げ馬に並びかけ、力で押し切り2年ぶりの優勝。
2月24日には、阪急杯(阪神GⅢ芝1200m)で、同じ乗り方をして2着ダンツキャストに3馬身1/2つける楽勝。
3月24日、スプリント王決定戦の高松宮記念(中京GⅠ芝1200m)は、同じ乗り方をしたものの、逃げたショウナンカンプを捕えられず、逆に3馬身1/2離され2着。
着差はありましたが直線短い中京競馬場、もっと早く仕掛けていればと、後藤騎手は悔しい思いをした事でしょう。

次走6月2日、安田記念(東京GⅠ芝1600m)に出走しました。

1枠 1番 レッドペッパー セン5 58 G.モッセ B.カン 1/2身 13人
1枠 2番 ミレニアムバイオ 牡4 58 柴田善臣 領家政蔵 1 1/2身 4人
2枠 3番 マグナーテン セン6 58 岡部幸雄 藤沢和雄 1/2身 10人
2枠 4番 アメリカンボス 牡7 58 江田照男 田子冬樹 クビ 16人
3枠 5番 ジューンキングプローン 牡5 58 S.イム I.アラン 1 1/4身 11人
3枠 6番 イーグルカフェ 牡5 58 田中勝春 小島太 クビ 14人
4枠 7番 トロットスター 牡6 58 蛯名正義 中野栄治 アタマ 6人
4枠 8番 ミヤギロドリゴ 牡8 58 大西直宏 高市圭二 クビ 18人
5枠 9番 ゴッドオブチャンス 牡4 58 四位洋文 和田正道 ハナ 12人
5枠 10番 ディヴァインライト 牡7 58 菅原勲 伊藤正徳 3/4身 9人
6枠 11番 グラスワールド 牡6 58 藤田伸二 鈴木勝美 ハナ 5人
6枠 12番 ゼンノエルシド 牡5 58 横山典弘 藤沢和雄 ハナ 3人
7枠 13番 エイシンプレストン 牡5 58 福永祐一 北橋修二 クビ 1人
7枠 14番 リキアイタイカン 牡4 58 武幸四郎 松田正弘 クビ 17人
7枠 15番 ダイタクリーヴァ 牡5 58 松永幹夫 橋口弘次郎 4身 8人
8枠 16番 トレジャー 牡4 58 北村宏司 藤沢和雄 ハナ 15人
8枠 17番 ダンツフレーム 牡4 58 池添謙一 山内研二 クビ 2人
8枠 18番 アドマイヤコジーン 牡6 58 後藤浩輝 橋田満 1.33.3 7人

1番人気は前走クイーンエリザベスⅡC(沙田GⅠ芝2000m)優勝のGⅠ3勝馬、エイシンプレストン。
2番人気は前年皐月賞(中山GⅠ芝2000m)、日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)共に2着のダンツフレーム。
3番人気は前年のマイルCS(京都GⅠ芝1600m)優勝馬、ゼンノエルシド。
アドマイヤコジーンは7番人気の人気薄。

逃げたのは、スタートは良くなかったが2の脚速かったゴッドオブチャンス、2番手マグナーテン、3番手香港調教馬ジューンキングプローン。
アドマイヤコジーンは4番手。
スタートから3F(600m)が34.4秒、1000m通過が57.6秒となかなかハイペース。
3-4コーナーけやきの向こう側から、アドマイヤコジーンが仕掛け気味に上がって行きました。
4コーナーは外を回ったせいで、馬場の中央にアドマイヤコジーンで、じわじわと1完歩ずつ逃げるゴッドオブチャンスとの差を詰めます。
アドマイヤコジーンが残り200m過ぎに先頭に立ちます。
馬群中央後方から、ダンツフレームが凄い脚で差して来ます。
インコースを突いて、ミレニアムバイオも伸びて来ました。
しかしその後もバテず、アドマイヤコジーンが力で押し切って優勝。

2年半ぶりのGⅠ制覇。
鞍上後藤騎手は、交流GⅠ優勝経験はありましたが、JRAGⅠ初制覇。
この乗り方で負けたらしょうがないと、腹をくくったか、後藤騎手に乗り替わってからの勝ちパターン・・・積極的に前に行き、直線早目先頭に立って押し切る・・・にこだわり優勝しました。

後藤騎手は競馬関係者のつてもなく騎手となりましたので、GⅠを取れるだけの馬に乗せてもらえるところまでこぎつけるのに、並大抵じゃない努力が必要だったでしょう。
1999年に若駒寮にて、後輩騎手である吉田豊に対して木刀を使うなどして負傷させる、「木刀事件」の不祥事を起こしました。
4カ月もの重い騎乗停止処分を受け、挽回するのは大変な事だったでしょう。
そしてなお、GⅠレースでの思い切りの良い騎乗・・・

後藤騎手はこのレース後、人目をはばからず号泣しました。

1着 アドマイヤコジーン 1:33.3
2着 ダンツフレーム クビ
3着 ミレニアムバイオ 1 1/2

余談ですが、今は無き銀座の高級ステーキハウス入きんは、時々後藤騎手も食べに行っていたようで、後藤騎手の鞭が飾ってありました。
自分が食べに行った時の話によると、この安田記念の時の鞭と聞いたような気がしますが、記憶違いかもしれません。

この後、スプリンターズS(新潟GⅠ芝1200m)2着、マイルCS(京都GⅠ芝1600m)7着、香港マイル(沙田GⅠ芝1600m)4着で、2002年JRA賞最優秀短距離馬に選ばれました。
これで引退して種牡馬になりました。
スプリンターズS(中山GⅠ芝1200m)優勝馬アストンマーチャン、スノードラゴンを輩出し、奥手の中距離、スプリンターを輩出しました。

もしもアドマイヤコジーンが、後藤騎手に出合っていなかったら・・・

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2015年1月31日 (土)

平成三強物語 まとめページ

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

平成三強物語は当初、平成三強が相まみえた1989年秋シーズンから開始しましたが、その後平成三強のデビューにさかのぼり、1989年春シーズンまで書きました。
残念ながら、ココログは、ブログ記事の順番を自由には変えられないようです。
そのため、平成三強物語のカテゴリを開いても、時系列がバラバラです。
そこで、このページで、時系列に並べてリンクする事にしました。

長い期間の執筆だったので、書き方が途中で変化したりしましたが、気が付いた範囲で修正しました。
スーパークリークの扱いが雑だったので、1記事から3記事に分け、追記しました。
1989年のイナリワンの記事を修正して、2記事から3記事に分けました。
1989年 オールカマー(中山GⅡ芝2200m)、1989年、1990年 京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)を新たに加筆しました。

本当はこの当時活躍した外国馬、トニービン、ホーリックス、ベタールースンアップの外伝も書きたいところだったのですが、レース映像が少ないので断念しました。

なお、可能な限り修正はしましたが、その後映像のデッド・リンクも出るでしょう、ご容赦願います。

平成三強物語 - 1986年-1987年 イナリワン(1)

平成三強物語 - 1987年-1988年 オグリキャップ(1)

平成三強物語 - 1988年 イナリワン(2)

平成三強物語外伝 - チヤンピオンスター

平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(1)

平成三強物語 - 1988年 オグリキャップ(2)

平成三強物語外伝 - ヤエノムテキ

平成三強物語外伝 - タマモクロス

平成三強物語 - 1988年 毎日王冠(東京GⅡ芝1800m) オグリキャップ(3)

平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(2)

平成三強物語 - 1988年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m) オグリキャップ(4)

平成三強物語 - 1988年 菊花賞(京都GⅠ芝3000m) スーパークリーク(3)

平成三強物語外伝 - サッカーボーイ

平成三強物語 - 1988年 全日本サラブレッドカップ(笠松重賞ダート2500m) イナリワン(3)

平成三強物語外伝 - フエートノーザン

平成三強物語 - 1988年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m) オグリキャップ(5)

平成三強物語 - 1988年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)

平成三強物語 - 1988年 東京大賞典(大井重賞ダート3000m) イナリワン(4)

平成三強物語 - 1989年 イナリワン(5)

平成三強物語 - 1989年 天皇賞春(京都GⅠ芝3200m) イナリワン(6)

平成三強物語 - 1989年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m) イナリワン(7)

平成三強物語 - 1989年 オールカマー(中山GⅡ芝2200m)

平成三強物語外伝 - ロジータ

平成三強物語 - 1989年 毎日王冠(東京GⅡ芝1800m)

平成三強物語 - 1989年 京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)

平成三強物語 - 1989年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)

平成三強物語 - 1989年 マイルチャンピオンシップ(京都GⅠ芝1600m)

平成三強物語 - 1989年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)前編

平成三強物語 - 1989年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)後編

平成三強物語 - 1989年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)

平成三強物語 - 1990年 阪神大賞典(阪神GⅡ芝3000m)

平成三強物語 - 1990年 産經大阪杯(阪神GⅡ芝2000m)

平成三強物語 - 1990年 天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)

平成三強物語 - 1990年 安田記念(東京GⅠ芝1600m)

平成三強物語 - 1990年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)

平成三強物語 - 1990年 京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)

平成三強物語 - 1990年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)

平成三強物語 - 1990年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)

平成三強物語 - 1990年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)

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平成三強物語外伝 - ロジータ

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、間違えなく公営最強牝馬、そしてもしかすると公営歴代最強馬にも挙げられる伝説の牝馬、ロジータについて書きます。

ロジータの父は、イナリワンと同じミルジョージ。
ミルジョージの父は、英ダービー(エプソムGⅠ芝12F約2414m)、キングジョージ(アスコットGⅠ芝12F約2414m)、凱旋門賞(ロンシャンGⅠ芝2400m)勝ちの名馬、ミルリーフ。
ミルジョージはアメリカで走り、4戦2勝と凡庸の成績ながら、名馬ミルリーフの仔と言う事で、1970年代後半から日本で種牡馬として供用されるようになり、この時期、南関東公営でもロッキータイガーやイナリワン等、一流馬を輩出していました。

この当時他にも、オサイチジョージ、翌年にはエイシンサニーと活躍馬を出し、ミルジョージの血統が爆発していました。

母はメロウマダングで、競争成績は4戦3勝。
繁殖に入り、最初の産駒は競争馬デビュー出来ず、次がこのロジータでした。
通算10頭産んで、8頭が競争馬デビューし、分かる範囲で7頭が1勝以上、ロジータ以外にも重賞勝ち馬を出す優秀さ。

生まれた高瀬牧場の片隅に、百合の1品種、ロジータが咲いていたため、それを馬名にしました。
ロジータは本格化してからは非常に後肢の力が強く、馬房で暴れた際には天井の板を蹴破って壊したこともあったそうです。
所属厩舎は、川崎競馬の福島幸三郎。
この時点での調教師成績は、調べましたが分かりませんでした。

主戦騎手は、野崎武司。
1979年11月デビューでしたが、初勝利は翌年2月、ここまで重賞勝利がない地味な騎手。
当時川崎には、後に前人未到の通算7151勝する当時から生ける伝説の騎手、佐々木竹見もいましたが乗り変わる事なく、引退までずっと野崎騎手がパートナーとして騎乗し続けました。

デビューは1988年10月7日、川崎競馬場の新馬戦、不良馬場のダート900mで、1番人気に応え、2馬身差で優勝しました。
10月25日、川崎競馬場の2歳(※1)条件戦、良馬場のダート1400mで、キタサンコールに0.7秒も離された2着。
11月20日、川崎競馬場の2歳カトレア特別、良馬場のダート1400mで、1番人気に応え、2着レピユートに0.4秒差をつけ優勝。


12月14日ロジータは、南関東の2歳牝馬最強決定戦、重賞の東京3歳優駿牝馬(大井重賞ダート1600m※2)に出走しました。
ちなみに当時の公営競馬では、中央競馬と異なりグレード制はなく、何段階かの条件戦、重賞の区別しかありませんでした。

1番人気は当時、大井の帝王と呼ばれた騎手、的場文男のエスエスレデイー。
新馬2着以降2連勝中で、的場人気もあったでしょう。
2番人気は、南関東で毎日騎乗していると言われて、前年から年間200勝越えの南関東のトップジョッキー、石崎騎手のフジノダンサー。
ここま6戦3勝でしたが、前走は2歳重賞の星雲賞で、牡馬に交じって出走し、5着と健闘。
さらにこちらも、石崎人気もあったでしょう。
3番人気がロジータ。
このレースは映像もなく、レース展開情報もありませんので結果を書きますが、上記人気通りの着順でした。

1着 エスエスレデイー 1:44.5
2着 フジノダンサー 2 1/2
3着 ロジータ クビ

2歳時は、4戦2勝とまあまあですが、ミルジョージ産駒はおおむね、奥手の傾向がありました。
2歳早くから勝ちまくる産駒は、少なかったです。
また休み明けに強く、使い減りする産駒も多かったですが、逆に連闘にもへこたれないタフな産駒も、少ないですがいました。


翌1989年1月3日ロジータは、中2週で浦和競馬場の3歳重賞、ニューイヤーC(浦和重賞ダート1600m)に牡馬と混じり出走しました。

1番人気はここまで8戦4勝の牡馬で、前回川崎の2歳最強決定戦、全日本3歳優駿(※2)3着で、これが評価されたと思われます。
2番人気は東京3歳優駿牝馬(※2)3着のロジータ。
3番人気はここまで5戦2勝の牡馬で、前走船橋の2歳重賞、平和賞で2着のガバナーホウリユウ。

このレースも映像もなく、レース展開情報もありませんので結果を書きます。

1着 ロジータ 1:41.1
2着 クインスワロー 1
3着 マクシミリアン 1 1/2

ロジータも鞍上の野崎騎手も、併せて重賞初勝利しました。
ちなみに父ミルジョージの特徴の1つに、連闘など間隔を詰めて使うと活躍する特徴がありました。
反面、使い減りしやすいので、何度も同じ手を使うと、馬が潰れましたが。


2月8日ロジータは、中4週で大井競馬場の3歳重賞、京浜盃(大井重賞ダート1700m)に牡馬と混じり出走しました。

1番人気はここまで5戦2勝ながら、前走大井競馬のオープン競争勝ちのトウケイグランデイ。
2番人気はここまで7戦3勝で、前走全日本3歳優駿(※2)勝ちのミルユージ。
3番人気はここまで4戦3勝2着1回と、連対率100%で、前走東京3歳優駿牝馬(※2)勝ちのエスエスレデイー。

6番人気ロジータは前走重賞勝ちでしたが、グレードの低い重賞でしたし、南関東競馬では大井より格下に見られていた浦和で勝利しても、大井競馬で通用するか疑問に思われていたのでしょう。
このレースも映像もなく、レース展開情報もありませんので結果を書きます。

1着 ロジータ 1:50.5
2着 トウケイグランデイ 1/2
3着 ダイカツペーサ 4

年開けて本格化したロジータが、重賞2連勝。
奇しくもこの後ライバルとなる牡馬、トウケイグランデイとの初対決を制しました。


4月4日ロジータは、中8週と間隔をあけて、南関東牝馬クラッシックの浦和競馬場の3歳牝馬重賞、浦和桜花賞(浦和重賞ダート1600m)に出走しました。

1番人気はここまで6戦4勝で、重賞2連勝中のロジータ。
前走牡馬混合の大井の重賞で、2歳牡馬チャンピオンと、2歳牝馬チャンピオンを負かしたので人気になったのでしょう。
2番人気はここまで8戦5勝、3連勝中の川崎競馬所属ケイシユウマドンナ。
3番人気はここまで5戦3勝、地元浦和競馬所属、ゴールドメロデイ。
これは鞍上の生ける伝説の騎手、佐々木竹見人気もあったでしょう。

逃げたのは2番人気ケイシユウマドンナ、2番手は3番人気ゴールドメロデイ、3番手リアルトーク。
ロジータは5番手の中団。
ゴールドメロデイは、先頭に立とうとケイシユウマドンナの外から被せて行きますが、ケイシユウマドンナはコーナーを利して先頭を譲らず。
2コーナー回り、向こう正面で先行グループは、早くも仕掛けて上がって行きました。
中でもロジータは脚色良く、3コーナーからひとまくり、先頭に並びかけます。
4コーナー手前では、大外を回ったのに、危なげなく先頭に立ち、後続からは何も来ません。
一度は後退するかに見えたケイシユウマドンナは、直線で再び盛り返しますが、ロジータに追いつけません。
後退したゴールドメロデイに代わり、リアルトークが追いかけますが、ケイシユウマドンナさえ交せそうにありません。

1着 ロジータ 1:41.7
2着 ケイシユウマドンナ 2 1/2
3着 リアルトーク 2

着差以上に、ロジータの楽勝でした。
しかも目いっぱいの競馬ではなく、直線余裕さえありました。


5月10日ロジータは、中4週で南関東牝馬クラッシックへは進まず、牡馬クラッシック第1弾、大井競馬場の羽田盃(大井重賞ダート2000m)に出走しました。
羽田盃は、中央競馬で言うと皐月賞(中山GⅠ芝2000m)に当たります。

1番人気はここまで7戦5勝で、重賞3連勝中の紅一点、ロジータ。
2番人気は7戦3勝2着4回で、前走大井競馬場の重賞、黒潮杯に勝利したトウケイグランデイ。
3番人気はここまで4戦3勝、前走黒潮杯で3着のホクテンホルダー。
多分に鞍上の大井の帝王、的場騎手人気もあったでしょう。

逃げたのはホクテンホルダー、2番手リバテイリツチ、3番手カツノオーザー。
その後黒潮杯カゴヤツヨシが2番手に上がりました。
トウケイグランデイは中団で、すぐ後ろにロジータが付けました。

3コーナーまで淡々と進み、3-4コーナーで先頭グループは勝負どころと追い出します。
トウケイグランデイもロジータも、じっと中団のまま。

直線向いて、逃げたホクテンホルダーが粘りますが、中団から凄い脚でトウケイグランデイとロジータが上がって来ます。
残り150m、先頭を捉えたトウケイグランデイの鞍上、本間茂騎手は勝ったと思ったかも知れません。
しかしロジータの脚色が勝ります。
ロジータは残り50mでトウケイグランデイにならびかけ、1/2馬身ねじ伏せゴール。
3着は逃げ粘ったホクテンホルダー。

1着 ロジータ 2:10.2
2着 トウケイグランデイ 1/2
3着 ホクテンホルダー 2 1/2

トウケイグランデイは完璧な騎乗でしたが、それでもなおロジータに敵いませんでした。
羽田盃の牝馬優勝は、1981年のコーナンルビー以来2頭目。


6月8日ロジータは、中3週で牡馬クラッシック第2弾、大井競馬場の東京ダービー(大井重賞ダート2400m)に出走しました。
東京ダービーは、中央競馬で言うと日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)に当たります。
日本ダービーと同じく、南関東公営所属馬全ての、最大目標のレースです。

1番人気はここまで8戦6勝で、重賞4連勝中の紅一点、ロジータ。
2番人気は8戦3勝2着5回で、前走羽田盃2着のトウケイグランデイ。
3番人気はここまで5戦3勝3着2回、前走羽田盃3着のホクテンホルダー。

逃げたのはこのレースもホクテンホルダー、2番手競ってキクカグツトラツク、3番手離れた後方マンリーケープ。
このレースではトウケイグランデイは5番手と先行、ロジータは中団よりやや後ろ。
ホクテンホルダーはその後ペースを落とし、正面スタンド前ではハツピイージエイクが上がり3番手。
2コーナー回る頃には、スピードの違いか、ロジータはスムーズに先行グループのすぐ後ろに進出。
3-4コーナーで仕掛け、4コーナーでは逃げたホクテンホルダーの大外からロジータが被さって来ました。

直線向くと、ロジータは余裕の手応えで、手綱を押さえていてもホクテンホルダーを交す勢い。
この2頭は脚色違い、後方を離す一方。
残り200mでロジータが追い出すと、あっさりホクテンホルダーを交し、3馬身突き放してゴール。
2着は粘ったホクテンホルダー、3着は追い込んで来たマンリーケープ。

1着 ロジータ 2:40.9
2着 ホクテンホルダー 3
3着 マンリーケープ 1

ロジータは全く危なげない競馬でした。
牝馬による牡馬2冠は、南関東競馬史上初。
恐らく父ミルジョージのステイヤー血統で、距離伸びてますます力を発揮したのでしょう。
王位の帝王、的場文男騎手のトウケイグランデイは2着。

現在も的場文男騎手は東京ダービーを勝てず、現在まで32回挑戦してこのレース含め最高が2着8回。
この事は大井競馬の不思議と呼ばれています。

ちなみに過去には、的場騎乗のマルゼンアデイアル、ナイキジャガーは羽田盃圧勝後、故障で東京ダービーに出走出来ず。
羽田盃で単勝1.0倍と、圧倒的人気を集めたベルモントドリームは、羽田盃競走中骨折、予後不良となりました。
東京ダービー単勝1.1倍のブルーファミリーは、的場騎手には珍しくスタートで出遅れ、良いところなく5着。
呪われているとしか思えません。

トウケイグランデイは見せ場なく、後方のまま8着。
この時点では、距離が長かったとも、差し馬なのに先行した騎乗ミスとも言われました。


7月12日ロジータは中4週で、人気投票で選出され出走出来る川崎競馬場の重賞、報知オールスターカップ(川崎重賞ダート1600m)に出走しました。
川崎競馬では重賞ですが、当時の賞金1千4百万円。
大井競馬の重賞の半分以下の賞金で、大井競馬ならオープン特別程度の賞金。
もしロジータが大井競馬所属なら出走したでしょうか?

1番人気は3歳牝馬で、古馬との初対戦ながら、ここまで9戦7勝で重賞5連勝中のロジータ。
しかも牝馬で史上初、牡馬クラッシックの羽田盃、東京ダービー2冠です。
2番人気は一昨年東京ダービー優勝のウインドミル。
3番人気は前走かしわ記念(船橋重賞ダート1600m)4着のシヤインジヤガー。

逃げたのは2番人気のウインドミル、2番手ニシケンキング、3番手シヤインジヤガー。
生ける伝説の騎手、佐々木竹見騎乗の牝馬、ダイタクジーニアスは4番手。
ロジータはスタートは良かったですが、中段に付けました。
残り3Fから競馬が動いて、2番手ニシケンキングがウインドミルの外に被せて来ました。
ロジータも馬なりで、大外を上って行きました。
ダイタクジーニアスも3-4コーナー中間から手を動かし、上って行き、インコースを突きました。

直線向いて、ニシケンキングは力尽きて脱落。
先頭のウインドミルに、インコースからダイタクジーニアス、大外からロジータが襲いかかります。

一度はロジータが先を行くダイタクジーニアスに迫りましたが、ゴール前で力尽き、1馬身差つけられました。

ダイタクジーニアスが1987年東京プリンセス賞、1988年キヨフジ記念(現エンプレス杯)、1988年浦和記念に続いて重賞4勝目。
コースロスなく、インコースを突いたのが1つの勝因ではありましたが、佐々木竹見の卒のない騎乗、直線での腕っ節も大きかったでしょう。
残念ながらロジータは、古馬との初対戦で敗れました。
3着は良く粘ったウインドミル。

1着 ダイタクジーニアス 1:41.9
2着 ロジータ 1
3着 ウインドミル 1/2

ロジータはステイヤー血統の父ミルジョージと言う事もあり、ダート1400mは距離不足と言う事もあったでしょうね。


9月17日、かねてからの予定通り、ロジータは中央競馬の芝の交流レース、オールカマー(中山GⅡ芝2200m)に出走します。
当時このレースは、数少ない中央競馬と公営競馬の交流レースで、かつこのレースの公営最先着馬がジャパンカップの出走権を得られるレースでもありました。

このレースについては、平成三強物語 - 1989年 オールカマー(中山GⅡ芝2200m)に簡単に書いていますので、こちらを参照願います。
公営川崎所属馬ながら、3番人気に支持されましたが、5着に敗れました。
1着は怪物オグリキャップでしたし、出走した公営馬では最先着して、ジャパンカップの出走権を得ました。


11月3日にロジータは、南関東公営の牡馬三冠最終戦、東京王冠賞(大井重賞ダート2600m)に出走します。
次走はジャパンカップ出走を予定していたロジータでしたが、南関東公営史上初の牝馬による牡馬2冠馬も、怪物オグリキャップを負かせるとは思っていなかったでしょう。
このレースの方が、気合が入っていたと思います。

1番人気はここまで重賞5勝、南関東史上初の牝馬の牡馬クラッシック2冠馬、ロジータ。
2番人気は羽田盃(大井重賞ダート2000m)2着馬、トウケイグランデイ。
前走は、古馬混合のおおとり賞(大井オープンダート2000m)で54kgを背負い、3着と好走しています。
3番人気はおおとり賞(大井オープンダート2000m)で50kgを背負い、2着のマンリーケープ。

スタートして今日はトウケイグランデイが積極的に逃げました。
2番手はゴールデンブロウで、外からトウケイグランデイを抜いて先頭に立とうと、並びかけます。
3番手は間が空きマンリーケープ。
ロジータは中段よりやや後方。
スタートからの1000mは、およそ1分4秒7くらい。

1コーナー過ぎた頃には馬なりで、ロジータが中段まで進出しました。
2コーナー過ぎ、向こう正面ではロジータが先団のすぐ後ろまで進出しました。
3コーナーでは先頭グループ後方、4番手まで進出して、ゴールデンブロウはここで脱落して後退。
4コーナーでは、代わって2番手に上ったマンリーケープの外に、並びかけました。

直線向いて、野崎騎手がロジータを追い出すと、最初モタモタしますがすぐに伸び、残り200mで先頭のトウケイグランデイに並びかけます。
マンリーケープはインコースを突き、これまたトウケイグランデイに迫りました。
ロジータがトウケイグランデイをねじ伏せるように、3/4馬身突き放してゴール。

ロジータが牝馬にして、南関東牡馬公営三冠に輝きました。
これは後にも先にも、ロジータしか達成していません。

1着 ロジータ 2:53.0
2着 トウケイグランデイ 1
3着 カゴヤツヨシ ハナ

ちなみに、南関東の牡馬三冠はその後レース体系を変え、東京王冠賞は廃止。
1999年から南関東の牡馬三冠は、羽田盃(大井SⅠダート1600m・・・現在はダート1800m)、東京ダービー(大井SⅠダート2000m)、ジャパン・ダート・ダービー(大井GⅠダート2000m)となりました。
SⅠと言うのは、南関東公営内のみのGⅠレースのようなものです。
JRA、そして海外から見ると、グレードなし重賞競争の扱いとなります。
ジャパン・ダート・ダービーのみ、他場公営所属馬、JRAが参戦出来るため、日本国内ではGⅠとなります。
しかしジャパン・ダート・ダービーも、外国馬が参戦出来る国際競争ではないため、世界から見るとGⅠレースの認識ではなく、グレードなし重賞競争の扱いとなります。

JRAがダートにも力を入れると、たちまちJRAに追い越され、1999年から制定されたジャパン・ダート・ダービーで、公営所属馬の優勝は16回中4回しかありません。
2011年に、牝馬のクラーベセクレタが羽田盃、東京ダービーを制してロジータ以来の2冠に輝きましたが、ジャパン・ダート・ダービーでJRA勢に敵わず3着に敗れました。

11月26日にロジータは、中央競馬のジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)に出走します。
このレースは、平成三強物語 - 1989年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)後編に詳しく書いていますので、こちらを参照願います。

ホーリックスが驚異的ハイペースで、ジャパンカップ史上初、ニュージーランド馬の優勝。
しかも芝2400mの驚異的世界レコードのおまけまでつきました。
アタマ差迫った怪物オグリキャップがタイム差なく2着。
驚異的ハイペースについて行けなかったロジータは、終始後方のまま、最下位15着に敗れました。
ロジータのタイムは、2分26秒9ですから、中央競馬の芝2400mの重賞なら、悪くない時計です。


12月29日にロジータは、公営競馬の最高額賞金レース、東京大賞典(大井重賞ダート2800m)に出走しました。
東京大賞典は、中央競馬の有馬記念のようなレースです。
昨年までダート3000mの競争でしたが、この年からダート2800mに短縮されました。
その後1998年には、ダート2000mに改められます。
現在は他場公営所属馬、JRA、外国馬が参戦出来るため、国際的にもGⅠ認定ですが、この当時は南関東所属馬しか出走出来ない重賞でした。

1番人気は何と、大井の帝王、的場文男騎手を鞍上に、岩手盛岡競馬の強豪、3歳牡馬スイフトセイダイ。
このレースのために、大井競馬の福永二三厩舎に転厩して来ました。
2歳時は9戦9勝で、岩手競馬2歳チャンピオンに輝き、開け3歳は最初の2戦共に2着に敗れますが、その後敵なく6連勝し、古馬混合の不来方賞(盛岡重賞ダート1900m)、他場公営所属馬交流重賞のダービー・グランプリ(水沢重賞ダート2000m)を含む、重賞4勝。
ここまで17戦15勝2着2回と、完璧な競争成績です。
ダービー・グランプリは、他場公営所属3歳馬が参加可能な交流重賞として、1986年に制定されましたが、当初は南関東大井勢に敵いませんでした。
この年、1989年にスイフトセイダイが、岩手競馬所属馬として初優勝しました。
当時の岩手競馬はレベルが高く、グレートホープと言う強い馬もいましたが、この頃のスイフトセイダイには敵いませんでした。
岩手競馬ではこの頃を、スイフトセイダイ、グレートホープの頭文字を取って、SG時代と言います。
人気でも分かる通り、スイフトセイダイは牡馬と言う事もあり、下馬評はロジータより高かかったです。

2番人気は牝馬でここまで重賞6勝、南関東牡馬3冠に輝いたロジータ。
ロジータの勝ったレースは、ここまで時計が良くなく、かつ強いライバルもいませんでした。

離れた3番人気は、春に金杯(大井重賞ダート2000m)優勝、秋に東京記念(大井重賞ダート2400m)優勝のスーパーミスト。

ちなみに自分、このレースは大井競馬場のスタンドで見ていました。
パドックで初めて見たスイフトセイダイは、550kgを越す雄大な馬体でしたが、その割にはバランスが良かったです。
しかし自分の競馬の師匠との意見が一致したのは、一流馬としては少し太い・・・でした。
残念ながら当時、レベルの高かった大井競馬でも、太い馬は結構いました。

ゲートが空いて、スーパーミスト、トウケイグランディが逃げようとしますが、外から押しつけてスイフトセイダイが逃げました。
2番手は先頭を譲ったスーパーミスト。
3番手は同じく、競り合う事を避けたトウケイグランディ。
ロジータは先団グループのすぐ後ろ、4-5番手を追走しています。

最初の直線向いて、スタートからの1000mがおよそ1分4秒ですから、当時の大井競馬としてはややペースは速いです。
そこにスーパーミストが絡んで来て、逃げたスイフトセイダイは、並みの馬なら直線まで持たないだろうと思いました。
いくら岩手で活躍したからと言って、この辺は大井競馬の意地もあったでしょうね。
ロジータはトウケイグランディの外、4番手に上りました。

3コーナーまで逃げるスイフトセイダイに、スーパーミストが外から絡み、レースを見ていた自分はこの時点で、スイフトセイダイはダメだろうと思いましたね。
3コーナー過ぎからスイフトセイダイがペースを上げ始めますが、スーパーミストもついて行き、併走します。
ロジータはトウケイグランディを交わし、3番手に上りました。
スイフトセイダイの鞍上的場騎手は、手ごたえが良かったのか、2度も後ろを振り返る余裕。

4コーナー周り、競ったスーパーミストの方が手応え悪く、スイフトセイダイが追い出し突き放しました。
もしかすると一瞬、的場騎手は勝ったと思ったかも知れません。
ペースについてゆけなかったか、後方から何も来ません・・・ただ1頭、ロジータを除いては。

歴戦の古馬含む、他馬が直線でもがく中、先頭に立ち懸命に追うスイフトセイダイを馬なりでロジータが交わし、残り200m手前で先頭。
その後スイフトセイダイとの着差を広げ、4馬身差の楽勝。
2着は厳しい競馬を逃げ粘ったスイフトセイダイ。
3着は後方から追い込んで来た船橋のプリンス、コリムプリンス。

1着 ロジータ 2:53.0
2着 スイフトセイダイ 4
3着 コリムプリンス 1 1/2

もしもスーパーミストが終始絡まなければ、どんな結果になっていたでしょう?

スイフトセイダイはこの翌年、岩手競馬場に戻り5戦3勝2着2回と活躍、新潟競馬場に転戦し東北サラブレッド大賞典(新潟重賞ダート1800m)に優勝。
返す刀で、大井競馬に挑戦しますが、グランドチャンピオン2000(大井重賞ダート2000m)、東京大賞典(大井重賞ダート2800m)とも北関東から転籍して来ていたダイコウガルダンに敗れ2着。
大井競馬で重賞勝利はなりませんでしたが、敗れたのは当時、ダートを走らせたら日本一だったかも知れないダイコウガルダン。
この当時のスイフトセイダイは、間違えなく日本のダートでは有数の強豪でした。

このレースの戦前疑問視されたロジータの実力は、それを上回る、文句なしの超一流でした。


明け1990年2月12日、ロジータは引退レースとして、川崎記念(川崎重賞ダート2000m)に出走します。
ちなみに川崎記念は、この年から全国公営競馬の交流レースとなりました。

1番人気はもちろん、ここまで14戦9勝、重賞7勝のロジータ。
2番人気は笠松から遠征して来たイーグルジャム。
東海公営で1989年マーチC(笠松重賞ダート1900m)、1989年東海大賞典(笠松重賞ダート1900m)、1989年ウインター争覇(笠松重賞ダート1900m)の重賞3勝しています。
3番人気は前走条件戦勝利のダービーラウンド。

逃げたのはダービーラウンド。
2番手はイーグルジャム、3番手は生ける伝説の騎手、佐々木竹見騎乗のワールドプラツク。
先団グループと後方グループの2つに分かれ、ロジータは後方グループの前につけました。
最初の直線では、ワールドプラツクが2番手に上りました。
イーグルジャムは控え、後方グループに付け3番手。
3コーナーからロジータが上って行き、ワールドプラツクを交わし、逃げるダービーラウンドの外に付け、4コーナー手前では併走から先頭に出ました。
ダービーラウンドは追いますが、ロジータは馬なりのまま後方を離します。
そのまま直線300mと短い直線だけで、8馬身差を付けて優勝。

2着は逃げ粘ったダービーラウンド、3着直線追い込んだイーグルジャム。
ロジータは、相手関係がかなり楽だったとは言え、ぶっ千切りで勝ちました。

1着 ロジータ 2.10.0
2着 ダービーラウンド 8
3着 イーグルジャム 5


前述のダイコウガルダンが、北関東宇都宮競馬場、東北上山競馬場と転戦して活躍し、1990年に大井競馬場の高岩隆厩舎に転厩して本格化すると、手がつけられないような強さとなりました。
さらに翌年の1991年にはイナリワンの同期、チャンピオンスターが復調して、これまた手がつけられないような強さとなりました。
もしロジータが現役を続けたら、いずれが強かったか、興味は尽きません。

この後繁殖牝馬となり、15頭中14頭が競争馬となり、1勝以上が12頭と、コンスタントに活躍馬を出しました。
カネツフルーヴの2002年帝王賞(大井GⅠダート2000m)で重賞およびGⅠ初制覇します。
初仔のシスターソノは繁殖牝馬としても成功し、ダービー・グランプリ(盛岡GⅠダート2000m)、川崎記念(川崎GⅠダート2100m)、JBCクラシック(大井GⅠダート2000m)とGⅠ3勝のレギュラーメンバーを輩出しました。


これを持ちまして、平成三強物語は、全て終了となります。
1987年頃から、1990年頃までの、JRA、公営競馬を含めた主な日本の競馬について、ほぼ語れたと思います。
長い間、お付き合いありがとうございました。

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平成三強物語 - 1990年 京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の三強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成三強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、スーパークリークの1990年秋復帰戦、京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)ついて記します。

スーパークリークは、天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)に勝利した後、筋肉痛が回復せず、宝塚記念を回避。
凱旋門賞挑戦と言う話もありましたが、白紙となりました。
天皇賞秋の天皇賞3連覇を目指し、ひと叩きに10月7日の京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)に出走して来ました。
スーパークリークに恐れをなしたか、多くの馬が回避して6頭立てとなりました。

菊花賞(京都GⅠ芝3000m)、天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)、天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)とGⅠ3勝しているスーパークリークは、圧倒的1番人気で単枠指定されました。
単枠指定とは、この頃馬連はありませんでしたので、特に人気がかぶりそうな馬は、人気馬が取り消したら払い戻しされるよう、その枠に人気馬1頭しか入れない制度です。

2番人気は1989年日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)2着、菊花賞(京都GⅠ芝3000m)3着のリアルバースデー。
3番人気は重賞未勝利のオープン馬、トップファイナル。
ぶっちゃけ、楽な相手関係です。

逃げたのはファンドリポポ、2番手スーパークリーク、3番手トップファイナル。
スタートから3F(600m)のタイム38.4、1000mのタイム1分3秒5と、重馬場とは言えスローペース。
3コーナー過ぎ、リアルバースデーが追い出し、3番手トップファイナルに並んで行きました。

直線向いて、スーパークリークの鞍上武豊騎手が気合を入れると、ほとんど馬なりで逃げたファンドリポポを交し、先頭に立ちました。
リアルバースデーが懸命に追い、差を詰めようとしますが、馬なりのスーパークリークを交せそうにありません。
ゴール前でリアルバースデーがファンドリポポを交し、スーパークリークに1/2馬身差、2着に上がったところまでが精一杯。
万馬券ホース、サンドピアリスがもの凄い脚で追い込み、ゴール前リアルバースデーにハナ差まで迫りました。

1着 スーパークリーク 2:25.0
2着 リアルバースデー 1/2
3着 ハツシバエース ハナ

スーパークリークの着差は僅かでしたが、武豊が無理しなかったためで、追えば着差は広がったでしょう。

スーパークリークは次走、天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)目指しますが、左前脚の繋靭帯炎となり回避。
復帰を目指しましたが、そのまま引退が決定しました。

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平成三強物語 - 1989年 京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の三強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成三強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回はまず、平成三強のもう1頭、スーパークリークについて記します。

スーパークリークは、翌年春シーズンは、後脚の筋肉痛が抜けず全休。
その間、武豊はイナリワンに乗り、天皇賞春、宝塚記念と古馬GⅠを連勝しますが、秋にはスーパークリークに騎乗予定のため、あくまで春シーズンのみと言う条件だったそうです。

スーパークリークは、天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)の前のひと叩きとして、京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)に出走して来ました。
スーパークリークは単枠指定されました。

単枠指定とは、この頃馬連はありませんでしたので、特に人気がかぶりそうな馬は、人気馬が取り消したら払い戻しされるよう、その枠に人気馬1頭しか入れない制度です。

このレースには他にも、天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)2着、宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)3着のミスターシクレノン、朝日チャレンジC(阪神GⅢ芝2000m)に快勝して勢いに乗るハツシバエース、春に阪神大賞典(阪神GⅡ芝3000m)勝ちのナムラモノノフなどが出走して来ました。
しかしスーパークリークに恐れをなしたか、他は条件馬か、重賞を勝っていても近走の成績は冴えない馬ばかり、小頭数10頭立て。

逃げたのは押して、3歳条件馬のファーストホーム、2番手はハツシバエース、3番手ナムラモノノフ。
ミスターシクレノンはそのすぐ後、スーパークリークはミスターシクレノンのすぐ後ろに付けました。
ファーストホーム、ハツシバエース、ナムラモノノフが競るように並走し、スタートから3F(600m)のタイム35.8と平均ペース、1000m通過60.2ちょペースは落ちません。

向こう正面でナムラモノノフが力尽きて後退、押し出されるようにミスターシクレノンが3番手に上がりました。
3-4コーナーでミスターシクレノンが先団を射程圏に進出、その外からスーパークリークも上がって来ました。

4コーナ回り、その時点でミスターシクレノンが先頭。
すぐ外にぴったりと、スーパークリークも馬体を併せています。
この2頭と他馬の脚は次元が違い、マッチレースとなり、後続は突き離されます。
なかなかミスターシクレノンは抜かせませんでしたが、100m手前で両馬並ぶと、残り50mにはスーパークリークがミスターシクレノンをねじ伏せ、3/4馬身差をつけて勝ちました。

今にして映像を見ると、ゴール手前までマッチレースだったのに、最後50mでこれだけ差をつけるのは凄いですね。
たかだか3/4差ですが、ミスターシクレノンとは格が違う感じです。
またこのレース、スーパークリークにとって目一杯の競馬には見えません。

1着 スーパークリーク 2:25.0
2着 ミスターシクレノン 3/4
3着 ハツシバエース 大

スーパークリークは次走、天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)で初めて、オグリキャップ、イナリワンの平成三強対決となります。

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平成三強物語 - 1989年 オールカマー(中山GⅡ芝2200m)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の三強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成三強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、平成三強の中心とも言うべき、オグリキャップの1989年休み明け、オールカマー(中山GⅡ芝2200m)について書きます。

明けて1989年、オグリキャップには、更なる飛躍が待っているはずでしたが、馬主の佐橋氏が脱税によって馬主資格を喪失しました。
それを近藤俊典氏が買いましたが、後にその金額は、2年間5億5千万だったと言われています。
当時のGⅠレースは、現在とは違い、1億未満から、1億少々・・・最低年間GⅠ3勝、またはGⅠ2勝でも、GⅡも2勝位しなければ、赤字でした。

さらに、右前脚の球節捻挫、その後繋靭帯炎を発症し、春シーズンを全休。
復帰戦として、当初毎日王冠の予定を繰り上げて、9月17日にオールカマー(中山GⅡ芝2200m)に出走して来ました。
しかも1989年のジョッキーは、タマモクロスで一流ジョッキーの仲間入りをした、豪腕南井克己騎手。

圧倒的1番人気は、単枠指定のJRAのオグリキャップ。
単枠指定とは、この頃馬連はありませんでしたので、特に人気がかぶりそうな馬は、人気馬が取り消したら払い戻しされるよう、その枠に人気馬1頭しか入れない制度です。
2番人気は宝塚記念で人気になったが、期待に応えられなかったJRAのキリパワー。
3番人気は公営川崎競馬所属、牝馬で南関東公営牡馬クラッシック2冠のロジータ。
オールカマーは当時、ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m・・・以後JC)の地方出走馬決定レースでした。

逃げたのはJRAのベルクラウン、2番手はJRAのミスターブランディ、3番手は公営名古屋競馬場所属のサンリナール。
オグリキャップは5番手と、中段前目に付けました。
スタートからの3F(600m)は36.2、1000m通過は1分1秒6とスロー気味の展開。
3-4コーナーでは徐々に上って行き、4コーナーを4番手で回りましたが、ベルクラウンを交して先頭に立ったミスターブランディまで、まだ5馬身くらいありました。
直線馬なりで3番手まで進出して、残り300m弱で鞍上南井騎手が軽く気合を入れると、次元の違う脚を繰り出し100m手前に先頭に立つと、手綱を抑えたのに後方を1馬身3/4置き去りにする快勝。
2着はインコースを突いて伸びて来たオールダッシュ、3着は逃げ粘ったミスターブランディ。

1着 オグリキャップ 2.12.4 レコード
2着 オールダッシュ 1 3/4
3着 ミスターブランディ 1 3/4

オグリキャップは、追えばもっと後方を引き離したでしょう。
着差以上の、大楽勝でした。

ジャパンカップ出走権を賭けた公営馬最先着は、3番人気のロジータが5着に入り、切符を手に入れました。

オグリキャップは次走、毎日王冠(東京GⅡ芝1800m)で、イナリワンとの死闘を繰り広げます。

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平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(2)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

最初にこのページを読む前に、平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(1)を一読願います。

今回は、スーパークリークの神戸新聞杯(阪神GⅡ芝2000m)、京都新聞杯(京都GⅡ芝2200m)について書きます。

春のGⅠシーズンを骨折で棒に振りましたが、骨折は軽いものでした。
夏には武豊は函館でレースに騎乗し、骨折が癒えて涼しい函館に来ていたスーパークリークの調教に乗りました。


9月25日スーパークリークは、重馬場の神戸新聞杯(阪神GⅡ芝2000m)に武豊を背に出走しました。

1番人気は、桜花賞(阪神GⅠ芝1600m)優勝の牝馬アラホウトク。
2番人気は、函館の古馬混合900万下を勝ち、3勝したメイショクボーイ。
3番人気は、京都4歳特別(京都GⅢ芝2000m)をオグリキャップの2着したコウエイスパート。
骨折明け休み明けのスーパークリークは4番人気。

逃げたのはアルファレックス、2番手ハギノトップガン、3番手マイネルフリッセ。
スーパークリークは後方に付けます。
スタートから3F(600m)は38.2、1000m通過1分3秒5と、ペースは平均ペースややスロー気味に流れます。

3コーナー手前でアルファレックスが後退し、マイネルフリッセが先頭に立ちました。
3コーナーから各馬仕掛け、先団は団子状態になります。
3-4コーナーでコウエイスパートが、中団からインコースを突きました。

直線向いて、逃げるマイネルフリッセに、インコースからコウエイスパートが襲い掛かります。
後方から大外に出した、ヤエノダイヤが直線凄い脚を繰り出しました。
ヤエノダイヤの後ろから、スーパークリークも追いい込んで来ます。
直線半ばでコウエイスパートが先頭に立ちますが、ヤエノダイヤが計ったように差し切り、3/4馬身出たところがゴール。
3着は逃げるマイネルフリッセを交したスーパークリーク。

1着 ヤエノダイヤ 2:05.1
2着 コウエイスパート 3/4
3着 スーパークリーク 1 3/4

スーパークリークは、2着までに来れば菊花賞(京都GⅠ芝3000m)に出走できたのですが、惜敗でした。


10月16日スーパークリークは、京都新聞杯(京都GⅡ芝2200m)に、武豊を背に出走します。
陣営は今度こそ、菊花賞(京都GⅠ芝3000m)の出走権を・・・と言う気持ちだったでしょう。

1番人気は、皐月賞(中山GⅠ芝2000m)優勝のヤエノムテキ。
2番人気は、前走神戸新聞杯(阪神GⅡ芝2000m)2着のコウエイスパート。
3番人気は、皐月賞(中山GⅠ芝2000m)2着のディクターランド。
スーパークリークは4番人気。

逃げたのはメイショクボーイ、2番手モガミチャンピオン、3番手ヤエノムテキ。
スーパークリークは後方に付けます。
スタートから3F(600m)は36.2、1000m通過1分0秒5と、ペースは平均ペースに流れます。

3-4コーナーで各馬仕掛け、コウエイスパート、スーパークリーク、ディクターランドが外から上がって行きます。

直線向いて、京都競馬場の空いたインコースを突き、他馬との接触をものともせず、ヤエノムテキが逃げたメイショクボーイをアッサリ交します。
直線で前に取り付いたコウエイスパートが、ヤエノムテキに襲い掛かりますが、脚色が一緒になり、交せそうにありません。
スーパークリークは直線向いて、2度も前が塞がれる不利を受けました。

ヤエノムテキ優勝、2着コウエイスパート。

1着 ヤエノムテキ  2:14.5
2着 コウエイスパート 1 1/2
3着 メイショクボーイ 1 3/4

スーパークリークは6着となり、残念ながら菊花賞(京都GⅠ芝3000m)の出走権は得られず。
後は菊花賞に登録して、抽選を勝ち取るしかなくなりました。

ちなみにこのレースでは、ミスターシクレノン、モガミチャンピオンと、後の重賞勝ち馬が出走していると言うのも、興味深い事です。

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平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(1)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、スーパークリークの2歳JRAデビューから、すみれ賞(阪神オープン芝2200m)、骨折休養までについて書きます。

スーパークリークは、ビッグレッドファームを経営する岡田繁幸氏が、配合のアドバイスをした馬だそうです。
父は、奥手のステイヤーを多く輩出した、ノーアテンション。
母父はインターメゾで、ハイペリオン系と言う、コテコテのステイヤー血統。
名前の由来は、小川(クリーク)もやがては大河にという思いからだそう。

スーパークリークは、早くから活躍したオグリキャップとは違い、夏の函館デビューを予定していましたが、腹を壊して延期しました。
結果的に、慌てて新馬に出走させなくて、良かったように思います。
もしかして、早々に馬が潰れたかも知れません。

デビューは1987年12月5日にまでずれ込み、芝2000mの新馬戦。
田原成貴騎手を背に、ファンドリデクターの2着。
レースを知っている馬で、自ら好位に付けるセンスの良さを見せましたが、この時まだ馬に実が入ってなく、追い出すともたれる癖がありました。


12月26日スーパークリークは、芝2000mの新馬戦に出走し、田原成貴騎手を背に勝利。
田原成貴は戦法を変え、後ろから差しに行きました。
エンジンがかかるまで時間はかかりましたが、エンジンがかかると他馬とは次元の違う良い脚を使ったそうです。


翌1988年1月5日スーパークリークは、3歳条件戦、400万下の福寿草特別に出走しました。
中団に付けましたが、伸びずに4着。
勝ったのは、後に重賞のきさらぎ賞を勝つ、マイネルフリッセ。
間隔を詰めて使っているのは、デビューが遅かった焦りでしょうか?


2月24日スーパークリークは、間隔を開け、重賞のきさらぎ賞GⅢ(芝1800m)に出走しました。
この成績で重賞に出走させるんですから、陣営としても期待馬だったのでしょうね。
鞍上は南井克巳。

1番人気は、新馬、2歳オープンを2戦2勝のファンドリデクター。
2番人気は、ここまで5戦2勝2着2回、3着1回のバンダムテスコ。
3番人気は、未勝利、400万下の福寿草特別を連勝して、前走2歳オープンを2着したマイネルフリッセ。

逃げたのはエーコーシーザー、2番手マイネルフリッセ、3番手ファンドリデクター。
スーパークリークは4番手に付けました。
スタートから3F(600m)は38.7、1000m通過1分4秒2と、ペースはスローで流れ、3コーナー手前からペースが上がりました。

逃げたエーコーシーザーは直線で脱落しますが、前を行く馬は脚が止まりません。
2番手のマイネルフリッセが先頭に立つと、ファンドリデクターを首差抑えて優勝。
スーパークリークは、マイネルフリッセの0.2秒差、3着に惜敗します。
皮肉にも、この時勝利したマイネルフリッセの鞍上は武豊。

1着 マイネルフリッセ 2:04.3
2着 ファンドリデクター クビ
3着 スーパークリーク 1 1/2


3月19日スーパークリークは、すみれ賞(阪神オープン芝2200m)に出走しました。
ここでデビュー2年目の武豊と、運命の出会いをします。
きさらぎ賞を見て、依頼された武豊もスーパークリークに乗って見たかったそうです。

しかしその時に、スーパークリークは脚を痛がる素振りを見せていたそうです。
後方に付け、3-4コーナで上がって行き、やや重のコンディションをものともせず、2着パワーウイナーを退け、2勝目を果たします。
このコンディションで勝利した事で、武豊はこの馬で日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)に行く事を決心したそうです。


この時点で皐月賞(中山GⅠ芝2000m)を目指すには、賞金的にも、ローテーション的にも厳しく、日本ダービー出走を目標にトライアルの青葉賞(東京オープン芝2400m)を目指していましたが、調教中に骨折して日本ダービーを断念せざるを得なくなりました。
スーパークリークは秋の復帰を目指しました。

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平成三強物語 - 1989年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m) イナリワン(7)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、イナリワンの5歳初夏のレース、宝塚記念について書きます。
最初にこのページを読む前に、これまでの平成三強物語のイナリワンの話、平成三強物語 - 1986年-1987年 イナリワン(1)平成三強物語 - 1988年 イナリワン(2)平成三強物語 - 1988年 全日本サラブレッドカップ(笠松重賞ダート2500m) イナリワン(3)平成三強物語 - 1988年 東京大賞典(大井重賞ダート3000m) イナリワン(4)平成三強物語 - 1989年 イナリワン(5)平成三強物語 - 1989年 天皇賞春(京都GⅠ芝3200m) イナリワン(6)を一読願います。

イナリワンは、1989年天皇賞春を快勝した後、宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)に駒を進めて来ました。

1番人気は、前年の東京競馬場代替開催の皐月賞(東京GⅠ芝2000m)馬、ヤエノムテキ。
ヤエノムテキは年明けハンデ戦の日経新春杯(京都GⅡ芝2200m)にハンデ頭でランドヒリュウの2着、別定戦の産経大阪杯(阪神GⅠ芝2000m)にランドヒリュウに6馬身差快勝して、このレースでも1番人気となりました。
2番人気は、イナリワン。
多分に、武豊人気もあったでしょうね。
しかし前走天皇賞春を快勝した割に人気がないのは、フロック視されていたという事なのでしょう。
3番人気はハンデに恵まれたとは言え、目黒記念(東京GⅡ芝2500m)、エイプリルS(中山オープン芝2000m)と連勝して駒を進めたキリパワー。
こちらも鞍上、岡部人気も多少あったでしょう。
4番人気には前年のダービー馬、サクラチヨノオー。
しかし前走、休み明けのの安田記念(東京GⅠ芝1600m)でブービーだったので、人気を落としていました。

大方の予想通りダイナカーペンターが逃げ、2番手サクラチヨノオーが付きましたが、シヨノロマンが交して2番手に上がりました。
イナリワンも先行して4番手、
キリパワー中団、ヤエノムテキは最後方。

スタートから3F(600m)35.6、1000m通過1分0秒3と、馬場状態に比してペースは速目から平均ペース。
3コーナーではサクラチヨノオーが下がり、イナリワンが馬なりでポジションを上げました。
ヤエノムテキは引っかかったのか、最後方から中団まで上がって来ました。
この辺でミスターシクレノンを始めとして、他の馬も仕掛ける、ちぐはぐな展開。
後方にいたフレッシュボイスが、3-4コーナで前に上がって行きました。

4コーナー回り、粘るダイナカーペンターを競り潰し、イナリワンが先頭に立ちます。
ヤエノムテキは大外に出しますが、ちぐはぐな展開が祟り、伸びず。
直線で中団にいたミスターシクレノンとフレッシュボイスが、もの凄い脚で突っ込んで来ました。
フレッシュボイスは、1987年安田記念(東京GⅠ芝1600m)優勝馬らしく、鋭い切れ味で先行したイナリワンに迫りますが、首差イナリワンが粘り切りました。

天皇賞春に続いて、JRAのGⅠ2連勝。
イナリワンはどちらかと言うと、切れ味はありましたが、スピード勝負ではなくスタミナ勝負の方が得意だったでしょう。
そのイナリワンの特徴を活かし、先行させ、危なげなく勝利したのは、武豊の腕のたまものだったでしょう。
レースの流れとしてはむしろ、フレッシュボイス向きで、同じところから追い出していたら勝てなかったのではないでしょうか?

フレッシュボイスは安田記念優勝馬の底力を見せました。
3着は前走天皇賞春で2着だったミスターシクレノン。
フロックでなかった事を証明しました。

1着 イナリワン  2:14.0
2着 フレッシュボイス クビ
3着 ミスターシクレノン 3 1/2

イナリワンは秋まで休養します。

このレースまでで、平成三強物語本編は終了します。
途中に中断を挟みながら、最後までお付き合いいただきありがとうございます。

次回は、平成3強物語外伝として、間違えなく公営最強牝馬、そしてもしかすると公営歴代最強馬にも挙げられる、ロジータについて書きます。
この記事で、平成三強物語が全て終了となります。

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2015年1月17日 (土)

平成三強物語 - 1989年 天皇賞春(京都GⅠ芝3200m) イナリワン(6)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、イナリワンの天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)について書きます。
最初にこのページを読む前に、これまでの平成三強物語のイナリワンの話、平成三強物語 - 1986年-1987年 イナリワン(1)平成三強物語 - 1988年 イナリワン(2)平成三強物語 - 1988年 全日本サラブレッドカップ(笠松重賞ダート2500m) イナリワン(3)平成三強物語 - 1988年 東京大賞典(大井重賞ダート3000m) イナリワン(4)平成三強物語 - 1989年 イナリワン(5)を一読願います。

1989年4月29日、事前には混戦と考えられていた天皇賞春。

1番人気は、3.0倍のスルーオダイナ。
前走、阪神大賞典で進路妨害で失格となりましたが、見せた脚は破格。
2番人気は、3.1倍と差のないランニングフリー。
前年の2着馬で、目の上のコブだったタマモクロスも引退して、成績も安定していたので、人気に押されました。
今年に入ってAJCC(中山GⅡ芝2200m)、日経賞(中山GⅡ芝2500m)を連勝してここに臨みました。
3番人気は、単賞7.6倍のコクサイトリプル。
重賞未勝利ですが、成績は安定して、1988年NHK杯(東京GⅡ芝2000m)3着、同年セントライト記念(中山GⅡ芝2200m)、1989年日経賞(中山GⅡ芝2500m)2着がありました。

他には1987年目黒記念(東京GⅡ芝3600m)、同年ステイヤーズS(中山GⅢ芝3600m)勝ちのマウントニゾン。
11番人気の人気薄でエリザベス女王杯(京都GⅠ芝2400m)を制した、タマモクロスの半妹、ミヤマポピー。
1987年朝日チャレンジC(阪神GⅢ芝2000m)、1988年小倉記念(小倉GⅢ芝2000m)勝ちのプレジデントシチー。
1986年阪神3歳S(阪神GⅢ芝1600m)勝ちのゴールドシチー。
1988年阪神大賞典(阪神GⅡ芝3000m)、1989年京都記念(京都GⅡ芝2400m)勝ちのダイナカーペンター。
前述の1989年阪神大賞典(阪神GⅡ芝3000m)勝ちのナムラモノノフ。
好メンバーが出走して来ました。

イナリワンは、前2走が振るいませんでしたが、武豊人気もあったか、単賞9.3倍4番人気。

逃げたのは予想通り、ダイナカーペンター。
2番手ミホノカザン、3番手チュニカオー。
1番人気ランニングフリーは中段の前、2番人気スルーオダイナは後方、3番人気ゴールドシチーはスルーオダイナのすぐ前。
イナリワンはさらにその後ろ。

スタートからの3F(600m)は36.6秒と、ハイペース。
1000m通過タイムは1分1秒7、ペースは落ちません。
ミスターシクレノンが少し位置を押し上げ、3番手に進出して来ました。

1コーナー過ぎたあたり、引っかかったか、勝負どころと見たか、スルーオダイナ、ゴールドシチー、コクサイトリプルが前に付けました。
2000m通過が2分5秒1とベースの淀みなし。
向こう正面坂下で、ミスターシクレノンが押し上げ2番手、スルーオダイナがその後ろまで上り、ランニングフリーも手が動き出しました。
坂の下りから、イナリワンが馬なりで進出を開始。
3コーナー過ぎにはスルーオダイナが先頭に並びかけ、カツノコバンはここで故障発生して脱落。
3-4コーナーでミスターシクレノンがスルーオダイナに並びかけ、ランニングフリーはインコースを突いて、イナリワンは先頭グループ直後まで進出しました。

直線向いて、イナリワンがインコースから先頭に立ったランニングフリーを交わして、楽に先頭に。
ミスターシクレノンが満を持して追い出し、ランニングフリーを交わしますが、先頭に立ったイナリワンは後続を引き離す一方。
武豊騎手は横目でターフビジョンを見て、後続を確認する余裕の勝利。
イナリワンが5馬身差で優勝。
2着はこれまた後続を3馬身1/2引き離した、ミスターシクレノン。
3着は馬群からハナ差抜け出したスルーオダイナ。

1着 イナリワン 3:18.8
2着 ミスターシクレノン 5
3着 スルーオダイナ 3 1/2

後から思えば、このメンバーでイナリワンが完調なら、この着差は当然でした。
しかしJRA移籍後の成績がもうひとつだったため、ダート馬なのかもと見られていたのは事実。
当時は公営出身の馬を軽く見る人も多く、フロック視していた人もいたと聞きます。

春シーズンに、イナリワンに騎乗した武豊は、今までの騎乗馬で、「一番気の強い馬」、「一番パワーのあった馬」としてイナリワンを挙げています。
初めてこのレースの前に、調教でイナリワンに乗った時、武豊が手綱を押さえているにも関わらず、全速でコースを2周したため、武豊は本番で御し切れないのではないかと、不安に思ったそうです。

次回は、イナリワンが出走した1989年宝塚記念について書きます。

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