H3105.平成三強物語外伝

2015年1月31日 (土)

平成三強物語 まとめページ

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

平成三強物語は当初、平成三強が相まみえた1989年秋シーズンから開始しましたが、その後平成三強のデビューにさかのぼり、1989年春シーズンまで書きました。
残念ながら、ココログは、ブログ記事の順番を自由には変えられないようです。
そのため、平成三強物語のカテゴリを開いても、時系列がバラバラです。
そこで、このページで、時系列に並べてリンクする事にしました。

長い期間の執筆だったので、書き方が途中で変化したりしましたが、気が付いた範囲で修正しました。
スーパークリークの扱いが雑だったので、1記事から3記事に分け、追記しました。
1989年のイナリワンの記事を修正して、2記事から3記事に分けました。
1989年 オールカマー(中山GⅡ芝2200m)、1989年、1990年 京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)を新たに加筆しました。

本当はこの当時活躍した外国馬、トニービン、ホーリックス、ベタールースンアップの外伝も書きたいところだったのですが、レース映像が少ないので断念しました。

なお、可能な限り修正はしましたが、その後映像のデッド・リンクも出るでしょう、ご容赦願います。

平成三強物語 - 1986年-1987年 イナリワン(1)

平成三強物語 - 1987年-1988年 オグリキャップ(1)

平成三強物語 - 1988年 イナリワン(2)

平成三強物語外伝 - チヤンピオンスター

平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(1)

平成三強物語 - 1988年 オグリキャップ(2)

平成三強物語外伝 - ヤエノムテキ

平成三強物語外伝 - タマモクロス

平成三強物語 - 1988年 毎日王冠(東京GⅡ芝1800m) オグリキャップ(3)

平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(2)

平成三強物語 - 1988年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m) オグリキャップ(4)

平成三強物語 - 1988年 菊花賞(京都GⅠ芝3000m) スーパークリーク(3)

平成三強物語外伝 - サッカーボーイ

平成三強物語 - 1988年 全日本サラブレッドカップ(笠松重賞ダート2500m) イナリワン(3)

平成三強物語外伝 - フエートノーザン

平成三強物語 - 1988年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m) オグリキャップ(5)

平成三強物語 - 1988年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)

平成三強物語 - 1988年 東京大賞典(大井重賞ダート3000m) イナリワン(4)

平成三強物語 - 1989年 イナリワン(5)

平成三強物語 - 1989年 天皇賞春(京都GⅠ芝3200m) イナリワン(6)

平成三強物語 - 1989年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m) イナリワン(7)

平成三強物語 - 1989年 オールカマー(中山GⅡ芝2200m)

平成三強物語外伝 - ロジータ

平成三強物語 - 1989年 毎日王冠(東京GⅡ芝1800m)

平成三強物語 - 1989年 京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)

平成三強物語 - 1989年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)

平成三強物語 - 1989年 マイルチャンピオンシップ(京都GⅠ芝1600m)

平成三強物語 - 1989年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)前編

平成三強物語 - 1989年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)後編

平成三強物語 - 1989年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)

平成三強物語 - 1990年 阪神大賞典(阪神GⅡ芝3000m)

平成三強物語 - 1990年 産經大阪杯(阪神GⅡ芝2000m)

平成三強物語 - 1990年 天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)

平成三強物語 - 1990年 安田記念(東京GⅠ芝1600m)

平成三強物語 - 1990年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)

平成三強物語 - 1990年 京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)

平成三強物語 - 1990年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)

平成三強物語 - 1990年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)

平成三強物語 - 1990年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)

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平成三強物語外伝 - ロジータ

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、間違えなく公営最強牝馬、そしてもしかすると公営歴代最強馬にも挙げられる伝説の牝馬、ロジータについて書きます。

ロジータの父は、イナリワンと同じミルジョージ。
ミルジョージの父は、英ダービー(エプソムGⅠ芝12F約2414m)、キングジョージ(アスコットGⅠ芝12F約2414m)、凱旋門賞(ロンシャンGⅠ芝2400m)勝ちの名馬、ミルリーフ。
ミルジョージはアメリカで走り、4戦2勝と凡庸の成績ながら、名馬ミルリーフの仔と言う事で、1970年代後半から日本で種牡馬として供用されるようになり、この時期、南関東公営でもロッキータイガーやイナリワン等、一流馬を輩出していました。

この当時他にも、オサイチジョージ、翌年にはエイシンサニーと活躍馬を出し、ミルジョージの血統が爆発していました。

母はメロウマダングで、競争成績は4戦3勝。
繁殖に入り、最初の産駒は競争馬デビュー出来ず、次がこのロジータでした。
通算10頭産んで、8頭が競争馬デビューし、分かる範囲で7頭が1勝以上、ロジータ以外にも重賞勝ち馬を出す優秀さ。

生まれた高瀬牧場の片隅に、百合の1品種、ロジータが咲いていたため、それを馬名にしました。
ロジータは本格化してからは非常に後肢の力が強く、馬房で暴れた際には天井の板を蹴破って壊したこともあったそうです。
所属厩舎は、川崎競馬の福島幸三郎。
この時点での調教師成績は、調べましたが分かりませんでした。

主戦騎手は、野崎武司。
1979年11月デビューでしたが、初勝利は翌年2月、ここまで重賞勝利がない地味な騎手。
当時川崎には、後に前人未到の通算7151勝する当時から生ける伝説の騎手、佐々木竹見もいましたが乗り変わる事なく、引退までずっと野崎騎手がパートナーとして騎乗し続けました。

デビューは1988年10月7日、川崎競馬場の新馬戦、不良馬場のダート900mで、1番人気に応え、2馬身差で優勝しました。
10月25日、川崎競馬場の2歳(※1)条件戦、良馬場のダート1400mで、キタサンコールに0.7秒も離された2着。
11月20日、川崎競馬場の2歳カトレア特別、良馬場のダート1400mで、1番人気に応え、2着レピユートに0.4秒差をつけ優勝。


12月14日ロジータは、南関東の2歳牝馬最強決定戦、重賞の東京3歳優駿牝馬(大井重賞ダート1600m※2)に出走しました。
ちなみに当時の公営競馬では、中央競馬と異なりグレード制はなく、何段階かの条件戦、重賞の区別しかありませんでした。

1番人気は当時、大井の帝王と呼ばれた騎手、的場文男のエスエスレデイー。
新馬2着以降2連勝中で、的場人気もあったでしょう。
2番人気は、南関東で毎日騎乗していると言われて、前年から年間200勝越えの南関東のトップジョッキー、石崎騎手のフジノダンサー。
ここま6戦3勝でしたが、前走は2歳重賞の星雲賞で、牡馬に交じって出走し、5着と健闘。
さらにこちらも、石崎人気もあったでしょう。
3番人気がロジータ。
このレースは映像もなく、レース展開情報もありませんので結果を書きますが、上記人気通りの着順でした。

1着 エスエスレデイー 1:44.5
2着 フジノダンサー 2 1/2
3着 ロジータ クビ

2歳時は、4戦2勝とまあまあですが、ミルジョージ産駒はおおむね、奥手の傾向がありました。
2歳早くから勝ちまくる産駒は、少なかったです。
また休み明けに強く、使い減りする産駒も多かったですが、逆に連闘にもへこたれないタフな産駒も、少ないですがいました。


翌1989年1月3日ロジータは、中2週で浦和競馬場の3歳重賞、ニューイヤーC(浦和重賞ダート1600m)に牡馬と混じり出走しました。

1番人気はここまで8戦4勝の牡馬で、前回川崎の2歳最強決定戦、全日本3歳優駿(※2)3着で、これが評価されたと思われます。
2番人気は東京3歳優駿牝馬(※2)3着のロジータ。
3番人気はここまで5戦2勝の牡馬で、前走船橋の2歳重賞、平和賞で2着のガバナーホウリユウ。

このレースも映像もなく、レース展開情報もありませんので結果を書きます。

1着 ロジータ 1:41.1
2着 クインスワロー 1
3着 マクシミリアン 1 1/2

ロジータも鞍上の野崎騎手も、併せて重賞初勝利しました。
ちなみに父ミルジョージの特徴の1つに、連闘など間隔を詰めて使うと活躍する特徴がありました。
反面、使い減りしやすいので、何度も同じ手を使うと、馬が潰れましたが。


2月8日ロジータは、中4週で大井競馬場の3歳重賞、京浜盃(大井重賞ダート1700m)に牡馬と混じり出走しました。

1番人気はここまで5戦2勝ながら、前走大井競馬のオープン競争勝ちのトウケイグランデイ。
2番人気はここまで7戦3勝で、前走全日本3歳優駿(※2)勝ちのミルユージ。
3番人気はここまで4戦3勝2着1回と、連対率100%で、前走東京3歳優駿牝馬(※2)勝ちのエスエスレデイー。

6番人気ロジータは前走重賞勝ちでしたが、グレードの低い重賞でしたし、南関東競馬では大井より格下に見られていた浦和で勝利しても、大井競馬で通用するか疑問に思われていたのでしょう。
このレースも映像もなく、レース展開情報もありませんので結果を書きます。

1着 ロジータ 1:50.5
2着 トウケイグランデイ 1/2
3着 ダイカツペーサ 4

年開けて本格化したロジータが、重賞2連勝。
奇しくもこの後ライバルとなる牡馬、トウケイグランデイとの初対決を制しました。


4月4日ロジータは、中8週と間隔をあけて、南関東牝馬クラッシックの浦和競馬場の3歳牝馬重賞、浦和桜花賞(浦和重賞ダート1600m)に出走しました。

1番人気はここまで6戦4勝で、重賞2連勝中のロジータ。
前走牡馬混合の大井の重賞で、2歳牡馬チャンピオンと、2歳牝馬チャンピオンを負かしたので人気になったのでしょう。
2番人気はここまで8戦5勝、3連勝中の川崎競馬所属ケイシユウマドンナ。
3番人気はここまで5戦3勝、地元浦和競馬所属、ゴールドメロデイ。
これは鞍上の生ける伝説の騎手、佐々木竹見人気もあったでしょう。

逃げたのは2番人気ケイシユウマドンナ、2番手は3番人気ゴールドメロデイ、3番手リアルトーク。
ロジータは5番手の中団。
ゴールドメロデイは、先頭に立とうとケイシユウマドンナの外から被せて行きますが、ケイシユウマドンナはコーナーを利して先頭を譲らず。
2コーナー回り、向こう正面で先行グループは、早くも仕掛けて上がって行きました。
中でもロジータは脚色良く、3コーナーからひとまくり、先頭に並びかけます。
4コーナー手前では、大外を回ったのに、危なげなく先頭に立ち、後続からは何も来ません。
一度は後退するかに見えたケイシユウマドンナは、直線で再び盛り返しますが、ロジータに追いつけません。
後退したゴールドメロデイに代わり、リアルトークが追いかけますが、ケイシユウマドンナさえ交せそうにありません。

1着 ロジータ 1:41.7
2着 ケイシユウマドンナ 2 1/2
3着 リアルトーク 2

着差以上に、ロジータの楽勝でした。
しかも目いっぱいの競馬ではなく、直線余裕さえありました。


5月10日ロジータは、中4週で南関東牝馬クラッシックへは進まず、牡馬クラッシック第1弾、大井競馬場の羽田盃(大井重賞ダート2000m)に出走しました。
羽田盃は、中央競馬で言うと皐月賞(中山GⅠ芝2000m)に当たります。

1番人気はここまで7戦5勝で、重賞3連勝中の紅一点、ロジータ。
2番人気は7戦3勝2着4回で、前走大井競馬場の重賞、黒潮杯に勝利したトウケイグランデイ。
3番人気はここまで4戦3勝、前走黒潮杯で3着のホクテンホルダー。
多分に鞍上の大井の帝王、的場騎手人気もあったでしょう。

逃げたのはホクテンホルダー、2番手リバテイリツチ、3番手カツノオーザー。
その後黒潮杯カゴヤツヨシが2番手に上がりました。
トウケイグランデイは中団で、すぐ後ろにロジータが付けました。

3コーナーまで淡々と進み、3-4コーナーで先頭グループは勝負どころと追い出します。
トウケイグランデイもロジータも、じっと中団のまま。

直線向いて、逃げたホクテンホルダーが粘りますが、中団から凄い脚でトウケイグランデイとロジータが上がって来ます。
残り150m、先頭を捉えたトウケイグランデイの鞍上、本間茂騎手は勝ったと思ったかも知れません。
しかしロジータの脚色が勝ります。
ロジータは残り50mでトウケイグランデイにならびかけ、1/2馬身ねじ伏せゴール。
3着は逃げ粘ったホクテンホルダー。

1着 ロジータ 2:10.2
2着 トウケイグランデイ 1/2
3着 ホクテンホルダー 2 1/2

トウケイグランデイは完璧な騎乗でしたが、それでもなおロジータに敵いませんでした。
羽田盃の牝馬優勝は、1981年のコーナンルビー以来2頭目。


6月8日ロジータは、中3週で牡馬クラッシック第2弾、大井競馬場の東京ダービー(大井重賞ダート2400m)に出走しました。
東京ダービーは、中央競馬で言うと日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)に当たります。
日本ダービーと同じく、南関東公営所属馬全ての、最大目標のレースです。

1番人気はここまで8戦6勝で、重賞4連勝中の紅一点、ロジータ。
2番人気は8戦3勝2着5回で、前走羽田盃2着のトウケイグランデイ。
3番人気はここまで5戦3勝3着2回、前走羽田盃3着のホクテンホルダー。

逃げたのはこのレースもホクテンホルダー、2番手競ってキクカグツトラツク、3番手離れた後方マンリーケープ。
このレースではトウケイグランデイは5番手と先行、ロジータは中団よりやや後ろ。
ホクテンホルダーはその後ペースを落とし、正面スタンド前ではハツピイージエイクが上がり3番手。
2コーナー回る頃には、スピードの違いか、ロジータはスムーズに先行グループのすぐ後ろに進出。
3-4コーナーで仕掛け、4コーナーでは逃げたホクテンホルダーの大外からロジータが被さって来ました。

直線向くと、ロジータは余裕の手応えで、手綱を押さえていてもホクテンホルダーを交す勢い。
この2頭は脚色違い、後方を離す一方。
残り200mでロジータが追い出すと、あっさりホクテンホルダーを交し、3馬身突き放してゴール。
2着は粘ったホクテンホルダー、3着は追い込んで来たマンリーケープ。

1着 ロジータ 2:40.9
2着 ホクテンホルダー 3
3着 マンリーケープ 1

ロジータは全く危なげない競馬でした。
牝馬による牡馬2冠は、南関東競馬史上初。
恐らく父ミルジョージのステイヤー血統で、距離伸びてますます力を発揮したのでしょう。
王位の帝王、的場文男騎手のトウケイグランデイは2着。

現在も的場文男騎手は東京ダービーを勝てず、現在まで32回挑戦してこのレース含め最高が2着8回。
この事は大井競馬の不思議と呼ばれています。

ちなみに過去には、的場騎乗のマルゼンアデイアル、ナイキジャガーは羽田盃圧勝後、故障で東京ダービーに出走出来ず。
羽田盃で単勝1.0倍と、圧倒的人気を集めたベルモントドリームは、羽田盃競走中骨折、予後不良となりました。
東京ダービー単勝1.1倍のブルーファミリーは、的場騎手には珍しくスタートで出遅れ、良いところなく5着。
呪われているとしか思えません。

トウケイグランデイは見せ場なく、後方のまま8着。
この時点では、距離が長かったとも、差し馬なのに先行した騎乗ミスとも言われました。


7月12日ロジータは中4週で、人気投票で選出され出走出来る川崎競馬場の重賞、報知オールスターカップ(川崎重賞ダート1600m)に出走しました。
川崎競馬では重賞ですが、当時の賞金1千4百万円。
大井競馬の重賞の半分以下の賞金で、大井競馬ならオープン特別程度の賞金。
もしロジータが大井競馬所属なら出走したでしょうか?

1番人気は3歳牝馬で、古馬との初対戦ながら、ここまで9戦7勝で重賞5連勝中のロジータ。
しかも牝馬で史上初、牡馬クラッシックの羽田盃、東京ダービー2冠です。
2番人気は一昨年東京ダービー優勝のウインドミル。
3番人気は前走かしわ記念(船橋重賞ダート1600m)4着のシヤインジヤガー。

逃げたのは2番人気のウインドミル、2番手ニシケンキング、3番手シヤインジヤガー。
生ける伝説の騎手、佐々木竹見騎乗の牝馬、ダイタクジーニアスは4番手。
ロジータはスタートは良かったですが、中段に付けました。
残り3Fから競馬が動いて、2番手ニシケンキングがウインドミルの外に被せて来ました。
ロジータも馬なりで、大外を上って行きました。
ダイタクジーニアスも3-4コーナー中間から手を動かし、上って行き、インコースを突きました。

直線向いて、ニシケンキングは力尽きて脱落。
先頭のウインドミルに、インコースからダイタクジーニアス、大外からロジータが襲いかかります。

一度はロジータが先を行くダイタクジーニアスに迫りましたが、ゴール前で力尽き、1馬身差つけられました。

ダイタクジーニアスが1987年東京プリンセス賞、1988年キヨフジ記念(現エンプレス杯)、1988年浦和記念に続いて重賞4勝目。
コースロスなく、インコースを突いたのが1つの勝因ではありましたが、佐々木竹見の卒のない騎乗、直線での腕っ節も大きかったでしょう。
残念ながらロジータは、古馬との初対戦で敗れました。
3着は良く粘ったウインドミル。

1着 ダイタクジーニアス 1:41.9
2着 ロジータ 1
3着 ウインドミル 1/2

ロジータはステイヤー血統の父ミルジョージと言う事もあり、ダート1400mは距離不足と言う事もあったでしょうね。


9月17日、かねてからの予定通り、ロジータは中央競馬の芝の交流レース、オールカマー(中山GⅡ芝2200m)に出走します。
当時このレースは、数少ない中央競馬と公営競馬の交流レースで、かつこのレースの公営最先着馬がジャパンカップの出走権を得られるレースでもありました。

このレースについては、平成三強物語 - 1989年 オールカマー(中山GⅡ芝2200m)に簡単に書いていますので、こちらを参照願います。
公営川崎所属馬ながら、3番人気に支持されましたが、5着に敗れました。
1着は怪物オグリキャップでしたし、出走した公営馬では最先着して、ジャパンカップの出走権を得ました。


11月3日にロジータは、南関東公営の牡馬三冠最終戦、東京王冠賞(大井重賞ダート2600m)に出走します。
次走はジャパンカップ出走を予定していたロジータでしたが、南関東公営史上初の牝馬による牡馬2冠馬も、怪物オグリキャップを負かせるとは思っていなかったでしょう。
このレースの方が、気合が入っていたと思います。

1番人気はここまで重賞5勝、南関東史上初の牝馬の牡馬クラッシック2冠馬、ロジータ。
2番人気は羽田盃(大井重賞ダート2000m)2着馬、トウケイグランデイ。
前走は、古馬混合のおおとり賞(大井オープンダート2000m)で54kgを背負い、3着と好走しています。
3番人気はおおとり賞(大井オープンダート2000m)で50kgを背負い、2着のマンリーケープ。

スタートして今日はトウケイグランデイが積極的に逃げました。
2番手はゴールデンブロウで、外からトウケイグランデイを抜いて先頭に立とうと、並びかけます。
3番手は間が空きマンリーケープ。
ロジータは中段よりやや後方。
スタートからの1000mは、およそ1分4秒7くらい。

1コーナー過ぎた頃には馬なりで、ロジータが中段まで進出しました。
2コーナー過ぎ、向こう正面ではロジータが先団のすぐ後ろまで進出しました。
3コーナーでは先頭グループ後方、4番手まで進出して、ゴールデンブロウはここで脱落して後退。
4コーナーでは、代わって2番手に上ったマンリーケープの外に、並びかけました。

直線向いて、野崎騎手がロジータを追い出すと、最初モタモタしますがすぐに伸び、残り200mで先頭のトウケイグランデイに並びかけます。
マンリーケープはインコースを突き、これまたトウケイグランデイに迫りました。
ロジータがトウケイグランデイをねじ伏せるように、3/4馬身突き放してゴール。

ロジータが牝馬にして、南関東牡馬公営三冠に輝きました。
これは後にも先にも、ロジータしか達成していません。

1着 ロジータ 2:53.0
2着 トウケイグランデイ 1
3着 カゴヤツヨシ ハナ

ちなみに、南関東の牡馬三冠はその後レース体系を変え、東京王冠賞は廃止。
1999年から南関東の牡馬三冠は、羽田盃(大井SⅠダート1600m・・・現在はダート1800m)、東京ダービー(大井SⅠダート2000m)、ジャパン・ダート・ダービー(大井GⅠダート2000m)となりました。
SⅠと言うのは、南関東公営内のみのGⅠレースのようなものです。
JRA、そして海外から見ると、グレードなし重賞競争の扱いとなります。
ジャパン・ダート・ダービーのみ、他場公営所属馬、JRAが参戦出来るため、日本国内ではGⅠとなります。
しかしジャパン・ダート・ダービーも、外国馬が参戦出来る国際競争ではないため、世界から見るとGⅠレースの認識ではなく、グレードなし重賞競争の扱いとなります。

JRAがダートにも力を入れると、たちまちJRAに追い越され、1999年から制定されたジャパン・ダート・ダービーで、公営所属馬の優勝は16回中4回しかありません。
2011年に、牝馬のクラーベセクレタが羽田盃、東京ダービーを制してロジータ以来の2冠に輝きましたが、ジャパン・ダート・ダービーでJRA勢に敵わず3着に敗れました。

11月26日にロジータは、中央競馬のジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)に出走します。
このレースは、平成三強物語 - 1989年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)後編に詳しく書いていますので、こちらを参照願います。

ホーリックスが驚異的ハイペースで、ジャパンカップ史上初、ニュージーランド馬の優勝。
しかも芝2400mの驚異的世界レコードのおまけまでつきました。
アタマ差迫った怪物オグリキャップがタイム差なく2着。
驚異的ハイペースについて行けなかったロジータは、終始後方のまま、最下位15着に敗れました。
ロジータのタイムは、2分26秒9ですから、中央競馬の芝2400mの重賞なら、悪くない時計です。


12月29日にロジータは、公営競馬の最高額賞金レース、東京大賞典(大井重賞ダート2800m)に出走しました。
東京大賞典は、中央競馬の有馬記念のようなレースです。
昨年までダート3000mの競争でしたが、この年からダート2800mに短縮されました。
その後1998年には、ダート2000mに改められます。
現在は他場公営所属馬、JRA、外国馬が参戦出来るため、国際的にもGⅠ認定ですが、この当時は南関東所属馬しか出走出来ない重賞でした。

1番人気は何と、大井の帝王、的場文男騎手を鞍上に、岩手盛岡競馬の強豪、3歳牡馬スイフトセイダイ。
このレースのために、大井競馬の福永二三厩舎に転厩して来ました。
2歳時は9戦9勝で、岩手競馬2歳チャンピオンに輝き、開け3歳は最初の2戦共に2着に敗れますが、その後敵なく6連勝し、古馬混合の不来方賞(盛岡重賞ダート1900m)、他場公営所属馬交流重賞のダービー・グランプリ(水沢重賞ダート2000m)を含む、重賞4勝。
ここまで17戦15勝2着2回と、完璧な競争成績です。
ダービー・グランプリは、他場公営所属3歳馬が参加可能な交流重賞として、1986年に制定されましたが、当初は南関東大井勢に敵いませんでした。
この年、1989年にスイフトセイダイが、岩手競馬所属馬として初優勝しました。
当時の岩手競馬はレベルが高く、グレートホープと言う強い馬もいましたが、この頃のスイフトセイダイには敵いませんでした。
岩手競馬ではこの頃を、スイフトセイダイ、グレートホープの頭文字を取って、SG時代と言います。
人気でも分かる通り、スイフトセイダイは牡馬と言う事もあり、下馬評はロジータより高かかったです。

2番人気は牝馬でここまで重賞6勝、南関東牡馬3冠に輝いたロジータ。
ロジータの勝ったレースは、ここまで時計が良くなく、かつ強いライバルもいませんでした。

離れた3番人気は、春に金杯(大井重賞ダート2000m)優勝、秋に東京記念(大井重賞ダート2400m)優勝のスーパーミスト。

ちなみに自分、このレースは大井競馬場のスタンドで見ていました。
パドックで初めて見たスイフトセイダイは、550kgを越す雄大な馬体でしたが、その割にはバランスが良かったです。
しかし自分の競馬の師匠との意見が一致したのは、一流馬としては少し太い・・・でした。
残念ながら当時、レベルの高かった大井競馬でも、太い馬は結構いました。

ゲートが空いて、スーパーミスト、トウケイグランディが逃げようとしますが、外から押しつけてスイフトセイダイが逃げました。
2番手は先頭を譲ったスーパーミスト。
3番手は同じく、競り合う事を避けたトウケイグランディ。
ロジータは先団グループのすぐ後ろ、4-5番手を追走しています。

最初の直線向いて、スタートからの1000mがおよそ1分4秒ですから、当時の大井競馬としてはややペースは速いです。
そこにスーパーミストが絡んで来て、逃げたスイフトセイダイは、並みの馬なら直線まで持たないだろうと思いました。
いくら岩手で活躍したからと言って、この辺は大井競馬の意地もあったでしょうね。
ロジータはトウケイグランディの外、4番手に上りました。

3コーナーまで逃げるスイフトセイダイに、スーパーミストが外から絡み、レースを見ていた自分はこの時点で、スイフトセイダイはダメだろうと思いましたね。
3コーナー過ぎからスイフトセイダイがペースを上げ始めますが、スーパーミストもついて行き、併走します。
ロジータはトウケイグランディを交わし、3番手に上りました。
スイフトセイダイの鞍上的場騎手は、手ごたえが良かったのか、2度も後ろを振り返る余裕。

4コーナー周り、競ったスーパーミストの方が手応え悪く、スイフトセイダイが追い出し突き放しました。
もしかすると一瞬、的場騎手は勝ったと思ったかも知れません。
ペースについてゆけなかったか、後方から何も来ません・・・ただ1頭、ロジータを除いては。

歴戦の古馬含む、他馬が直線でもがく中、先頭に立ち懸命に追うスイフトセイダイを馬なりでロジータが交わし、残り200m手前で先頭。
その後スイフトセイダイとの着差を広げ、4馬身差の楽勝。
2着は厳しい競馬を逃げ粘ったスイフトセイダイ。
3着は後方から追い込んで来た船橋のプリンス、コリムプリンス。

1着 ロジータ 2:53.0
2着 スイフトセイダイ 4
3着 コリムプリンス 1 1/2

もしもスーパーミストが終始絡まなければ、どんな結果になっていたでしょう?

スイフトセイダイはこの翌年、岩手競馬場に戻り5戦3勝2着2回と活躍、新潟競馬場に転戦し東北サラブレッド大賞典(新潟重賞ダート1800m)に優勝。
返す刀で、大井競馬に挑戦しますが、グランドチャンピオン2000(大井重賞ダート2000m)、東京大賞典(大井重賞ダート2800m)とも北関東から転籍して来ていたダイコウガルダンに敗れ2着。
大井競馬で重賞勝利はなりませんでしたが、敗れたのは当時、ダートを走らせたら日本一だったかも知れないダイコウガルダン。
この当時のスイフトセイダイは、間違えなく日本のダートでは有数の強豪でした。

このレースの戦前疑問視されたロジータの実力は、それを上回る、文句なしの超一流でした。


明け1990年2月12日、ロジータは引退レースとして、川崎記念(川崎重賞ダート2000m)に出走します。
ちなみに川崎記念は、この年から全国公営競馬の交流レースとなりました。

1番人気はもちろん、ここまで14戦9勝、重賞7勝のロジータ。
2番人気は笠松から遠征して来たイーグルジャム。
東海公営で1989年マーチC(笠松重賞ダート1900m)、1989年東海大賞典(笠松重賞ダート1900m)、1989年ウインター争覇(笠松重賞ダート1900m)の重賞3勝しています。
3番人気は前走条件戦勝利のダービーラウンド。

逃げたのはダービーラウンド。
2番手はイーグルジャム、3番手は生ける伝説の騎手、佐々木竹見騎乗のワールドプラツク。
先団グループと後方グループの2つに分かれ、ロジータは後方グループの前につけました。
最初の直線では、ワールドプラツクが2番手に上りました。
イーグルジャムは控え、後方グループに付け3番手。
3コーナーからロジータが上って行き、ワールドプラツクを交わし、逃げるダービーラウンドの外に付け、4コーナー手前では併走から先頭に出ました。
ダービーラウンドは追いますが、ロジータは馬なりのまま後方を離します。
そのまま直線300mと短い直線だけで、8馬身差を付けて優勝。

2着は逃げ粘ったダービーラウンド、3着直線追い込んだイーグルジャム。
ロジータは、相手関係がかなり楽だったとは言え、ぶっ千切りで勝ちました。

1着 ロジータ 2.10.0
2着 ダービーラウンド 8
3着 イーグルジャム 5


前述のダイコウガルダンが、北関東宇都宮競馬場、東北上山競馬場と転戦して活躍し、1990年に大井競馬場の高岩隆厩舎に転厩して本格化すると、手がつけられないような強さとなりました。
さらに翌年の1991年にはイナリワンの同期、チャンピオンスターが復調して、これまた手がつけられないような強さとなりました。
もしロジータが現役を続けたら、いずれが強かったか、興味は尽きません。

この後繁殖牝馬となり、15頭中14頭が競争馬となり、1勝以上が12頭と、コンスタントに活躍馬を出しました。
カネツフルーヴの2002年帝王賞(大井GⅠダート2000m)で重賞およびGⅠ初制覇します。
初仔のシスターソノは繁殖牝馬としても成功し、ダービー・グランプリ(盛岡GⅠダート2000m)、川崎記念(川崎GⅠダート2100m)、JBCクラシック(大井GⅠダート2000m)とGⅠ3勝のレギュラーメンバーを輩出しました。


これを持ちまして、平成三強物語は、全て終了となります。
1987年頃から、1990年頃までの、JRA、公営競馬を含めた主な日本の競馬について、ほぼ語れたと思います。
長い間、お付き合いありがとうございました。

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2014年2月 8日 (土)

平成三強物語外伝 - フエートノーザン

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、前回書いた第1回全日本サラブレッドカップで、イナリワンを負かした笠松の怪物、フエートノーザンについて書きます。
昔の馬ですし、有名とは言い難いですが、それでもこの時代の公営競馬を知っている人なら、この馬を知らない人はいないというくらいの、凄い馬です。

フエートノーザンの父、フエートメーカー。
フエートメーカーは、当時としてはめずらしい外国産馬として南関東公営競馬で出走しましたが活躍せず、血統が良かった事から公営馬としては珍しく、引退して種牡馬になりました。
フエートメーカーは名馬スワップスの仔で、遡るとカーレッドを経たハイペリオン系。

母アメリカンノーザンで母父はアメリカで活躍したドレスアツプ。
ドレスアツプの父はカーレッドなので、カーレッド3×3と言う濃いハイペリオン系クロスがあります。
余談ですが、祖母の父は、名馬にして名種牡馬ネイティブダンサーを通らない、ポリネシアン系と言う珍しい血統です。

フエートメーカーは恐らく、種付け料も高価ではなかったことが想定され、その仔のそれほど高い期待はされていなかったろうと推測します。

デビューしたのは1986年3月30日、阪神競馬場の未出走戦、ダート1700m。
後のフエートノーザンの活躍を暗示させるような、7馬身差のデビュー戦勝ちでした。
当時の中央競馬は、ダートの重賞も少なく、またGⅠレース皆無な事から、ダートで活躍すると、芝でも走らせてみる傾向にありました。
それは今も変わらないですね。

4月20日フエートノーザンは、京都競馬場の平場の400万下条件戦、芝1600m4に出走しましたが、芝のレースは合わなかったようで、2.2秒も離された11着と大敗。

5月18日フエートノーザンは、阪神競馬場の野苺賞(阪神400万下ダート1800m)に出走しましたが、今度は2着に2馬身1/2つける快勝。

6月22日フエートノーザンは、それでと芝に戻し、競馬場の特別競争、はなのき賞(中京900万下芝1200m)に出走しましたが、勝ち馬から1.3秒離される8着に大敗。

7月6日フエートノーザンは、ひめゆり賞(中京900万下芝2000m)に出走しましたが、勝ち馬から2.1秒離される9着に大敗。
以後、ダート専門に使われるようになりました。

10月12日フエートノーザンは、愛宕特別(京都900万下ダート1800m)に出走し、クビ差勝利。

10月18日フエートノーザンは、連闘で望んだ貴船特別(京都1400万下ダート1400m)に出走し、距離が短かったか、連闘が響いたのか、0.3秒差5着に敗退。
ちなみにこのレースで勝利したミスターボーイは、公営笠松からJRAに転厩し、マイラーズC(阪神GⅡ芝1600m)に優勝し、マイルCS(京都GⅠ芝1600m)3着、安田記念(東京GⅠ芝1600m)3着と活躍します。

11月15日フエートノーザンは、太泰特別(京都1400万下ダート1800m)に出走し、今度は2着に2馬身1/2つける快勝。
こつこつ勝ちを重ね、オープン馬まで上りつめました。

12月7日フエートノーザンは、当時JRAの数少ないダート重賞、ウインターS(中京GⅢダート2200m)に出走しました。

1番人気は、1985年シンザン記念(京都GⅢ芝1600m)、1986年札幌記念(札幌GⅢダート2000m)と重賞2勝のライフタテヤマ。
2番人気は、1985年札幌記念(札幌GⅢダート2000m)優勝のリキサンパワー。
3番人気は、フエートノーザン。

逃げたのはリキサンパワー、2番手フエートノーザン、3番手ライフタテヤマ。
スタートから3F(600m)は38.2、1000m通過1分3秒7の平均ペース。
正面スタンド前には、ライフタテヤマが2番手に上り、リキサンパワーの外から被せます。
カシワクラフト、モガミダートが上がり、フエートノーザンを交して前に出ました。
向こう正面中間地点には、リキサンパワーを交し、リキサンパワーが先頭に立ちます。
3コーナー手前には、フエートノーザンも前に進出し、3番手まで上がります。
3-4コーナーでは、挽回しようと手が動きますが、この辺でリキサンパワーは一杯。

先頭のライフタテヤマの外から、フエートノーザンが追いかけますが、差が詰まるどころかじりじり離されます。
ライフタテヤマは楽な手度たえで、2馬身1/2差を付けて優勝。
2着はフエートノーザン。

勝利したライフタテヤマは、当時のJRAのダートの強豪でした。
3歳で、ライフタテヤマの2着は立派です。

1着 ライフタテヤマ 2:19.7
2着 フエートノーザン 2 1/2
3着 タニワカタイショウ  3/4


翌1987年1月18日フエートノーザンは、平安S(京都オープンダート1800m)に出走し、ミスターボーイに1/2馬身差で優勝します。

3月21日フエートノーザンは、仁川S(阪神オープンダート1800m)に登録しますが、フレグモーネ(化膿性炎症)をわずらい、出走を取り消します。


4月8日フエートノーザンは、春の目標だったJRAと公営との交流競争、帝王賞(大井重賞ダート2000m)に出走しました。

帝王賞は、1978年に中央競馬の天皇賞の様に権威ある競走になって欲しいとの意のもと、創設された重賞競走です。
南関東地区の古馬の春のダート最強馬決定戦と言う側面もあります。
1986年から、中央競馬招待レースとなり、それまで対決出来なかった中央と地方の馬が対決する場ともなりました。
ちなみに中央競馬所属馬が始めて優勝したのは、1990年オサイチブレベストになります。

1番人気は、1986年浦和記念(浦和重賞ダート2000m)、1986年ゴールドカップ(浦和重賞ダート2000m)、1987年ダイオライト記念(船橋重賞ダート2400m)と重賞3勝のアイランドハンター。
2番人気は、1984年桐花賞(水沢重賞ダート2000m)、1985年名古屋大賞典(名古屋重賞ダート1900m)、1986年東京大賞典(大井重賞ダート3000m)等、東北、中京、南関東の重賞11勝の公営の名馬、カウンテスアツプ。
3番人気は、フエートノーザン。
他にはオールカマーで2着したガルダン、川崎記念優勝馬カウンテスアップ、前年の帝王賞の覇者トムカウント、かしわ記念優勝のアイランドハンター、東京大賞典他重賞4賞馬テツノカチドキも出走して来ました。

逃げたのはJRAのアイランドテイオー、2番手は南関東公営のアイランドハンター、3番手カウンテスアップ。
フエートノーザンは5番手。
大井競馬場の外回り2000mとしてはペースが早く、1000m通過タイムが1分1秒少々。

3コーナー過ぎからカウンテスアップが徐々に進出して、先頭に並びかけます。
逃げたアイランドテイオーは4コーナー回って手ごたえなく、カウンテスアップ先頭。
カウンテスアップの的場文騎手は、勝ったと思ったかもしれません。

しかし道中ペースが速かったせいか、カウンテスアップも手ごたえほど伸びません。
その外からアイランドハンターが並びかけ、さらにその外からガルダン、ウメノスペンサーが追い込みます。
しかしさらに、当初後方から2番手で追走していたテツノカチドキが進出し、さらにその大外から追い込みます。
ウメノスペンサーの脚色良く、さらに脚色が良いのがテツノカチドキ。
バテないウメノスペンサーを1完歩ずつ差を縮め、鼻差刺し切ったところがゴール。

テツノカチドキは、近年勝ち切れない競馬が続きましたが、悲願の帝王賞優勝となりました。
フエートノーザンは脚部不安のためか、テツノカチドキから3秒離された11着に敗退。

1着 テツノカチドキ 2:07.5
2着 ウメノスペンサー ハナ
3着 カウンテスアツプ 1 1/2


ウィキペディアのフエートノーザンの項目に、この後持病の裂蹄が悪化し、笠松競馬場の外厩で休養に入ったと書かれていますが、これを素直に信じる事は出来ませんね。
想像ですが、フエートノーザンを買い取ってもらう目的で、あるいは買い取ってもらう目算がついての行動はないかと思います。

JRA時代のフエートノーザンですが、蹄が弱く、まともな調教が出来なかったそうですが、それでダートで活躍しました。
むしろ蹄が弱かった割りに、走らせ過ぎです。
JRAから笠松競馬に移った事は、むしろ僥倖(ぎょうこう)と言えたでしょう。

この後、笠松競馬に転厩となりますが、当初は裂蹄がヒドく、まともに歩く事さえ出来なかったそうです。
むやみにレースに出さず、じっくり休ませた事で、裂蹄から回復しました。

10月28日フエートノーザンは、笠松競馬場、A1A2クラス特別競争の東海クラウン(ダート1800m)に出走します。
鞍上は、当時笠松の大エース、安藤勝己。
ダイカツスピードに1馬身差をつけ、楽勝します。

11月19日フエートノーザンは、名古屋競馬場、A1A2クラス特別競争のトパーズ特別(ダート1600m)に出走し、ヒカリピアーに1馬身差をつけ、楽勝します。
何故かしらこのレースび鞍上は、安藤勝己ではなく黒宮高徳と言うジョッキーでした。


12月1日フエートノーザンは、名古屋大賞典(名古屋重賞ダート1900m)に出走しました。

1番人気は、1987年東海菊花賞(名古屋重賞ダート2400m)等、中京地区の重賞4勝の笠松のエース、ワカオライデン。
2番人気は、フエートノーザン。
3番人気は、前走トパーズ特別で3着だったポールドヒユーマ。
ワカオライデンの斤量57kg、フエートノーザンの斤量56kg。
このレース以後、鞍上は安藤勝己となります。

結果は笠松のエース、ワカオライデンが優勝。
2着は3馬身差ニユーダイオー。
フエートノーザンはニユーダイオーのクビ差3着。

1着 ワカオライデン 2:07.5
2着 ニユーダイオー 3
3着 フエートノーザン クビ


12月30日フエートノーザンは、東海ゴールドC(笠松重賞ダート2500m)に出走しました。
ハンデ戦です。
ワカオライデンはここが引退レースで、JRAでも笠松競馬でも活躍したため、公営馬としては珍しく、種牡馬入りが決定していました。

1番人気は、斤量61kg、ワカオライデン。
2番人気は、斤量53.5kg、フエートノーザン。
3番人気は、斤量54kg、東海ダービー(名古屋重賞ダート1900m)等、重賞4勝の3歳馬ワイズルーラ。

斤量差に恵まれ、ワカオライデンに0.2秒差つけて、フエートノーザン優勝。
前走の雪辱を果たしました。

1着 フエートノーザン 2:46.0
2着 ワカオライデン 1 1/2
3着 ワイズルーラ クビ


ここでワカオライデンは引退しましたので、フエートノーザンは名実とも笠松のエースとなりました。
足元がパンとして、厳しい調教もつめるようになり、調子もアップしました。


翌1988年1月15日フエートノーザンは、オープン特別の新春クラウン(笠松オープンダート1900m)に出走し、コクセイピユーマに0.4秒差付け優勝。

3月9日フエートノーザンは、オープン特別のマーチC(笠松オープンダート1900m)に出走して来ましたが、除外。
ゲートで暴れて怪我でもしたのでしょうか?理由は分かりません。


4月6日フエートノーザンは、東海大賞典(笠松重賞ダート1900m)に出走しました。
ハンデ戦です。

1番人気は、斤量55kg、東海ダービー(名古屋重賞ダート1900m)等、重賞4勝のワイズルーラ。
2番人気は、斤量57kg、フエートノーザン。
3番人気は、斤量53kg、重賞1勝のフエートキング。

フエートノーザンが、強豪ポールドヒューマにクビ差優勝。
着差はわずかですが、フエートノーザンの斤量は57kg、ポールドヒューマは54kgでした。

1着 フエートノーザン 2:03.3
2着 ポールドヒューマ クビ
3着 ワイズルーラ 1 1/2


4月27日フエートノーザンは、スプリング争覇(笠松オープンダート1400m)に出走し、1馬身差で優勝。

6月15日フエートノーザンは、ローレル争覇(笠松オープンダート1800m)に出走しますが、早目先頭に立つと内にもたれる悪癖を出し、ポールドヒューマの1/2馬身差2着に敗れます。

9月14日フエートノーザンは、オータムC(笠松オープンダート1900m)に出走しますが、前走と同じく、先頭に立つと内にもたれる悪癖を出し、リツチホーマンの3/4馬身差2着に敗れます。
内にもたれる悪癖を矯正するため、脚質を追い込みに転換し、長く脚が使える事から、直線の短い笠松や名古屋競馬場に合わせ、早めにスパートする事にしました。

10月19日フエートノーザンは、オパール特別(中京オープンダート1700m)で、斤量58.5kgを背負い、追い込んで1馬身1/2差をつけて優勝。
2着のウオロービジヨンの斤量は、53.5kg。


11月3日フエートノーザンは、東海菊花賞(名古屋重賞ダート2400m)に出走しました。
ハンデ戦です。

1番人気は、斤量59kg、フエートノーザン。
2番人気は、斤量54kg、前走ゴールド争覇(中京重賞芝2000)優勝のヒデノフアイター。
3番人気は、斤量54kg、重賞1勝のリツチホーマン。

追い込んで、強豪ヒデノファイターに3馬身差つけて、フエートノーザンが優勝します。

1着 フエートノーザン 2:38.8
2着 ヒデノファイター 3
3着 ウオロービジヨン ハナ


11月23日フエートノーザンは、全日本サラブレッドC(笠松重賞ダート2500m)に出走しました。
レース詳細は、平成三強物語 - 1988年 全日本サラブレッドカップ(笠松重賞ダート2500m) イナリワン(3)を参照願います。


12月30日フエートノーザンは、東海ゴールドC(笠松重賞ダート2500m)に出走しました。
ハンデ戦です。

1番人気は、斤量61kg、フエートノーザン。
2番人気は、斤量56kg、重賞2勝のポールドヒユーマ。
3番人気は、斤量54kg、重賞3勝のトミシノシエンロン。

フエートノーザンは、追い込んで6馬身差をつけて、ぶっ千切り優勝で連覇。
2着イーグルジャムの斤量、53kg。

1着 フエートノーザン 2:46.2
2着 イーグルジャム 6
3着 ポールドヒユーマ 1


明け1989年2月25日フエートノーザンは、東海クラウン(笠松オープンダート1800m)は出走しようとしますが、取り消し。
馬番までついているので、馬番確定後の取り消しでしょうね。


3月21日フエートノーザンは、名古屋大賞典(名古屋重賞ダート1900m)に出走しました。
ハンデ戦です。

1番人気は、斤量61kg、フエートノーザン。
2番人気は、斤量56kg、重賞2勝のポールドヒユーマ。
3番人気は、斤量56kg、重賞1勝のダンシングジオツト。

フエートノーザンは追い込んで、1馬身1/2差で優勝します。
2着タキノプリンスの斤量、54kg。

1着 フエートノーザン 2:04.7
2着 タキノプリンス 1 1/2
3着 ポールドヒユーマ 2


もはや東海地区には敵はなく、4月12日フエートノーザンは、レベルの高い南関東の大井競馬場の高額重賞、帝王賞(ダート2000m)に出走しました。

南関東では、我こそは公営No1と言う自負があり、例え成績が良くとも、他地区からの馬が人気になる事は少ないです。
1番人気は、フエートノーザン。
1988年全日本サラブレッドカップ(笠松重賞ダート2500m) で、イナリワンを負かした事を評価されたか。
2番人気は、JRAのダートの強豪、タイガールイス。
3番人気は、東京大賞典(大井重賞ダート3000m)2着、川崎記念(川崎重賞ダート2000m)2着の大井競馬の強豪、アラナスモンタ。

逃げたのはアエロプラーヌ、2番手タカライデン、3番手ケイコバン、以後スーパーミスト、アラナスモンタと重賞の常連が続きます。
フエートノーザンはいつも通り後方から。

レースは淡々と流れますが、4コーナー手前で落馬があり、3頭が影響を受け、グレートサーペン、ムサシアポロン、ナスノダンデーが競争中止。
フエートノーザンは4コーナー手前からスパートします。
大井競馬場の直線は、386m。並みの馬なら、脚は持たないのですが・・・

直線向くとフエートノーザンは、1頭だけ次元の違う脚で、内にもたれる悪癖を出しながらも、並ぶ間なしに先頭に・・・
先行していた前年の東京大賞典2着馬アラナスモンタが、逃げたアエロプラーヌを交わしてフエートノーザンを追いますが、全く差は縮まらず。
力の違いを見せつけフエートノーザン優勝。
2着はまたしてもアラナスモンタ、3着はアエロプラーヌ。
ちなみにJRA最先着は、ケイコバンの5着。

1着 フエートノーザン 2:07.3
2着 アラナスモンタ 2 1/2
3着 アエロプラーヌ 1 1/2


全国的に有名な大井競馬場、帝王賞を優勝して、フエートノーザンの種牡馬入りが決まったそうです。
札幌のブリーダーズゴールドカップ、笠松の全日本サラブレッドカップ、さらに状態を見て翌年の川崎の川崎記念を使って、引退するプランが発表されました。
ちなみに公営馬の種牡馬は、かなり珍しく、また種付けも人気がなく、成功するのはまれだそうです。


6月14日笠松競馬場、オープン特別のローレル争覇(ダート1800m)に出走しました。
この時の斤量、何と68kg!?
斤量が嫌われたか、2番人気となりましたが、ものともせずスターライジンに1馬身1/2差馬身差をつけて優勝。
もはや勝ち過ぎたために、東海地区では重い斤量を背負わねばならず、走るレースが限られて来ます。

このレースでの斤量が応えたか、はたまた夏負けしたか、この後調子を崩しました。
予定通り札幌競馬場に行きましたが、状態は回復しなかったそうです。


10月10日フエートノーザンは、ブリーダーズGC(札幌重賞ダート2400m)に出走しました。

ブリーダーズGC(ブリーダーズ・ゴールド・カップ)は、この時第1回。
公営ホッカイドウ競馬による、中央競馬と地方競馬のサラブレッド系4歳以上の馬による、1着賞金当時3000万円の重賞競走です。
帝王賞、全日本サラブレッドCに続く、地方競馬の強豪と、JRAの強豪が対戦出来る、数少ないレースでした。

1番人気は、フエートノーザン。
2番人気は、JRAでこの年ダート1400万下からオープンを3連勝したレインボーアカサカ。
3番人気は、ホッカイドウ競馬で6連勝中のホロトマイケル。

他には元々東海公営のオープン馬で、その後中央競馬、新潟競馬に移籍したコクセイピユーマ、ホッカイドウ競馬の北海優駿に優勝したホロトウルフが出走して来ました。

当時、JRAでもっともダートでは強かったかも知れないレインボーアカサカが逃げます。
鞍上は、JRAのNo1と目されていた騎手、岡部幸雄。

直線向いて、映像を何度見ても、フエートノーザンが勝つようには見えません。
直線241mと短い札幌競馬場で、4コーナー手前に中団からフエートノーザンと地元北海道のツルギエイカンが追いますが、先頭レインボーアカサカまで8馬身以上あります。
直線向いても、逃げるレインボーアカサカはずっと先。
レインボーアカサカがますが、先行していたホロトウルフが突っ込んで来ます。

フエートノーザンは、ツルギエイカンと共に、凄い足で追い込んで来て、ゴール前抜け出していた、地元北海道のホロトウルフをクビ差交わして優勝。
JRA勢は、レインボーアカサカの4着が最高でした。

1着 フエートノーザン 2:31.9
2着 ホロトウルフ クビ
3着 ツルギエイカン クビ


11月23日フエートノーザンは、連覇をかけて、この年の笠松競馬最終戦の、全日本サラブレッドC(笠松重賞ダート2500m)に出走しました。
今年は昨年ほどのメンバーではなく、他場から参加して来たのは、浦和競馬のオープンクラス、シヤインジヤガーと高知競馬のホクトドリーマーくらいです。

1番人気は、フエートノーザン。
地元笠松の競馬ファンも、この頃はフエートノーザンをダート日本一と認識し、支持率9割を超え単賞1.0倍の人気になります。
2番人気は、重賞2勝のポールドヒユーマ。
3番人気は、重賞1勝のイーグルジヤム。

スタートしてスタンドの前を通り、1コーナー過ぎて、フエートノーザンは骨折を発症、競走中止しました。
ポールドヒユーマが、イーグルジヤムを1馬身1/2押さえて優勝。

1着 ポールドヒユーマ 2:45.7
2着 イーグルジヤム 1 1/2
3着 トミシノシエンロン クビ


フエートノーザンの骨折は当初は、重大な故障とは考えられておらず、骨折を直せば種牡馬入りできると考えられていました。
しかし感染症を併発して馬がガレ、回復が見込めなかった事から、同年12月12日に安楽死処分が取られた。

前年全日本サラブレッドCで破ったイナリワンは中央入りして、この年の天皇賞春、宝塚記念、有馬記念に優勝し、翌年年度代表馬に選出されます。
皮肉な事にフエートノーザンは、JRA年度代表馬のイナリワンを子ども扱いした馬として、記憶に残される事となりました。
確かに1988年、1989年、ダートを走らせたら日本一強かったでしょう。
チャンピオンスターのところでも書きましたが、完調状態のチャンピオンスターと対戦して欲しかった

次回は、オグリキャップとタマモクロスの芦毛対決第2弾、1988年ジャパンカップについて書きます。

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2013年11月 2日 (土)

平成三強物語外伝 - サッカーボーイ

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、平成三強の脇役と呼ぶには惜しい記憶に残る馬、サッカーボーイについて書きます。

サッカーボーイの父ディクタスは、ジャック・ル・マロワ賞に勝ったヨーロッパではなかなかの名マイラーでした。
ちなみにイギリス遠征した際、クイーンエリザベス2世ステークスで、稀代の名マイラーのブリガディアジェラードから8馬身差の2着となりました
ディクタスの父、サンクタスは仏ダービー、パリ大賞典を勝った中長距離馬。
種牡馬としても、フランスのリーディングサイヤーとなっています。

祖父ファイン・トップは、逆に短中距離で活躍した馬で、代表産駒には凱旋門賞馬トピオがいます。

ディクタスの母父、ワーデンは3度フランスのリーディングサイヤーとなったワイルド・リスク。
ワイルド・リスクの曽祖父が、かの伝説的サラブレットのサンシモン(セント・サイモン)です。

つまりディクタスはステイヤー血統で、当時としては良血だったにも関わらず、2400mくらいのクラッシック・ディスタンス(2400m)では勝てませんでした。
試しに、マイル(1600m)のレースに出走すると、ぶっ千切り、またはレコード勝ちしました。
ディクタスが中短距離でしか活躍出来なかったのは、気性の激しさだと言われています。

サッカーボーイの母系は、日本のでノーザンダンサー系で最も活躍した種牡馬、ノーザンテースト。
母系にプリンスリーギフト、ナスルーラーのスピード系血統が入っています。

サッカーボーイは、子馬としては小柄だったにも関わらず、気性が激しかったそうです。
また後肢で立つと言う、奇妙なクセがありました。
それでもデビュー時までに、体重438kgにまでなりました。

1987年8月9日、函館競馬場の不良馬場の新馬戦芝1200m、1番人気に支持され、後続に9馬身差をつけて圧勝しました。
その時の2着は、後に京成杯(中山GⅢ芝1600m)や東京新聞杯(東京GⅢ芝1600m)を勝つ、トウショウマリオ。

9月27日サッカーボーイは、函館3歳S(函館GⅢ芝1200m)に出走しました。

1番人気は、前走新馬戦を3馬身1/2千切ったカゲマル。
2番人気は、前走未勝利戦を9馬身千切ったディクターランド。
3番人気は、サッカーボーイ。

逃げたのはディクターランド、2番手スーパーハイウェイ、3番手サンエムプライズ。
サッカーボーイはスタートで、短距離戦で致命的な出遅れをし、後方から2番手に付けました。
スタートから3F(600m)は35.0、ぐちゃぐちゃの重馬場としては速いペース。

3コーナーから直線にかけて、内馬場はぐちゃぐちゃしていて、逃げたディクターランドは、馬場中央を行きます。
3-4コーナーでサッカーボーイが中団まで上がって行きました。

チカノパワーは荒れているインコースを突きました。
馬場中央を行くディクターランドの脚色衰えず、内外の差を活かして、チカノパワーが粘ります。
外からサンエムプライズが差して来ますが、全く届きそうにありません。
ディクターランドが優勝しました。
2着はチカノパワー。

終始最後方追走で、短い直線で追い上げましたが、4馬身1/2差4着に敗れました。
馬場が重かったのも、サッカーボーイには向かなかったでしょう。
当時の函館競馬場は水はけ悪く、雨が降るとすぐに田んぼのようになりました。
ディクターランドは後に、皐月賞でヤエノムテキの2着します。

1着 ディクターランド 1.12.2
2着 チカノパワー 2 1/2
3着 サンエムプライズ 2


10月31日サッカーボーイは、もみじ賞(2歳オープン芝1600m)に出走しました。

1番人気は、サッカーボーイ。
2番人気は、前走新馬勝ちのスーパーグランパパ。
3番人気は、札幌3歳S(札幌GⅢダート1200m)3着のウェルネス。

逃げたのはアグネスカノーバ、2番手シンクルセダ、3番手ダイタクロンシャン。
ダイタクロンシャンのまわりには、先行したい馬が集まり、その馬群の内側にサッカーボーイが付けました。
スタートから3F(600m)は35.6、1000m通過が59.0と、重馬場としては速いペース。
馬場の根つきが良いのでしょう。
3-4コーナーで、ダイタクロンシャンが上り、先頭に立ちました。
各馬進出し、ラガーブラック、ウェルネスが先団まで脚を伸ばしました。
サッカーボーイもインコースから、先頭に立ったダイタクロンシャンに迫ります。

京都競馬場外回りは、インコースが空きますので、直線向いたサッカーボーイがインを付き、ダイタクロンシャンをアッサリ交わして先頭に立ちます。
そのまま逃げるダイタクロンシャンを置き去りにして、離す一方。
ラガーブラックが差して来て、ダイタクロンシャンを交わしましたが、サッカーボーイの背中しか見えません。

重馬場にもめげずサッカーボーイは、2着ラガーブラックに10馬身差をつけるぶっ千切り圧勝。
ラガーブラックは翌年、シンザン記念(GⅢ芝1600m)に勝ちます。

1着 サッカーボーイ 1:36.4
2着 ラガーブラック 10
3着 ダイタクロンシャン 2 1/2


12月20日サッカーボーイは、阪神3歳S(阪神GⅠ芝1600m)に出走しました。
※当時のレース名表記です(当時の日本競馬は数え年表記)

1番人気は、サッカーボーイ。
馬体重も、452kgまで増えました。
2番人気は、新馬戦を3馬身差圧勝したメジロワース。
4歳時には、マイラーズC(GⅡ芝1600m)を勝ちます。
3番人気は、オープンの野路菊賞を快勝したミスターシクレノン。
ミスターシクレノンは4歳時には、天皇賞春(GⅠ芝3200m)で2着、鳴尾記念(GⅡ芝2500m)優勝、7歳時にダイヤモンドS(GⅢ芝3200m)に優勝します。
勝ち味に遅い馬で、重賞の2着は7回、3着は1回あります。

逃げたのはアグネスカノーバ、2番手ジンデンボーイ、3番手ヒロノオスカー、サッカーボーイは中団。
スタートから3F(600m)は34.6、1000m通過58.0のかなりのハイペース。
ハイペースの割りに、各馬付いてゆき、馬群はそれほど縦長にはなりません。

サッカーボーイは何と向こう正面からじわじわ上がって行き、3コーナーには先団に取り付きます。
3-4コーナーでは逃げたアグネスカノーバと並びかけるジンデンボーイのすぐ後ろに付けました。

直線向いてスピードの違いで馬なりに先頭に立ち、鞍上内山正騎手が気合をつけただけで、後続を突き放します。
鞭を入れると、見る見る後方を突き放す、8馬身差楽勝。
これだけ楽な競馬なのに、古馬オープンでもなかなか出せない芝1600mの1分34秒台で、2歳馬としては、破格のレコードタイム。
エンジンが全く違いました。
2着には、後方から追い込んで来たデイリー杯(GⅡ芝1600m)勝ち馬のダイタクロンシャン。
3着は粘ったジンデンボーイ。

1着 サッカーボーイ 1.34.5 レコード
2着 ダイタクロンシャン 8
3着 ジンデンボーイ 1 1/4

同日、中山競馬場で行われた朝日3歳S(中山GⅠ芝1600m)のサクラチヨノオーの勝ちタイムは、1秒以上遅い1分35秒6。
当時の競馬ファンは、この世代最強は、サッカーボーイと言う認識でした。


この後休養し、皐月賞(東京GⅠ芝2000m)を目指して1988年3月6日サッカーボーイは、弥生賞(東京GⅡ芝2000m)に出走しました。
この頃、中山競馬場は工事で、東京競馬場で代替開催していました。

1番人気は、6枠の担枠指定サッカーボーイ。
単枠指定とは、この頃馬連はありませんでしたので、特に人気がかぶりそうな馬は、人気馬が取り消したら払い戻しされるよう、その枠に人気馬1頭しか入れない制度です。
阪神3歳Sの桁違いの勝ちっぷりから単枠指定になり、人気拍車がかかったのでしょうね。
2番人気は、朝日3歳S(GⅠ芝1600m)優勝のサクラチヨノオー。
しかし前走共同通信杯4歳S(GⅢ芝1800m)では、4着に敗れました。
3番人気は、前走京成杯(GⅢ芝1600m)勝ったトウショウマリオ。

サクラチヨノオーが逃げ、2番手モガミファニー、3番手ビンゴユメタ。
サッカーボーイは後方に控えました。
スタートから3F(600m)は37.1、1000m通過1分1秒8とスローペース。
サッカーボーイは向こう正面には、じわりと中団に上がります。
サクラチヨノオーは離して逃げている事もあり、絡んで来る馬はなく、マイペースを保っています。
3コーナー過ぎて、先団は逃げるサクラチヨノオーに接近しようと手が動きますが、少ししか差は縮まりません。

直線向いて、サッカーボーイは5番手まで進出しますが、まだサクラチヨノオーまで7-8馬身あります。
絶妙の逃げで、サクラチヨノオーの脚色は衰えません。
中団から脚を伸ばしたトウショウマリオがサクラチヨノオーを追いかけますが、脚色一緒で届きそうにもない。
なかなかエンジンがかからないサッカーボーイは、徐々にスピードが乗り、大外残り200mから凄い脚を使いますが、トウショウマリオにクビ差迫る3着までが精一杯。
サクラチヨノオーが優勝しました。

1着 サクラチヨノオー 2.01.1
2着 トウショウマリオ 2
3着 サッカーボーイ クビ

実はサッカーボーイは、この時裂蹄を起こしたと言われています。


その後、裂蹄から菌が入り、飛節炎となり4月17日の皐月賞(中山GⅠ芝2000m)を回避します。
日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)に間に合わせるため治療を急ぎ、さらに体調悪化したのだそうです。

日本ダービーに出走する賞金は足りていましたが、鞍上をトップジョッキー河内に代え、調整代わりに5月8日ダービートライアルのNHK杯(東京GⅡ芝2000m)に出走します。

1番人気は、サッカーボーイ。
今回は単枠指定とはなりませんでしたが、競馬ファンには阪神3歳Sの桁違いの勝ちっぷりがあったでしょう。
自分の記憶に間違えなければ、調教自体は普通に走っていたはずです。
2番人気は、皐月賞(中山GⅠ芝2000m)5着のマイネルロジック。
3番人気は、前走クリスタルC(中山GⅢ芝1200m)2着のギャラントリーダー。

チョウカイパールが逃げ、2番手ギャラントリーダー、3番手メジロアルダン。
サッカーボーイは中段に控えました。
スタートから3F(600m)は36.7、1000m通過1分1秒3、当時の東京競馬場の荒馬場では、速いペースしょう。

3コーナーから、中団、後方の馬が進出し、馬群が縮まります。
3-4コーナーで中団が固まり、前に進出して来ました。
マイネルグラウベンが、4コーナー手前で、外3番手まで上りました。
直線向いて、メジロアルダンが鉈(なた)の切れ味で、じわじわ先頭に立ちます。
その外からマイネルグラウベンが追いかけます。
大外から凄い足で、コクサイトリプルが上って来ました。
さらにその外から、サッカーボーイも追い込んできますが、先頭には届きそうにない。

1完歩ずつマイネルグラウベンがメジロアルダンを追い詰め、クビ差でたところがゴール。
伏兵マイネルグラウベンがが優勝しました。
3着は最後、同じ脚色になってしまったコクサイトリプル。

サッカーボーイは、脚を伸ばしたもののマイネルグラウベンの4着に敗れました。
良い時の行きっぷりじゃなく、まだ体調が戻っていなかったのでしょう。
オーナーの意向もあったでしょうが、どうしてこのレースに出走させたのでしょうか?
馬が潰れなかっただけ、幸いでした。

1着 マイネルグラウベン 2.02.0
2着 メジロアルダン アタマ
3着 コクサイトリプル 3/4


5月29日サッカーボーイは、日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)に出走しました。

1番人気は、阪神3歳S(阪神GⅠ芝1600m)ぶっ千切りの優勝、皐月賞(中山GⅠ芝2000m)を回避し、NHK杯(東京GⅡ芝2000m)4着のサッカーボーイ
自分の記憶に間違えなければ、調教自体は普通に走っていたはずで、陣営は今度こそと鼻息が荒かったです。
しかしサッカーボーイはこの頃、蹄の状態が悪く、抗生物質を注射して体調悪化していたそうです。
2番人気は、皐月賞(東京GⅠ芝2000m)優勝馬、ヤエノムテキ
3番人気は、朝日3歳S(GⅠ芝1600m)、弥生賞(東京GⅡ芝2000m)優勝馬のサクラチヨノオー。
絶対にダービーを勝つと鼻息荒かったコクサイトリプル4番人気。

大方の予想通り、アドバンスモアが大逃げし、2番手ディクターランド、3番手サクラチヨノオー、コクサイトリプル、ヤエノムテキ、サッカーボーイは後方に付けます。
スタートから3F(600m)は35.1、1000m通過59.9のかなりのハイペース。

向こう正面でアドバンスモアと、後続の差は少しずつ縮まって行きます。
3-4コーナーで各馬仕掛け、直線向く前に、大逃げしていいたアドバンスモアが失速します。
インコースからギャラントリーダーが先頭に立ちます。

サクラチヨノオーはここまで仕掛けを我慢して、直線向いて満を持して追い出します。
サクラチヨノオーと同時に追い出したメジロアルダンの一瞬の切れ味が勝り、メジロアルダンが先頭に立ちます。
ここからサクラチヨノオーとメジロアルダンのマッチレースとなります。
メジロアルダンの鞍上、岡部はもしかすると、勝利を確信したかも知れません。

メジロアルダンに対し、切れはありませんが、バテずスピードが持続するサクラチヨノオーは、ゴールに近づくにつれ、いっぱいのメジロアルダンより脚色が良くなりました。
サクラチヨノオーが懸命に追いかけ、一完歩ずつ迫り、鞍上小島太も良く追って、クビ差交したところがゴール。
サクラチヨノオー1着、伏兵メジロアルダンが2着、3着中団から追い込んだコクサイトリプル、ヤエノムテキは4着でした。
サッカーボーイは、この時点では体長戻らず、15着。

1着 サクラチヨノオー 2:26.3
2着 メジロアルダン クビ
3着 コクサイトリプル 1/2


7月3日サッカーボーイは、中日スポーツ賞4歳S(中京GⅢ芝1800m)に出走しました。
この時サッカーボーイは完調状態ではなかったようですが、状態は上向いていたそうです。

1番人気は皐月賞馬で単枠指定、別定重量58kgを背負ったヤエノムテキ
2番人気は別定重量56kgを背負った単枠指定、サッカーボーイ。
3番人気は、別定重量55kgを背負った、前走白百合S(阪神オープン芝2000m)3着のミツルビューティー。

ユーセコラッキーが逃げますが、すぐに武豊鞍上のバンダムテスコが交して行きます。
2番手ユーセコラッキー、3番手1番人気のヤエノムテキが外を被せるように先行します。
サッカーボーイは控え、最後方から2番目を追走します。
スタートから3F(600m)は37.3、1000m通過が1分2秒1のスローペースで、馬群は団子状態。
サッカーボーイは3-4コーナーで上がって行きます。

ヤエノムテキは4コーナーで外に振られましたが、馬群中央を先頭に立つ横綱相撲。
先団に取り付いて、馬群の大外を回したサッカーボーイが、1完歩ずつヤエノムテキを追い詰め、残り80mでヤエノムテキを1/2交して久々の優勝。
3着は逃げたバンダムテスコ。

斤量差もあったでしょうが、皐月賞馬ヤエノムテキ相手に、堂々の勝利。
体調復活を印象づけました。

1着 サッカーボーイ 1.48.9
2着 ヤエノムテキ 1/2
3着 バンダムテスコ 1/2


8月21日サッカーボーイは、ハンデ戦の函館記念(函館GⅢ芝2000m)に出走しました。

1番人気は、斤量56kgのサッカーボーイ。
3歳馬にも関わらず、背負わされました。
2番人気は、1985年日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)優勝馬で、ヨーロッパ遠征帰りの斤量59kg、シリウスシンボリ。
3番人気は、1986年日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)優勝馬で斤量59kg、メリーナイス。

GⅢとは思えない超豪華メンバーで、他GⅠホースに桜花賞(GⅠ芝1600m)、オークス(GⅠ芝2400m)勝ち、エリザベス女王杯(GⅠ芝2400m)2着の女傑、斤量57kgのマックスビューティ。
重賞ウイナーなら、NHK杯(GⅡ芝2000m)勝ちのトウショウサミット、金鯱賞(GⅢ芝1800m)勝ちのパッシングパワー、NHK杯(GⅡ芝2000m)勝ちのマイネルグラウベン。
出走馬の半分、7頭が重賞ウイナーです。
NHK杯でサッカーボーイを負かしたマイネルグラウベンは、ハンデ54kgです。

じわっとスタートして、周りを見ながら逃げたのはアズマグリント、しかしメイショウエイカンが交して先頭に立ちます。
外からマイネルグラウベンが被せて2番手。
シリウスシンボリは先団のすぐ後ろ、メリーナイス、マックスビューティは中団、その後ろにサッカーボーイが付けます。
ハイペースで、スタートしての3Fが34.0と言うマイル戦(1600m)並みのハイペース。
そのため1000m通過タイムも57.7と言う、超ハイペース。
しかもそのハイペースに、各馬団子状態となって付いて行きました。

3コーナー手前でメリーナイス、シリウスシンボリが上がって行き、マックスビューティはやや後退、サッカーボーイはジワリと上がって行きました。
3-4コーナーでは、前を詰めようとするメリーナイス、シリウスシンボリを尻目に、サッカーボーイの手応えは抜群。
4コーナー手前には先頭を走るアズマグリントを捉える位置に付けます。

メリーナイス、シリウスシンボリは、もがきながら先団を追走しています。
サッカーボーイは抜群の手応えで、直線には先頭に立ち、直線向いて後続を突き放す一方。
先行勢は総崩れして、メリーナイスが底力で2番手に出ますが、その差は広がる一方。
サッカーボーイは初めての古馬との対戦、そしてハンデを背負わされたにも関わらず、GⅠホースを相手に5馬身差の圧勝。
勝ちタイムは1分57秒8と言う、当時としては驚異的日本レコードタイム。
その後、新潟競馬場がリニューアルされて時計が出るようになるまで、12年も破られませんでした。
2着はメリーナイス、その2馬身1/2差3着にトウショウサミット。

1着 サッカーボーイ 1.57.8 レコード
2着 メリーナイス 5
3着 トウショウサミット 2 1/2


その後、菊花賞(GⅠ芝3000m)天皇賞秋(GⅠ芝2000m)を両方を目指し調整されますが、捻挫して両方のレースを回避します。
もしこの時、天皇賞秋に出走していたら、タマモクロス、オグリキャップと3強対決になっていたでしょう。

11月20日サッカーボーイは立て直し、マイル・チャンピオン・ステークス(京都GⅠ芝1600m)に出走します。

1枠 1番 フレッシュボイス 牡5 57 田原成貴 境直行 3人
1枠 2番 シンウインド 牝4 55 武豊 二分久男 2人
2枠 3番 ラガーブラック 牡3 55 清水英次 大久保正陽 12人
2枠 4番 イーグルシャトー 牝5 55 西浦勝一 小原伊佐美 6人
3枠 5番 エイシンテンペスト 牡4 57 丸山勝秀 湯浅三郎 16人
3枠 6番 ダイタクロンシャン 牡3 55 田島信行 小原伊佐美 14人
4枠 7番 アドバンスモア 牡3 55 岩元市三 佐藤全弘 11人
4枠 8番 ヒデリュウオー 牡4 57 安田隆行 大沢真 8人
5枠 9番 ヒシノリフオー 牡6 57 松永昌博 増本豊 13人
5枠 10番 ミスターボーイ 牡6 57 村本善之 中尾正 5人
6枠 11番 ホクトヘリオス 牡4 57 柴田善臣 中野隆良 4人
6枠 12番 シクレノンセラピー 牡4 57 松本達也 中尾正 17人
7枠 13番 トーアファルコン 牡7 57 清山宏明 小原伊佐美 15人
7枠 14番 サッカーボーイ 牡3 55 河内洋 小野幸治 1人
8枠 15番 アルファレックス 牡3 55 南井克巳 内藤繁春 10人
8枠 16番 トウショウマリオ 牡3 55 松永幹夫 奥平真治 7人
8枠 17番 サンキンハヤテ 牡4 57 増井裕 橋口弘次郎 9人

1番人気は、サッカーボーイ。
しかし天皇賞秋のオグリキャップのように、単枠指定にはなりませんでした。
2番人気は、前走スワンS(京都GⅡ芝1400m)勝ちの牝馬、シンウインド。
3番人気は、昨年の安田記念(東京GⅠ芝1600m)勝ち馬、フレッシュボイス。
その他重賞勝ち馬は、シンザン記念(GⅢ芝1600m)勝ちのラガーブラック、ペガサスS(GⅢ芝1600m)勝ちのエイシンテンペスト、デイリー杯3歳S(GⅡ芝1600m)勝ちのダイタクロンシャン、中日スポーツ賞4歳S(GⅢ芝1800m)勝ちのヒデリュウオー、関屋記念(GⅢ芝1600m)勝ちのヒシノリフオー、マイラーズC(GⅡ芝1600m)勝ちのミスターボーイ、京王杯オータムH(GⅢ芝1600m)他重賞3勝しているホクトヘリオス、京王杯スプリングC(GⅡ芝1400m)トーアファルコン、セントウルS(GⅢ芝1400m)、東京新聞杯(GⅢ芝1600m)他重賞2勝しているトウショウマリオ、セントウルS(GⅢ芝1400m)他重賞3勝しているサンキンハヤテ。
ついでに公営から来たイーグルシャトーは、報知グランプリC他重賞を多数勝っている、砂の女王です。

押してヒシノリフオーが先頭、2番手ミスターボーイ、3番手ヒデリュウオー、サッカーボーイは後方に付けます。
スタートからの3F(600m)が35.2、1000m通過が59.2ですから、内馬場が荒れた馬場の悪さを考えると、平均ペースと言ったところ。
馬群は縦長で、3-4コーナーには後方にいた馬が、勝負どころと上がって行きました。
サッカーボーイも中団にまで上げます。

直線向いて、サッカーボーイは先団に取り付きますが、脚色良く先頭に出たミスターボーイまで5馬身以上あります。
サッカーボーイが追い出すと、差がグングン詰まり、並ぶ間なしにミスターボーイを残り200mで交すと、そこから4馬身差引き離す楽勝。
名実況で知られる杉本清が、「この馬は恐ろしい馬だ!」と叫びました。
2着は後方から直線一気に追い込んで来たホクトヘリオス、3着は粘ったミスターボーイ。

1着 サッカーボーイ 1.35.3
2着 ホクトヘリオス 4
3着 ミスターボーイ クビ


サッカーボーイはこの後、12月25日の有馬記念(中山GⅠ芝2500m)に出走し、タマモクロス、オグリキャップ、スーパークリークと対戦します。
レース詳細は、平成三強物語 - 1988年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)を参照願います。


この年サッカーボーイは、JRA賞最優秀スプリンターに選出されました。

有馬記念の後、翌年も現役を続行しようとしますが、一度骨折骨折、そして回復後脚部不安を発症し、引退して種牡馬になりました。

種牡馬としては平成3強以上に活躍し、キョウトシチー、ナリタトップロード、ティコティコタック、ヒシミラクルを始めとする、多数の活躍馬を出しました。
これはサンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイムなど、海外の種牡馬が猛威を振るう中では、立派な事です。

次回は、全日本サラブレッドカップ、イナリワン対フエートノーザンについて書きます。

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2012年4月21日 (土)

平成三強物語外伝 - タマモクロス

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、平成三強以前、オグリキャップとの芦毛対決で、全国の競馬ファンを沸かせたタマモクロスについて書きます。
考えてみるとオグリキャップは、芦毛対決の名勝負、平成三強の名勝負と、2つのドラマがあるんですね。

タマモクロスの父シービークロス。
現役時代JRAで走り、馬群の離れた後ろから追い込んで来るので、「白い稲妻」とあだ名され、人気もありました。
金杯や目黒記念、毎日王冠には勝ったものの、しかし残念ながら、出走した宝塚記念や天皇賞では遂に勝てませんでした。

シービークロスを種牡馬にしたのは、シービークロスのレース振りに惚れた、錦野牧場の錦野昌章氏。
錦野昌章氏を中心として、生産牧場の千明牧場等でシンジケートを組み、事実上シービークロスを譲渡されました。

しかし、当時内国産馬は低く見られていて人気がありませんでした。
血統も、やや地味な父フォルティノで、グレイソブリンを通るナルスーラー系。
フォルティノ最大の活躍馬が、このシービークロスと言うくらいでした。

錦野昌章氏は、現役時代条件戦ながら6勝を上げた、錦野牧場期待の繁殖牝馬、グリーンシャトーにシービークロスをつけ、生まれたのがシービークロスの初年度産駒、タマモクロスです。

現在、様々な人の読み物では、錦野昌章氏が当歳時から、タマモクロスの能力を信じていたと書かれています。
それは真に、能力の片鱗を見せていたのか、錦野昌章氏の親バカ的なものだったのか、現在では分かりません。
恐らく生産者で、この馬は走らないと思い、生産する事はないはずです。

錦野牧場は当時、首が回らないほどの借金があり、牧場のすべてを抵当に入れ、限度いっぱいの借入れをしている状態でした。
シービークロスの仔では、世間の評価は厳しく、錦野昌章氏の望む金額で馬を買いたいと言う話はなく、結局借金の足しにもならない500万で売られる事になりました。

タマモクロスは神経質な馬で、すぐに飼い食いが細くなり、小原伊佐美調教師の前に連れて来られた時、痩せていて牝馬のような、みすぼらしい馬だったそうです。
ちなみにその後、活躍するようになっても、タマモクロスの馬体を、良い馬体と評した人は少ないですね。
むしろ小原伊佐美調教師は、500万下の馬にも劣る馬体と考えていたようです。

その一方で、借金を返す当てのない錦野牧場では、タマモクロスの活躍を信じ、生産者に支払われる、タマモクロスの賞金5%に期待して、債権者に返済を待ってもらっていました。

タマモクロスが結局デビューしたのは、かなり遅い3歳の春、1987年3月1日、阪神競馬場芝2000m。
鞍上は、後に名パートナーとなる南井克巳でしたが、能力の片鱗さえ見せず、先行して大バテ、7着。
0:31からが、デビュー戦映像となります。

芝で良いところがなかったため、次走は3月21日、阪神競馬場ダート1800m。
4着で、勝ち馬と1秒までは離されませんでした。

4月11日タマモクロスは、阪神競馬場の3歳未勝利戦ダート1700mに出走し、2着にクビ差でようやく初勝利。

5月10日タマモクロスは、京都競馬場の3歳400万下条件戦芝2000mに出走し、落馬競走中止。

6月28日タマモクロスは、札幌競馬場の古馬混合400万下条件戦ダート1800mに出走し、大差負け6着。

この頃錦野牧場では借金を支え切れず、牧場は手放し、所有馬は二束三文で売られ、一家離散。
錦野昌章氏は、借金を抱えたまま、悪質な取り立て屋を避けるため失踪しました。

7月11日タマモクロスは、札幌競馬場の古馬混合400万下条件戦、礼文特別(札幌400万下ダート2000m)に出走し、勝ち馬から1馬身差2着。

9月19日タマモクロスは、阪神競馬場の古馬混合400万下条件戦、能勢特別(阪神400万下ダート1800m)に出走し、勝ち馬から1馬身1/4差3着。

10月4日タマモクロスは、阪神競馬場の古馬混合400万下条件戦(阪神400万下ダート1700m)に出走し、勝ち馬から3馬身差3着。

10月18日タマモクロスは、鞍上南井騎手の提言で、それまでのダート路線から、芝の京都競馬場400万下条件戦(京都400万下芝2200m)に出走しました。
結果は、道中先行して、直線抜け出すと追えば追うほど伸び、2着に1.2秒差付ける、7馬身差大勝。
勝ちタイムの2分16秒2は、同年同日の京都新聞杯(京都GⅡ芝2200m)より、0.1秒早かったです。
上の映像、1:40に、この時の映像があります。

11月1日タマモクロスは、京都競馬場400万下条件戦、藤森特別(京都400万下芝2000m)に出走しました。
先行して3コーナーでは逃げ馬に並びかけ、交して、それなのに直線伸びて2着に8馬身差をつけて勝ちました。
上の映像、2:01に、この時の映像があります。

この2戦の勝ちっぷりが良かった事から、マスコミはタマモクロスの事を、菊花賞(京都GⅠ芝3000m)の秘密兵器と呼びます。
しかし調教師の小原伊佐美は、タマモクロスは奥手な馬で、馬が完成するのは来年と考えていました。
ここで無理をさせると、馬を壊してしまうと、菊花賞(京都GⅠ芝3000m)に出走させるつもりはありませんでした。

この時点でまだ、タマモクロスは900万下の条件馬。
オープン馬になるためには、あと条件戦を2勝しなければいけません。
何とそのオープンすら飛び越し、12月6日タマモクロスは、鳴尾記念(阪神GⅡ芝2500m)に出走しました。

これは、3階級飛び越しての挑戦と言うハンデの他、タマモクロスはこの時点でまだ3歳馬。人間で言えば、高校生くらいの年齢です。
鳴尾記念では、古馬(人間で言えば大人)との対戦となる訳です。

この鳴尾記念、ハンデ戦と言って、低い条件からの挑戦のタマモクロスには、負担重量を軽減してもらえるレースでもあります。
400万下を2連勝して現在900万下のタマモクロスは、負担重量53kg。
ちなみに同レースの最大重量は、前年の菊花賞馬メジロデュレンの58kg。
いかな重賞のハンデとは言え、負担重量が軽い条件馬が、おいそれと勝てるものじゃありません。

1番人気は、1987年皐月賞(中山GⅠ芝2000m)2着、1987年菊花賞(京都GⅠ芝3000m)2着した、斤量56.5kgのゴールドシチー。
2番人気は、1986年菊花賞(京都GⅠ芝3000m)優勝のメジロデュレン。
3番人気は、タマモクロス。

逃げたのは、斤量50kgの軽ハンデを味方にメイショウエイカン、2番手ヨシノサキガケ、3番手ターゴフレーム。
ゴールドシチーはその直後に先行、メジロデュレンも並走しています。
タマモクロスのスタートは悪くありませんでしたが、鞍上南井騎手が、意図的に下げ最後方に付けました。
スタートからの3.5F(700m)は42.7、1100m通過が1分6秒8ですから、早目のペース。

3-4コーナーでは、後方に控えたタマモクロスが仕掛け、中団まで来ましたが、それでも逃げ馬とかなりの差があります。
直線向くと、インコースの馬込みをすり抜け、豪脚を繰り出します。
逃げたメイショウエイカンを残り200mで並びかけると、そのまま6馬身突き抜けゴール。

1着 タマモクロス 2:33.0
2着 メイショウエイカン 6
3着 ニホンピロマーチ クビ

上の映像、2:38に、この時の映像があります。

タマモクロスは4戦目で落馬のあおりを受け、自身も落馬して、しばらく馬込みを恐がったそうですが、このレースでは克服して、上手に馬込みをすり抜けて来ました。
ちなみにこのレースで10着に敗れたメジロデュレンは、次走の有馬記念(中山GⅠ芝2500m)で優勝します。
この頃からタマモクロスは、「稲妻二世」とあだ名されるようになります。


明け1988年1月5日タマモクロスは、金杯(京都GⅢ芝2000m)に出走しました。
馬場状態はやや重。

元々馬主は、有馬記念に出したかったそうですが、小原伊佐美調教師が反対したため、代案として金杯に出す事を主張したそうです。
馬主の「金杯は縁起のいいレースなので、ここを勝てれば活躍が約束される」という縁起担ぎを理由とした強い要望で、金杯に出走せざるを得ませんでした。
タマモクロスは神経質な馬で、ただでさえ飼い食いが細いのに、鳴尾記念後、さらに飼い食いが細くなったため、小原伊佐美調教師は、もっとゆったりしたローテンションで使いたかったんだそうです。
有馬記念と金杯では、1週くらいして違わないのですが、有馬記念出走を断ったため、ここは金杯出走を飲まざるを得ませんでした。

金杯もハンデの重賞ですが、鳴尾記念を勝ったタマモクロスの負担重量は56kgにアップしました。

1番人気は、タマモクロス。
2番人気は、前走鳴尾記念(阪神GⅡ芝2500m)3着のニホンピロマーチ
3番人気は、前走トパーズS(京都オープン芝2000m)2着のメジロゴスホーク。

ゲートが開いて、タマモクロスはスタートこそ良かったものの、ダッシュが付かず、16頭の馬群の内から最後方。
ダイスプリンターが逃げ、2番手メジロゴスホーク、3番手ニホンピロマーチ。
スタートからの3F(600m)37.7、1000m通過が1分2秒6と、やや重のコンディションなので、やや早目のペース。

タマモクロスは、向こう正面には1頭交して、後ろから2番手、インコースに付けます。
馬群が詰まったまま、3-4コーナ、タマモクロスは前に上がれないまま、インコースの最後方に付けます。
直線向いて、結果を知っている自分でも、何度この映像を見ても、タマモクロスが勝てるように見えません。
インコースから起用に馬群をぬって、徐々に上がって行き、残り200mを過ぎても、まだ先頭に5馬身差あります。
そこからインコースをついて、鬼足を繰り出し、粘るハローポイントに3/4馬身差付けて優勝。
際どい勝利でした。

勝ちはしたものの、タマモクロスは体調万全ではなかったかも知れませんね。

1着 タマモクロス  2:03.7
2着 ハローポイント 3/4
3着 メジロゴスホーク アタマ


3月13日タマモクロスは、、阪神大賞典(阪神GⅡ芝3000m)に出走しました。
馬場状態はやや重。
レース間隔をあけたのは、飼い食いが落ちたのでしょうか?

1番人気は、タマモクロス。
2番人気は、1986年菊花賞(京都GⅠ芝3000m)優勝、前走1987年有馬記念(中山GⅠ芝2500m)優勝のメジロデュレン。
3番人気は、昨年のこのレースの覇者、スダホーク。

前年の有馬記念を優勝したメジロデュレンを押さえ、タマモクロスが1番人気になりました。

逃げたのは、ダイナカーペンター。
2番手マルブツファースト、3番手タマモクロス、4番手メジロデュレン。
スタートからの3F(600m)39.0、1000m通過が1分6秒6と、やや重のコンディションながら、名実況で知られる杉本清が、失笑するくらいの超スローペース。

タマモクロスは3-4コーナーで進出しますが、ダイナカーペンターはインコースを空かせず。
4コーナー回り、内に入れようとしますが、内は開かず、仕方なく、ダイナカーペンターのすぐ隣を突きます。
タマモクロスの外からは、マルブツファーストが被さって来る。
超スローペースで逃げたダイナカーペンターは、2枚腰、3枚腰で粘ります。
南井の剛腕と、タマモクロスの鬼脚で、ダイナカーペンターに並びかけたところがゴール。
タマモクロスとダイナカーペンターは、同着1着となりました。

1着 タマモクロス  3:12.1
1着 ダイナカーペンター 同着
3着 マルブツファースト ハナ

このレースは逃げたダイナカーペンターの絶妙なレース運びに、タマモクロスは危うく屈するところでした。
メジロデュレンは見せ場なく、4馬身離された4着。


4月29日タマモクロスは、春の目標のレースの1つ、天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)に出走しました。
馬場状態はやや重。

1番人気は、ここまで5連勝のタマモクロス。
2番人気は、1986年菊花賞(京都GⅠ芝3000m)優勝、前走1987年有馬記念(中山GⅠ芝2500m)優勝のメジロデュレン。
3番人気は、1987年皐月賞(中山GⅠ芝2000m)2着、1987年菊花賞(京都GⅠ芝3000m)2着した、ゴールドシチー。

ゲートが開き、ダイナカーペンターは逃げられず、鳴尾記念を2着したメイショウエイカンが逃げます。
2番手リワードパンサー、3番手は固まりダイナカーペンターやレイクブラック等。
メジロデュレン、ゴールドシチーは中団に付け、タマモクロスは後方。
スタートからの3F(600m)36.6、1000m通過が1分1秒6と、やや重のコンディションながら、ハイペース。

スタンド前に来て、スローペースに、マヤノオリンピアが引っかかります。
向こう正面でタマモクロスは、後方外に出します。
3コーナー過ぎにメジロデュレンは先頭に並びかけ、同じく先行していた人気薄ランニングフリー、その後ろにスダホーク、タマモクロスもインコースを突いて、すぐ後ろに付きます。

直線向いて、メジロデュレンが先頭、ランニングフリーが追いすがりますが、タマモクロスは京都競馬場で必ず空く、インコースを突きました。
脚色違い、ここで勝負あり。
タマモクロスは1頭分だけ荒れていないインコースを独走して、3馬身差で優勝。
2着はメジロデュレンを交したランニングフリー。

1着 タマモクロス  3:21.8
2着 ランニングフリー 3
3着 メジロデュレン 2 1/2

鞍上の南井克己は何と、騎手生活18年目にして、初GⅠ制覇となりました。


6月12日タマモクロスは、春の目標のレースの1つ、宝塚記念(阪GⅠ芝2200m)に出走しました。
馬場状態はやや重。

1番人気は、1987年天皇賞秋(東京GⅠ芝1600m)、1987年マイルチャンピオンシップ(京都GⅠ芝1600m)、1988年安田記念(東京GⅠ芝1600m)とGⅠ3勝のスピード馬、ニッポーテイオー。
2番人気は、ここまで6連勝のタマモクロス。
3番人気は、1987年安田記念(東京GⅠ芝1600m)でニッポーテイオーを破り優勝したフレッシュボイス。

ニッポーテイオーは、逃げ、先行馬ですが、メジロフルマーが逃げ、ニッポーテイオー2番手、3番手プレジデントシチー 。
タマモクロスは後方。
スタートからの3F(600m)35.0、1000m通過が1分0秒0と、やや重のコンディションながら、ハイペース。

しかし向こう正面には、タマモクロスはインコースを通って、中団に押し上げました。
3コーナー過ぎから、ニッポーテイオーは逃げるメジロフルマーに被さり、タマモクロスも徐々に上がって行きました。
4コーナーでは、外からニッポーテイオーが先頭に立ちます。

直線向くとタマモクロスは、馬群の中から1頭だけ脚色違い、ぐんぐんニッポーテイオーに接近します。
苦しがって外によれたニッポーテイオーが、メジロフルマーを交して先頭。
タマモクロスは外につけて、並ぶ間なしに交し、後は2馬身1/2差引き離し優勝。
タマモクロスはこれで7連勝。
2着はニッポーテイオー。

1着 タマモクロス  2:13.2
2着 ニッポーテイオー 2 1/2
3着 スダホーク 1 1/4

ニッポーテイオーはこのレースで引退して種牡馬になりました。


タマモクロスはこのレースから、秋まで休養します。

片や笠松からやって来た怪物、無冠のオグリキャップと、秋には名勝負を繰り広げますが、これは平成三強物語で紹介します。
このタマモクロス伝も、平成三強物語の進行に従い、追記します。

平成三強物語 - 1988年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m) オグリキャップ(4)

平成三強物語 - 1988年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m) オグリキャップ(5)

平成三強物語 - 1988年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)

タマモクロスはこのレースを最後に、引退して種牡馬。
トニービン、サンデーサイレンス、ブライアンズタイム等の外国種牡馬が猛威を振るう中、マイソールサウンド、カネツクロスを始めとする重賞勝ち馬を20頭近く輩出しました。
残念ながら、GⅠ馬は出て来ませんでした。

多くの競走馬は、例え奥手でも、早い内から素質の片鱗くらいは見せます。
タマモクロスのように馬体も冴えず、当初成績が振るわなかったのが、ある日突然本格化するのは珍しいですね。
恐らくデビューの頃は、全く体が出来ていなかったのでしょう。
無理させて、潰されなくて幸いでした。

タマモクロスはニッポーテイオーを子ども扱いし、オグリキャップにも2度先着して、サッカーボーイ、スーパークリークにも先着しています。
人によって、タマモクロスを史上最強馬に挙げますが、あり得ない話ではありません。

次回は、オグリキャップが秋のGⅠシーズンの休み明けのレース、毎日王冠(東京GⅡ芝1800m)について書きます。

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2012年2月27日 (月)

平成三強物語外伝 - ヤエノムテキ

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、平成三強の個性派脇役だった、ヤエノムテキについて書きます。
内容は多少、平成三強物語 - 1990年 天皇賞秋(GⅠ芝2000m)に、似るところもあるかも知れませんが、ご了承願います。

ヤエノムテキの父ヤマニンスキー、祖父イギリス3冠馬のニジンスキー、曽祖父大種牡馬ノーザンダンサー。
いわゆる、競馬で言うとニジンスキー系と言う血統になります。
イギリス3冠馬のニジンスキーは、競争成績でもノーザンダンサーの代表産駒と言えますし、種牡馬としても優秀な仔を多数輩出しています。

父ヤマニンスキーは、当時活躍馬が多かったニジンスキーの直仔、そして母父の系統には、底力を遺伝するバックパサーが入っています。
当時の超一流馬の母父には、バックパサーが入っている馬が多くいて、ブルードメアサイアーの王者でした。
日本で向かうところ敵なしだった、伝説の名馬マルゼンスキーは、ニジンスキー×バックパサーの血統配合です。

海外からの持ち込み馬だったヤマニンスキーは、競走馬として大きな期待を受けていたと思いますが、腰とか足が強くなく、体調万全で走れず、結局条件クラスのまま現役引退してしまいます。
良血なので、種牡馬となり、先に種牡馬としても成功していたマルゼンスキーの代替馬として、そこそこ人気がありました。

自分の勝手な印象なのですが、ニジンスキー系の一流馬は、馬体大き目、骨太筋肉質と言う印象があります。
これはニジンスキー自体も、大き目の馬体で、骨太筋肉質でした。

ヤエノムテキも500kgを少し切る、大き目の馬体で、骨太筋肉質な馬でした。
自分は、ニジンスキー系はダート走るだろうなと思っていましたが、当時JRAでダート競争に力を入れてなく、多くが芝で活躍しました。

ヤエノムテキのデビューは、3歳になってからと遅く、2月27日、阪神新馬戦ダート1700mに出走し、2着に1.1秒も離すぶっち切りの圧勝。


3月19日ヤエノムテキは、400万下条件戦中京ダート1700mに出走し、直線短い中京競馬場で、2着に2.0秒も離すぶっち切りの圧勝。
元々、他馬とは能力が違ったでしょうし、恐らくダート適性も高かったと推測します。


3月27日ヤエノムテキは、連闘で毎日杯(阪神GⅢ芝2000m)に出走しました。
ダートのレースの勝ちっぷりの高さから、一転芝のレースを試してみたのでしょうが、連闘したのは皐月賞(中山GⅠ芝2000m)に出走したかったんだと思います。
ここで2着以内に入る必要がありました。

このレースには、当時公営から転厩して、能力の高さを見せつけた、オグリキャップも出走して来ました。
レース映像は、平成三強物語 - 1988年 オグリキャップ(2)を参照願います。
ヤエノムテキは、初めての芝と言う事もあったでしょうが、オグリキャップの4着に敗れます。

通常なら、初芝、初重賞な訳で、4着は上々とも言えるのですが、この成績だと抽選を勝ち取らなければ、クラッシック第1冠目、皐月賞(中山GⅠ芝2000m)に出走出来ません。
そして運良く抽選を通り、4月17日ヤエノムテキは、皐月賞に出走しました。

クラッシック登録のないオグリキャップが出走出来ないのはしょうがないとして、出走すれば圧倒的1番人気となったであろうサッカーボーイは裂蹄から菌が入り、飛節炎となって回避しました。
混戦ムードとなりました。
この年の皐月賞は、いつもの中山競馬場改修工事のため、東京競馬場の開催でした。

1番人気は、前走スプリングS(中山GⅡ芝1800m)に勝って4勝目、成績安定しているモガミナイン。
2番人気は、朝日3歳S(中山GⅠ芝1600m)、前走弥生賞(中山GⅡ芝2000m)優賞馬、サクラチヨノオー。
3番人気は、京成杯(中山GⅢ芝1600m)優勝、前走弥生賞(中山GⅡ芝2000m)2着のトウショウマリオ。
抽選でやっと出走出来たヤエノムテキは、9番人気でした。

逃げたのはキョウシンムサシ、2番手サクラチヨノオーでしたが、アイビートウコウが向こう正面で交し、キョウシンムサシも追いかけ、先頭に並びました。
ヤエノムテキは、サクラチヨノオーのすぐ後ろに付けています。
スタートから3F(600m)は35.1、1000m通過59.8のハイペース。
3-4コーナーで、先行勢が動き出し、アイビートウコウに迫り団子状態になります。

直線向いて、インコースが空き、するするとヤエノムテキが出て来て先頭に立ちます。
サクラチヨノオーが追いかけますが、交せそうにない。
大外からディクターランドが強襲し、サクラチヨノオーを交しますが時遅し、ヤエノムテキが優勝しました。

1着 ヤエノムテキ 2:01.3
2着 ディクターランド 3/4
3着 サクラチヨノオー 1/2

ペースは早過ぎず、それでいてハイペース・・・ヤエノムテキに向いた流れでした。

ヤエノムテキ、ディクターランドとも、毎日杯で、オグリキャップに惨敗しています。
オグリキャップは、クラッシック登録がなかったので、皐月賞に出られなかっただけで、世代最強馬はオグリキャップと言う認識でした。

5月29日ヤエノムテキは、日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)に出走しました。
レース詳細は、平成三強物語外伝 - サッカーボーイを参照願います。
ヤエノムテキは、サクラチヨノオーに敗れ4着。


7月3日ヤエノムテキは、中日スポーツ賞4歳S(中京GⅢ芝1800m)に出走しました。
レース詳細は、平成三強物語外伝 - サッカーボーイを参照願います。
ヤエノムテキは、体調回復したサッカーボーイに敗れ2着。


9月11日ヤエノムテキは、古馬混合オープン特別のUHB杯(函館オープン芝1800m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、オープン2勝のトウショウサミット。
3番人気は、金鯱賞(中京GⅢ芝1800m)優賞馬、パッシングパワー。

逃げたのはパッシングパワー、2番手マイネルフリッセ、3番手ヤエノムテキ。
スタートから3F(600m)は36.4、1000m通過1分0秒8のスローペース。
ヤエノムテキは3-4コーナーで仕掛け、直線1頭だけ次元の違う脚を繰り出し、残り100mで逃げるパッシングパワーを交し、1馬身3/4離して優勝。
2着は粘ったパッシングパワー。

1着 ヤエノムテキ 1:49.4
2着 パッシングパワー 1 3/4
3着 コクサイダイヤ 3 1/2


10月16日ヤエノムテキは、京都新聞杯(京都GⅡ芝2200m)に出走します。
レース詳細につきましては、平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(2)を参照願います。
ヤエノムテキが皐月賞馬の貫録で優勝。


11月6日ヤエノムテキは、菊花賞(京都GⅠ芝3000m)に出走し
レース詳細につきましては、平成三強物語 - 1988年 菊花賞(京都GⅠ芝3000m) スーパークリーク(3)を参照願います。
ヤエノムテキは、ここまでの実績から1番人気に推されますが、抽選で出走にこぎつけたスーパークリークに敗れ、10着。


12月4日ヤエノムテキは、鳴尾記念(阪神GⅡ芝2500m)に出走します。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、前走大原S(京都オープン芝2400m)に勝った騸馬ハツシバエース。
3番人気は、前走冬特別(東京900万下芝1800m)に勝って駒を進めて来た、カゲマル。

逃げたのはダンシングジオット、2番手はダイナカーペンター、3番手ミスターシクレノン。
ヤエノムテキはハツシバエースと共に、その後に付けています。
スタートから3.5F(700m)は43.3、1100m通過1分9秒8のスローペース。

レースは淡々と流れ、3-4コーナーでは先頭グループが団子状になりました。
直線向いてダンシングジオットは後退、ダイナカーペンターが先頭に立ちます。
先団のすぐ後ろに付けていたヤエノムテキが、馬群の間から抜け、先頭に立ちます。
ダイナカーペンターはここで後退。
外からカゲマルが追って来ますが、ヤエノムテキに届きそうにもない。
インコースから、ハツシバエースが凄い脚で突っ込んで来ましたが、ヤエノムテキがハナ差抑えて優勝。

1着 ヤエノムテキ 2:33.1
2着 ハツシバエース ハナ
3着 カゲマル 1/2

ヤエノムテキはタマモクロス、オグリキャップ、サッカーボーイ、スーパークリークと空前の対決となった1988年有馬記念(中山GⅠ芝2500m)には向かいませんでした。


1989年1月22日ヤエノムテキは、日経新春杯(京都GⅡ芝2200m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、前走愛知杯(中京GⅢ芝2000m)2着のインターアニマート。
3番人気は、1987年高松宮杯(中京GⅡ芝2000m)優勝、1988年高松宮杯(中京GⅡ芝2000m)2着の、ランドヒリュウ。

逃げたのはハッピースズラン、2番手ダイナカーペンター、3番手ランドヒリュウ。
ヤエノムテキは、その後に付けています。
スタートから3F(600m)は36.6、1000m通過1分0秒6のやや遅目のペース。

向こう正面下りから先行勢が仕掛け、逃げるハッピースズランとの差を縮めて行きます。
3-4コーナーでは、ランドヒリュウ、ヤエノムテキが、ハッピースズランに手が届くところまで進出します。
直線で2番手まで進出していたランドヒリュウが、ハッピースズランの大外から差して来て、外から馬体を合わせ、ヤエノムテキも差して来ます。
ランドヒリュウはゴール100m前で、二の足を使って粘るハッピースズランを交わし、先頭に立ち、ヤエノムテキを首差押さえて優勝。

1着 ランドヒリュウ 2.14.4
2着 ヤエノムテキ クビ
3着 ハッピースズラン 1 1/2

ヤエノムテキは、前にいたランドヒリュウのペースに捉え切れませんでした。


4月2日ヤエノムテキは、産経大阪杯GⅡ(芝2000m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、前走日経新春杯(京都GⅡ芝2200m)でヤエノムテキを負かした、ランドヒリュウ。
3番人気は、前々走愛知杯(中京GⅢ芝2000m)2着のインターアニマート。

逃げたのはヒデリュウオー、2番手ゴールドシチー、3番手プレジデントシチー。
しかし1コーナーでランドヒリュウが2番手に上りました。
ヤエノムテキは、その後に付けています。
スタートから3F(600m)は36.8、1000m通過1分0秒6のスローペース。

向こう正面でヤエノムテキは、少しだけ順位を上げました。
3コーナーでゴールドシチーが仕掛け、ランドヒリュウを交わして2番手。
3-4コーナーで各馬仕掛け、先団に付けます。

直線向いて、逃げるヒデリュウオーを、ゴールドシチーが交わします。
馬場の真ん中からヤエノムテキが伸びてゴールドシチーを交わすと、後は後続を引き離す一方。
ランドヒリュウがじりじり伸びて、ゴールドシチーを交わしましたが、時遅し。
ヤエノムテキが優勝、2着はランドヒリュウ。

1着 ヤエノムテキ 2.01.4
2着 ランドヒリュウ 3 1/2
3着 ゴールドシチー 1/2


6月11日ヤエノムテキは、宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)に出走しました。
このレースは、ヤエノムテキの春の目標でした。
結果は、イナリワンの7着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1989年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m) イナリワン(7)を参照願います。

菊花賞の大敗は、距離が向かなかったのでしょうが、この宝塚記念の敗戦は、不可解なものでした。
しかし後に、ヤエノムテキは気の悪い馬で、気分良く走らないと、力を発揮しないと言う事を知ります。


夏場は休み、10月29日ヤエノムテキは、休み明けぶっつけで天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)に出走しました。
結果は、スーパークリークの4着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1989年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)を参照願います。


12月24日ヤエノムテキは、有馬記念(中山GⅠ芝2500m)に出走しました。
結果は、イナリワンの6着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1989年 有馬記念(GⅠ芝2500m)を参照願います。
平成三強に、ことごとく敗れます。

ヤエノムテキは、例年ならば、結構な実力馬だったと思いますが、平成三強には歯が立ちませんでした。
ヤエノムテキにとって平成三強は、悪夢のようだったでしょうね。


明けて1990年1月21日ヤエノムテキは、日経新春杯(京都GⅡ芝2200m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、1989年天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)2着のミスターシクレノン。
3番人気は、1989年きさらぎ賞(京都GⅢ芝1800m)優勝のナイスナイスナイス。

逃げたのはラッキーゲラン、2番手トーワトリプル、3番手外からナイスナイスナイスでしたが、すぐにモガミナインが交わして上りました。
ヤエノムテキはその後に付けました。
スタートから3F(600m)は37.0、1000m通過1分1秒3のスローペース。

3-4コーナーで各馬仕掛け、ヤエノムテキも少し上って行きました。
直線向いて、2番手のトーワトリプルが差して、ラッキーゲランを交わして先頭に立ちます。
ヤエノムテキが外から差して来ますが、バテないトーワトリプルを交わせそうにない。
大外からハツシバエースが、凄い足で突っ込んで来ました。
ヤエノムテキが、トーワトリプルに3/4馬身まで近づいたところがゴール。
トーワトリプルが優勝、2着はヤエノムテキ。

1着 トーワトリプル 2.15.0
2着 ヤエノムテキ 3/4
3着 ハツシバエース クビ


ヤエノムテキの今年の目標の1つを安田記念(東京GⅠ芝1600m)としました。
2月25日ヤエノムテキは、読売マイラーズC(京都GⅡ芝1600m)に出走しました。
馬場状態は重馬場。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、1989年スプリングS(中山GⅡ芝1800m)、前走仁川短距離S(阪神オープン芝1200m)優勝のナルシスノワール。
3番人気は、昨年の優勝馬で、前走CBC賞(中京GⅢ芝1200m)優勝のミスティックスター。

逃げたのはエーコーシーザー、2番手ナルシスノワール、3番手外からミスティックスター 。
ヤエノムテキは後方に付けました。
スタートから3F(600m)は35.0、1000m通過59.2の重馬場としては速目のペース。

直線向くと先行勢が崩れ、中団からメジロワース、ヤエノムテキが差して来ます。
メジロワースの脚色に、ヤエノムテキは差せそうにもなく、さらに後方からスカイジャイアントが突っ込んで来ました。
メジロワースが優勝、2着はスカイジャイアント。

1着 メジロワース 1.36.6
2着 スカイジャイアント 1/2
3着 ヤエノムテキ クビ

ヤエノムテキは3着に敗れはしましたが、着差はわずかで、可能性を感じさせました。


4月1日ヤエノムテキは、産経大阪杯GⅡ(芝2000m)に出走しました。に出走しました。
結果は、スーパークリークの3着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 産經大阪杯(阪神GⅡ芝2000m)を参照願います。


5月13日ヤエノムテキは、安田記念(東京GⅠ芝1600m)に出走しました。
結果は、オグリキャップの2着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 安田記念(GⅠ芝1600m)を参照願います。


6月10日ヤエノムテキは、宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)に出走しました。
結果は、オサイチジョージの3着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)を参照願います。


夏シーズンは休養し、10月28日ヤエノムテキは、休み明けぶっつけで天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)に出走しました。
平成三強のイナリワン、スーパークリークは脚部不安による回避。
そしてその後、そのままターフに姿を現す事なく、引退しました。
このレースには平成三強の一番人気、オグリキャップが休み明けぶっつけで出走しました。
結果は、まるで皐月賞(中山GⅠ芝2000m)の再現を見るかのような走りで、ヤエノムテキ優勝。
初めてオグリキャップに対して先着し、溜飲を下げました。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)を参照願います。


11月25日ヤエノムテキは、ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)に出走しました。
結果は、ベタールースンアップの6着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)を参照願います。


12月23日ヤエノムテキは、有馬記念(中山GⅠ芝2500m)に出走しました。
結果は、オグリキャップの7着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)を参照願います。
ヤエノムテキはこのレースで、オグリキャップと共に引退しました。


ヤエノムテキは種牡馬となり、1991年に5億のシンジケートが組まれましたが、あまり人気がなく、産駒もさほど活躍せず、1996年シンジケート解散。
それでも2010年まで種牡馬として繋養され、その後功労馬として日高スタリオンステーションで功労馬として余生を送っています。

種牡馬として成功しなかったのは、サンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイム等、海外からの種牡馬が大活躍したと言うのがあります。
優秀な産駒を出すのに、良質の繁殖牝馬も不可欠な要素ですが、ヤエノムテキのような内国産馬には、良質の繁殖牝馬との交配の機会はありませんでした。
この頃に種牡馬になった馬にとって、サンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイムは、悪夢のような凄さでしたからね。

もう1つは、スローペースのスピード勝負の競馬が多くなり、スピード不足の血統は、ことごとく活躍しませんでした。
ニジンスキー系は、ハイペースで最後の底力があるタイプが多くて、直線3F(600m)が34秒より速い切れ味を要求されるレースには、向きませんでした。

次回は、平成三強物語外伝として、タマモクロスについて書きます。

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2012年2月 9日 (木)

平成三強物語外伝 - チヤンピオンスター

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

平成三強物語外伝とは、平成三強の戦いに絡んだ、平成三強以外の名馬についての話です。
今回は、イナリワンの公営競馬のライバル、チヤンピオンスターについて書きます。

最初にこのページを読む前に、これまでの平成三強物語、平成三強物語リターンズ 1986-1987 イナリワン(1)平成三強物語リターンズ 1986-1987 イナリワン(2)を一読願います。

チヤンピオンスターの父、ノーザンダンサー系のスイフトスワロー、母父はロードリージ、祖父サーゲイロード、どちらの血統も、スタミナタイプで奥手が多いです。
スイフトスワローはダート馬も多く輩出しました。

デビューは1986年12月9日。奇しくもイナリワンと同じデビュー日、距離も同じ大井競馬の新馬戦ダート1000m短距離戦です。
2着に5馬身差をつけて勝利しました。


1987年1月2日チヤンピオンスターは、大井競馬の3歳条件戦ダート1400mに出走しました。
イナリワンも出走予定でしたが、ゲートに頭を強打して出走取り消し。
このレースも2着に1馬身1/2の着差を付けて勝利します。


1月28日チヤンピオンスターは、3歳特別競走、大井競馬の葉牡丹特別ダート1600mに出走しました。
2着に3馬身差の優勝をして、デビュー以来無傷の3連勝。


1月28日チヤンピオンスターは、3歳特別競走、大井競馬の水仙特別ダート1600mに出走しました。
チヤンピオンスターは1番人気となりましたが、ジヨージレツクスの3着に敗れます。


次は4月9日黒潮盃(大井重賞ダート1800m)。
JRAで言うと、弥生賞(中山GⅡ芝2000m)に当たるレースです。

1番人気は前走、京浜盃(大井重賞ダート1700m)2着のクンシヨウ。
2番人気はジヨージレツクス。
3番人気は京浜盃(大井重賞ダート1700m)3着のアラナスモンタ。

前走完敗だった、ジヨージレツクスも出走しますが、今度は寄せ付けずチヤンピオンスターが勝利します。
2着には1勝馬ながら、オープンで活躍していたアラナスモンタ、ジヨージレツクスは5着。

1着 チヤンピオンスター 1:58.3
2着 アラナスモンタ 3/4
3着 クンシヨウ アタマ


チヤンピオンスターは、5月6日の南関東の牡馬三冠レース、羽田盃(大井重賞ダート2000m)出走の予定でしたが回避(理由は調べましたが不明)。

6月3日チヤンピオンスターは、南関東の牡馬三冠の2戦目、東京ダービー(大井重賞ダート2400m)に出走しました。

1番人気はここまで、無敗の5連勝で、羽田盃(大井重賞ダート2000m)優勝のシナノデービス。
鞍上は大井競馬の帝王、的場文男騎手。
2番人気は羽田盃(大井重賞ダート2000m)2着のジヨージレツクス。
3番人気は一頓挫あったチヤンピオンスター。

ジヨージレツクスが、圧倒的1番人気のシナノデービスに3馬身差付けて優勝。
シナノデービスはラツキハミリーに絡まれ、苦しい競馬になったそうです。
チヤンピオンスターは5着に敗れました。

1着 ジヨージレツクス  2:38.0
2着 シナノデービス 3
3着 リンドミカド 1

ジヨージレツクス、シナノデービス共に、脚部不安からこのレースで引退しました。


7月26日チヤンピオンスターは、古馬混合の条件戦のサマーC(大井B1ダート1700m)に出走し、7着と惨敗しました。


11月11日チヤンピオンスターは、南関東の牡馬三冠の3戦目、東京王冠賞(大井重賞ダート2600m)に出走しました。
レースについては、1986年-1987年 イナリワン(1)を参照願います。


チヤンピオンスターは結局、南関東三冠には勝ちきれませんでしたが、12月23日の東京大賞典(大井重賞ダート3000m)に出走します。
JRAの有馬記念(中山GⅠ芝2500m)に相当し、陣営はこの馬の能力に期待していたのでしょう。

1番人気は重賞3勝、前走東京記念(大井重賞ダート2400m)優勝のシナノジョージ。
鞍上は大井競馬の帝王、的場文男騎手。
2番人気は前走東京記念(大井重賞ダート2400m)2着のミハマシヤーク。
3番人気はこの年、帝王賞(大井重賞ダート2000m)優勝のテツノカチドキ。
前走東京記念(大井重賞ダート2400m)で、斤量60kgを背負い、6着に敗れています。

テツノカチドキがミハマシヤークに、3馬身差をつけて優勝。
チヤンピオンスターは4着に敗れました。

1着 テツノカチドキ 3:15.8
2着 ミハマシヤーク 3
3着 ストロングフアイタ ハナ


1988年2月4日チヤンピオンスターは、条件戦ウインターC(大井B1ダート1700m)に出走し、2着にスーパーミストに2馬身差をつけて優勝。


3月3日チヤンピオンスターは、金盃(大井重賞ダ-ト2000m)に出走し、優勝しました。
レースについては、1988年 イナリワン(2)を参照願います。


4月13日チヤンピオンスターは、帝王賞(大井重賞ダート2000m)に出走し、優勝しました。
レースについては、1988年 イナリワン(2)を参照願います。


6月21日のチヤンピオンスターは、大井記念(大井重賞ダート2500m)に出走しました。

1番人気はチヤンピオンスター。
2番人気は前走隅田川賞(大井オープンダート1800m)優勝のダツシユホウシヨウ。
3番人気は、帝王賞(大井重賞ダート2000m)3着のストロングフアイタ。

チヤンピオンスターがスーパーミストに1馬身1/2差で優勝しました。

1着 チヤンピオンスター 2:42.8
2着 スーパーミスト 1 1/2
3着 ストロングフアイタ 4


7月27日チヤンピオンスターは、報知オールスターC(川崎重賞ダート1600m)に出走しました。

1番人気はチヤンピオンスター。
2番人気は前走ふみづき特別(船橋オープンダート1600m)優勝のアイランドハンター。
3番人気は、今年羽田盃(大井重賞ダート2000m)優勝の3歳馬、リユウコウキング。

リユウコウキングがチヤンピオンスターに首差で優勝しました。
この後リユウコウキングは、JRAに移籍します。

1着 リユウコウキング 1:41.5
2着 チヤンピオンスター クビ
3着 アイランドハンター 2


9月18日チヤンピオンスターは、JRAのオールカマー(新潟GⅡ芝2200m)に出走しました。

1番人気は、前年の宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)優勝馬、脚部不安の休み明けスズパレード。
2番人気は、前年の桜花賞(阪神GⅠ芝1600m)、オークス(東京GⅠ芝2400m)優勝の牝馬2冠馬、マックスビューティ。
3番人気は、リユウコウキング。

ゲートが開いて、公営名古屋競馬のヒデノフアイターが逃げようとしますが、外からJRAのミスターブランディが交し、逃げます。
2番手は控えたヒデノフアイター。
3番手はチヤンピオンスターが上がりましたが、コーナーを利してスズパレードが付けました。
スタートから3F(600m)のタイム35.2、1000m通過が59.5のハイペース。

3コーナー過ぎてチヤンピオンスターの手応えが、怪しくなってきました。
3-4コーナーで、マックスビューティも上がろうと、手綱を動かし始めました。

4コーナーから直線に向くと、スズパレードがインコースから伸びて来ます。
逃げるミスターブランディに、残り200m手前で並びかけると、あっという間に2馬身突き放して優勝。
2着は逃げ粘った人気薄のミスターブランディ。

チヤンピオンスターは芝が合わず、15着に惨敗。

1着 スズパレード 2:12.3
2着 ミスターブランディ 2
3着 ランニングフリー 2


11月2日チヤンピオンスターは、ハンデ戦の東京記念(大井重賞ダート2400m)に出走しました。
レースについては、1988年 イナリワン(2)を参照願います。
チヤンピオンスターは1番人気でしたが、7着に敗退。
その後屈腱炎が判明し、およそ2年休養します。


チヤンピオンスターが復帰したのは、1990年9月5日、かちどき賞(大井オープンダート1800m)。
逃げたテツノヒリユウの4着に敗退しました。

10月24日チヤンピオンスターは、新設重賞のグランドチャンピオン2000(大井ダート2000m)に出走しました。

1番人気は、23戦18勝2着5回連対率100%、重賞6勝で昨年2着の、岩手盛岡競馬の強豪、4歳牡馬スイフトセイダイ。
2番人気は、チヤンピオンスター。
3番人気は、北関東公営、中京公営、岩手公営と転戦し、大井に転籍して前走東京盃(大井重賞ダート1200m)2着のダイコウガルダン。

先行争いをして、チヤンピオンスターが逃げました。
2番手被せるようにスイフトセイダイ。
3番手その外からダイコウガルダンでしたが、1コーナーを利してトウケイボールドが上がります。

ペースは大井としては速目で、5番手以下は付いて行けず置かれます。
向こう正面でトウケイボールドは脱落し、ダイコウガルダンがインコースに付けます。
3コーナー手前でトムフアイターが4番手に上がって来ました。

4コーナー回り、逃げたチヤンピオンスターを外からスイフトセイダイが競りかけます。
ダイコウガルダンがインコースから凄い脚で、並ぶ間なくまとめて交し先頭に立ちました。
スイフトセイダイも負けじと、ダイコウガルダンを追いかけますが、そこから脚色変わらず。
交されたチヤンピオンスターを始め、後方との差は広がるばかり。

ダイコウガルダンが、スイフトセイダイを1/2馬身差押さえて優勝しました。
チヤンピオンスターは馬群に沈み、7着に敗退。

1着 ダイコウガルダン 2:08.1
2着 スイフトセイダイ 1/2
3着 イイオカスワロー 7


11月20日チヤンピオンスターは、ハンデ戦の東京記念(大井重賞ダート2400m)に出走しました。

1番人気は、チヤンピオンスター。
2番人気は、前走キヨフジ記念(川崎重賞ダート2000m)優勝のスピリツトエビス。
3番人気は、グランドチャンピオン2000(大井ダート2000m)4着のトムフアイター。

55kgと斤量に恵まれたチヤンピオンスターは、スピリツトエビスに2馬身差で優勝します。

1着 チヤンピオンスター 2:34.3
2着 スピリツトエビス 2
3着 ダンデイフラツシユ 3


12月13日チヤンピオンスターは、東京大賞典(大井重賞ダート2800m)に出走します。

1番人気は、前走グランドチャンピオン2000(大井ダート2000m)2着で、鞍上が大井の帝王、的場文男騎乗のスイフトセイダイ。
2番人気は、前走グランドチャンピオン2000(大井ダート2000m)優勝のダイコウガルダン。
3番人気は、チヤンピオンスター。

逃げたのはウインドミル、2番手ジヨージモナーク、3番手ダイコウガルダン、スイフトセイダイ4番手。
チヤンピオンスターは5番手に付けました。
最初のスタンド前でチヤンピオンスターとスイフトセイダイが仕掛け、ウインドミルを交し、チヤンピオンスターが逃げ、スイフトセイダイが2番手に上がりました。
向こう正面ではウインドミルが仕掛け、スイフトセイダイを交して2番手。
向こう正面中間で、チヤンピオンスターが一杯になり、脱落。
再びスイフトセイダイが仕掛け、先頭に立ちましたが、外ウインドミルも譲らず並走。

3コーナーからウインドミルの手が動きますが、スイフトセイダイとの差は縮まりません。
ウインドミルの外から、ダイコウガルダンが上がって来ました。

直線向くと、ウインドミルは後退。
スイフトセイダイが伸びますが、外からダイコウガルダンがさらに良い脚で並びかけます。
わずかクビダイコウガルダンが先頭に立ち、後はスイフトセイダイと脚色変わらず。
2頭のマッチレースで、ゴールまで熾烈な叩き合いの並走をします。

後続は離れ、後方でじっとしていたスピリツトエビスが追い込んで、3着確保。

ダイコウガルダンが勝利、2着は今年もスイフトセイダイでした。
前年のロジータのタイムより、9秒も遅く、当初かなりのスローペースでしたが、途中からペースが速くなり上りの勝負でした。
ダイコウガルダン、スイフトセイダイ、どっちが勝ってもおかしくなかったと思いますが、ダイコウガルダンの地力がわずかに勝りました。

失速したチヤンピオンスターは11着。

1着 ダイコウガルダン 3:02.2
2着 スイフトセイダイ クビ
3着 スピリツトエビス 4

レース映像は、以下のリンクページ内にあります。

http://www.tokyocitykeiba.com/special_page/special2011yearend/daisyouten_06.php


明け1991年2月26日チヤンピオンスターは、ハンデ戦の金盃(大井重賞ダート2000m)に出走しました。

1番人気は、前走東京大賞典(大井重賞ダート2800m)3着のスピリツトエビス。
2番人気は、チヤンピオンスター。
3番人気は、前走条件戦を勝利したイシノドリーム。

斤量54kgの軽ハンデを活かした、シローランドが優勝。
2着は57.5を背負ったチヤンピオンスター。

1着 シローランド 2:06.6
2着 チヤンピオンスター クビ
3着 トムフアイター 1/2

4月3日チヤンピオンスターは、帝王賞(大井重賞ダート2000m)に出走しました。
この年、南関東公営最強馬、ダイコウガルダンは、JRAの天皇賞出走のため不在。
JRAからは、ダート最強の呼び声高いナリタハヤブサ、ダートの強豪インディアンヒル、ミスタートウジン、公営笠松からマツクスフリート。

1番人気は、ウインターS(中京GⅢダート2300m)、フェブラリーH(東京GⅡダート1600m)共にレコードで2連勝中のナリタハヤブサ。
2番人気は、笠松の女オグリ、マツクスフリート。
3番人気は、チヤンピオンスター。

スピード上位の逃げ馬、テツノヒリユウが逃げ、インディアンヒル2番手、シローランド3番手、4番手ナリタハヤブサ、5番手チヤンピオンスター、6番手ミスタートウジン、7番手ジヨージモナーク。
マツクスフリートは、後ろから3番手と、行きっぷりが良くありません。
3-4コーナーでインディアンヒルが、逃げるテツノヒリユウを交しに行きますが、テツノヒリユウは粘ります。
直線向いて、ナリタハヤブサは伸びを欠き、馬群の間からチヤンピオンスターが抜け、インコースからジヨージモナークが抜けてきます。
インディアンヒルも粘り、ナリタハヤブサと脚色変わりません。
チヤンピオンスターが、2着ジヨージモナークに1馬身差を付けて優勝。
3着インディアンヒル、ナリタハヤブサ4着、マツクスフリート9着。

チヤンピオンスターは、史上初めて、帝王賞を2度勝った馬となりました。
現在まで、チヤンピオンスター以外には、GⅠ6勝のフリオーソしか達成していない記録です。

1着 チヤンピオンスター 2.05.2
2着 ジヨージモナーク 1
3着 インディアンヒル 1 1/2

7月10日チヤンピオンスターは、報知オールスターC(川崎ダート1600m)に出走しました。

1番人気は、JRAで中京記念(中京GⅢ芝2000m)勝ちがあり、公営川崎競馬に移籍して来たインターアニマート。
2番人気は、チヤンピオンスター。
3番人気は、昨年の>東京大賞典(大井重賞ダート2800m)優勝馬でJRA帰りのダイコウガルダン。

本格化したチヤンピオンスターの敵ではなく、インターアニマートに1/2馬身差優勝。
ダイコウガルダンは離された3着でしたが、この時は調子が悪かったんだと思います。

1着 チヤンピオンスター 1:41.0
2着 インターアニマート 1/2
3着 ダイコウガルダン 2


9月15日チヤンピオンスターは、JRAの交流競走オールカマー(中山GⅡ芝2200m)に出走しました。

1番人気は、JRAでセントライト記念(中山GⅡ芝2200m)優勝、日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)x着、菊花賞(京都GⅠ芝3000m)2着、有馬記念(中山GⅠ芝2500m)3着のホワイトストーン。
2番人気は、今回のオールカマーの目玉、スイフトセイダイ。
3番人気は、前走新潟記念(新潟GⅢ芝2000m)3着のセントビッド。

チヤンピオンスターは戦前、芝が合わないと見られ、9番人気でした。

逃げたのは鉄人増沢騎手騎乗のユキノサンライズ、2番手ベルクラウン、3番手はタケデンマンゲツ、併走してジョージモナーク。
チヤンピオンスターは、後方に付けました。
スタートから3F(600m)のタイム35.5、1000m通過59.8とやや速いペース。
3コーナー手前で、ベルクラウン、タケデンマンゲツは脱落。
ジョージモナークが仕掛けて上って行きました。
3-4コーナーで、ホワイトストーンも仕掛け、4コーナー手前ではジョージモナークの外まで上りました。

直線向くと、ホワイトストーンは伸びず、もがいています。
ジョージモナークの脚色良く、残り100mでユキノサンライズを交わし、先頭に立ちました。
ホワイトストーンは沈まず、盛り返して、差して来たモガミチャンピオンと共に上って来ました。
ホワイトストーンはそのまま、ジョージモナークに1/2馬身迫ったところがゴール。

良馬場でしたが、持ち前の芝適正を発揮して、大井のジョージモナークがJRA勢を蹴散らし優勝。
2着はホワイトストーン。
チヤンピオンスターは予想通り芝が合わず、ジョージモナークの12着に惨敗。

1着 ジョージモナーク 2.12.4
2着 ホワイトストーン 1/2
3着 モガミチャンピオン 1/2

チヤンピオンスターはこのレース後、屈腱炎を発症し、このまま引退します。

公営の馬は、引退しても種牡馬になる事すら難しいのですが、珍しい事に1億5000万円のシンジケートが組まれます。
試験種付け時の検査では異常なしだったのに、不受胎が続き、精虫に異常が見つかり、種牡馬登録を抹消、シンジケートも解散という事態になりました。

1頭だけ受胎し、アレチャンピオンと言う牝馬が生まれ、その後繁殖入りし、チヤンピオンスターの血を伝えています。

ダートに関しては、超1流馬と言って良いでしょう。
2度の故障が、いずれも芝レースの後で、足元が弱かったんでしょうね。
芝レースを走っていなければ、故障していなければ、どんな成績になったんでしょうか?
恐らく、この頃の公営最強馬、フェートノーザンとの対戦も、1989年帝王賞で実現したでしょうね。

次は、平成三強物語 JRAデビュー後のオグリキャップについて書きます。

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