H3107.ヤエノムテキ

2015年1月31日 (土)

平成三強物語 まとめページ

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

平成三強物語は当初、平成三強が相まみえた1989年秋シーズンから開始しましたが、その後平成三強のデビューにさかのぼり、1989年春シーズンまで書きました。
残念ながら、ココログは、ブログ記事の順番を自由には変えられないようです。
そのため、平成三強物語のカテゴリを開いても、時系列がバラバラです。
そこで、このページで、時系列に並べてリンクする事にしました。

長い期間の執筆だったので、書き方が途中で変化したりしましたが、気が付いた範囲で修正しました。
スーパークリークの扱いが雑だったので、1記事から3記事に分け、追記しました。
1989年のイナリワンの記事を修正して、2記事から3記事に分けました。
1989年 オールカマー(中山GⅡ芝2200m)、1989年、1990年 京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)を新たに加筆しました。

本当はこの当時活躍した外国馬、トニービン、ホーリックス、ベタールースンアップの外伝も書きたいところだったのですが、レース映像が少ないので断念しました。

なお、可能な限り修正はしましたが、その後映像のデッド・リンクも出るでしょう、ご容赦願います。

平成三強物語 - 1986年-1987年 イナリワン(1)

平成三強物語 - 1987年-1988年 オグリキャップ(1)

平成三強物語 - 1988年 イナリワン(2)

平成三強物語外伝 - チヤンピオンスター

平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(1)

平成三強物語 - 1988年 オグリキャップ(2)

平成三強物語外伝 - ヤエノムテキ

平成三強物語外伝 - タマモクロス

平成三強物語 - 1988年 毎日王冠(東京GⅡ芝1800m) オグリキャップ(3)

平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(2)

平成三強物語 - 1988年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m) オグリキャップ(4)

平成三強物語 - 1988年 菊花賞(京都GⅠ芝3000m) スーパークリーク(3)

平成三強物語外伝 - サッカーボーイ

平成三強物語 - 1988年 全日本サラブレッドカップ(笠松重賞ダート2500m) イナリワン(3)

平成三強物語外伝 - フエートノーザン

平成三強物語 - 1988年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m) オグリキャップ(5)

平成三強物語 - 1988年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)

平成三強物語 - 1988年 東京大賞典(大井重賞ダート3000m) イナリワン(4)

平成三強物語 - 1989年 イナリワン(5)

平成三強物語 - 1989年 天皇賞春(京都GⅠ芝3200m) イナリワン(6)

平成三強物語 - 1989年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m) イナリワン(7)

平成三強物語 - 1989年 オールカマー(中山GⅡ芝2200m)

平成三強物語外伝 - ロジータ

平成三強物語 - 1989年 毎日王冠(東京GⅡ芝1800m)

平成三強物語 - 1989年 京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)

平成三強物語 - 1989年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)

平成三強物語 - 1989年 マイルチャンピオンシップ(京都GⅠ芝1600m)

平成三強物語 - 1989年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)前編

平成三強物語 - 1989年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)後編

平成三強物語 - 1989年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)

平成三強物語 - 1990年 阪神大賞典(阪神GⅡ芝3000m)

平成三強物語 - 1990年 産經大阪杯(阪神GⅡ芝2000m)

平成三強物語 - 1990年 天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)

平成三強物語 - 1990年 安田記念(東京GⅠ芝1600m)

平成三強物語 - 1990年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)

平成三強物語 - 1990年 京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)

平成三強物語 - 1990年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)

平成三強物語 - 1990年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)

平成三強物語 - 1990年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)

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平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(2)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

最初にこのページを読む前に、平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(1)を一読願います。

今回は、スーパークリークの神戸新聞杯(阪神GⅡ芝2000m)、京都新聞杯(京都GⅡ芝2200m)について書きます。

春のGⅠシーズンを骨折で棒に振りましたが、骨折は軽いものでした。
夏には武豊は函館でレースに騎乗し、骨折が癒えて涼しい函館に来ていたスーパークリークの調教に乗りました。


9月25日スーパークリークは、重馬場の神戸新聞杯(阪神GⅡ芝2000m)に武豊を背に出走しました。

1番人気は、桜花賞(阪神GⅠ芝1600m)優勝の牝馬アラホウトク。
2番人気は、函館の古馬混合900万下を勝ち、3勝したメイショクボーイ。
3番人気は、京都4歳特別(京都GⅢ芝2000m)をオグリキャップの2着したコウエイスパート。
骨折明け休み明けのスーパークリークは4番人気。

逃げたのはアルファレックス、2番手ハギノトップガン、3番手マイネルフリッセ。
スーパークリークは後方に付けます。
スタートから3F(600m)は38.2、1000m通過1分3秒5と、ペースは平均ペースややスロー気味に流れます。

3コーナー手前でアルファレックスが後退し、マイネルフリッセが先頭に立ちました。
3コーナーから各馬仕掛け、先団は団子状態になります。
3-4コーナーでコウエイスパートが、中団からインコースを突きました。

直線向いて、逃げるマイネルフリッセに、インコースからコウエイスパートが襲い掛かります。
後方から大外に出した、ヤエノダイヤが直線凄い脚を繰り出しました。
ヤエノダイヤの後ろから、スーパークリークも追いい込んで来ます。
直線半ばでコウエイスパートが先頭に立ちますが、ヤエノダイヤが計ったように差し切り、3/4馬身出たところがゴール。
3着は逃げるマイネルフリッセを交したスーパークリーク。

1着 ヤエノダイヤ 2:05.1
2着 コウエイスパート 3/4
3着 スーパークリーク 1 3/4

スーパークリークは、2着までに来れば菊花賞(京都GⅠ芝3000m)に出走できたのですが、惜敗でした。


10月16日スーパークリークは、京都新聞杯(京都GⅡ芝2200m)に、武豊を背に出走します。
陣営は今度こそ、菊花賞(京都GⅠ芝3000m)の出走権を・・・と言う気持ちだったでしょう。

1番人気は、皐月賞(中山GⅠ芝2000m)優勝のヤエノムテキ。
2番人気は、前走神戸新聞杯(阪神GⅡ芝2000m)2着のコウエイスパート。
3番人気は、皐月賞(中山GⅠ芝2000m)2着のディクターランド。
スーパークリークは4番人気。

逃げたのはメイショクボーイ、2番手モガミチャンピオン、3番手ヤエノムテキ。
スーパークリークは後方に付けます。
スタートから3F(600m)は36.2、1000m通過1分0秒5と、ペースは平均ペースに流れます。

3-4コーナーで各馬仕掛け、コウエイスパート、スーパークリーク、ディクターランドが外から上がって行きます。

直線向いて、京都競馬場の空いたインコースを突き、他馬との接触をものともせず、ヤエノムテキが逃げたメイショクボーイをアッサリ交します。
直線で前に取り付いたコウエイスパートが、ヤエノムテキに襲い掛かりますが、脚色が一緒になり、交せそうにありません。
スーパークリークは直線向いて、2度も前が塞がれる不利を受けました。

ヤエノムテキ優勝、2着コウエイスパート。

1着 ヤエノムテキ  2:14.5
2着 コウエイスパート 1 1/2
3着 メイショクボーイ 1 3/4

スーパークリークは6着となり、残念ながら菊花賞(京都GⅠ芝3000m)の出走権は得られず。
後は菊花賞に登録して、抽選を勝ち取るしかなくなりました。

ちなみにこのレースでは、ミスターシクレノン、モガミチャンピオンと、後の重賞勝ち馬が出走していると言うのも、興味深い事です。

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2013年10月18日 (金)

平成三強物語 - 1988年 菊花賞(京都GⅠ芝3000m) スーパークリーク(3)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

最初にこのページを読む前に、平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(1)平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(2)を一読願います。

今回は、スーパークリークの菊花賞(京都GⅠ芝3000m)ついて書きます。

神戸新聞杯(阪神GⅡ芝2000m)3着、京都新聞杯(京都GⅡ芝2200m)6着と、菊花賞の優先出走権は得られませんでした。
この時点で菊花賞に出走するには賞金も足りず、抽選での出走枠もありませんでした。
出走回避馬を待つ事となりました。

この時、武豊は別に3頭の騎乗依頼があり、確実に出走可能なのはケイコバンでしたが、あくまでスーパークリークで菊花賞の出走を目指していました。
フルゲート18で、19番目の賞金順位でしたので、その後マイネルフリッセが回避して、スーパークリークが菊花賞に出られる事になりました。
マイネルフリッセは、配合をアドバイスした岡田繁幸氏の馬です。
マイネルフリッセより、スーパークリークの方に、菊花賞に勝つチャンスがあると考え、辞退したそうです。

1枠 1番 ヤエノムテキ 牡3 57 西浦勝一 荻野光男
2枠 2番 キクカロイヤル 牡3 57 坂井千明 松山康久
2枠 3番 ヤエノダイヤ 牡3 57 村本善之 荻野光男
3枠 4番 サンピアレス 牡3 57 河内洋 田中良平
3枠 5番 ガクエンツービート 牡3 57 竹原啓二 澤峰次
4枠 6番 ケイコバン 牡3 57 松永幹夫 浅見国一
4枠 7番 ナナヨースパーク 牡3 57 安藤賢一 大根田裕也
5枠 8番 アルファレックス 牡3 57 南井克巳 内藤繁春
5枠 9番 ディクターランド 牡3 57 清水英次 菅谷禎高
6枠 10番 コスモアンバー 牡3 57 安田隆行 中村均
6枠 11番 メイショクボーイ 牡3 57 岩元市三 二分久男
6枠 12番 パワーウイナー 牡3 57 増井裕 二分久男
7枠 13番 メモリーバイス 牡3 57 加用正 渡辺栄
7枠 14番 ミリオンハイライン 牡3 57 田原成貴 浜田光正
7枠 15番 カツトクシン 牡3 57 田島信行 安田伊佐夫
8枠 16番 タカラフラッシュ 牡3 57 猿橋重利 坂本栄三郎
8枠 17番 スーパークリーク 牡3 57 武豊 伊藤修司
8枠 18番 サンデーホスト 牡3 57 加藤和宏 二本柳俊夫

1番人気は、前走京都新聞杯を勝利し、単枠指定となった皐月賞馬、ヤエノムテキ
2番人気は、皐月賞2着馬ディクターランド。
3番人気は、何と回避馬が出てやっと出走にこぎつけた、スーパークリークでした。
一部の競馬ファンから、ステイヤーと認められていたそうですが、それ以上にこの時から、武豊人気があったのかも知れません。

逃げたのはケイコバン、2番手はメイショクボーイ、3番手はカツトクシン。
1番人気ヤエノムテキは7-8番手の先行勢のすぐ後ろ。
2番人気ディクターランド、3番人気スーパークリークは中段。
スタートからの3F(600m)は36.9と、そこそこのペースの速さ。
2コーナー過ぎには、ヤエノムテキが馬群外に出します。
早過ぎないか?
ペースが遅く、3コーナー手前で上って行く馬もいて、馬群は縮みます。
この辺で、ケイコバンは手を動かしますが後退して、カツトクシンが先頭。
3コーナー過ぎには、ヤエノムテキは前を睨む絶好の位置。
後方のディクターランド、スーパークリークも上って行きました。
2000m通過タイムは2分6秒6と、少しスローダウン。

直線向いて、ヤエノムテキは横綱相撲で、まとめて交わそうと言う態勢。
京都の外回りは、直線向いて内が空きますが、巧みに内を突いて、スーパークリークが突っ込んで来ました。
ヤエノムテキは直線向いて一杯。
スーパークリークが、並ぶ間なしに、まとめて交わします。
そのままゴールまで、1完歩ずつ引き離して行き、最後は5馬身差のぶっ千切り楽勝。
神戸新聞杯や、京都新聞杯の負けが何だったのかと言う、楽勝でした。

1着 スーパークリーク 3:07.3
2着 ガクエンツービート 5
3着 アルファレックス ハナ

想像するにスーパークリークは、骨折明けで賞金も足りなく、仕上がり途上だったのではないかと思います。
逆に言うと、負けはしましたが、馬が潰れなかっただけラッキーだったかも知れません。

2着は追い込んでアルファレックスを鼻差交わした、ガクエンツービート。
この頃、世は漫才ブームで、ビートたけし、きよしのツービートは人気漫才師でした。

しかしスーパークリークは、菊花賞を勝ってなお、世代最強とは見なされませんでした。
すでに誰もが認める最強馬オグリキャップがいましたし、そしてもしかするとオグリキャップより強いかも知れないと思われていた、サッカーボーイもいました。

前走、天皇賞秋でオグリキャップを下したタマモクロスも含め、暮れの最終戦、有馬記念で激突するのです。

次回は、平成3強物語外伝、サッカーボーイについて書きます。

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2012年2月27日 (月)

平成三強物語外伝 - ヤエノムテキ

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

今回は、平成三強の個性派脇役だった、ヤエノムテキについて書きます。
内容は多少、平成三強物語 - 1990年 天皇賞秋(GⅠ芝2000m)に、似るところもあるかも知れませんが、ご了承願います。

ヤエノムテキの父ヤマニンスキー、祖父イギリス3冠馬のニジンスキー、曽祖父大種牡馬ノーザンダンサー。
いわゆる、競馬で言うとニジンスキー系と言う血統になります。
イギリス3冠馬のニジンスキーは、競争成績でもノーザンダンサーの代表産駒と言えますし、種牡馬としても優秀な仔を多数輩出しています。

父ヤマニンスキーは、当時活躍馬が多かったニジンスキーの直仔、そして母父の系統には、底力を遺伝するバックパサーが入っています。
当時の超一流馬の母父には、バックパサーが入っている馬が多くいて、ブルードメアサイアーの王者でした。
日本で向かうところ敵なしだった、伝説の名馬マルゼンスキーは、ニジンスキー×バックパサーの血統配合です。

海外からの持ち込み馬だったヤマニンスキーは、競走馬として大きな期待を受けていたと思いますが、腰とか足が強くなく、体調万全で走れず、結局条件クラスのまま現役引退してしまいます。
良血なので、種牡馬となり、先に種牡馬としても成功していたマルゼンスキーの代替馬として、そこそこ人気がありました。

自分の勝手な印象なのですが、ニジンスキー系の一流馬は、馬体大き目、骨太筋肉質と言う印象があります。
これはニジンスキー自体も、大き目の馬体で、骨太筋肉質でした。

ヤエノムテキも500kgを少し切る、大き目の馬体で、骨太筋肉質な馬でした。
自分は、ニジンスキー系はダート走るだろうなと思っていましたが、当時JRAでダート競争に力を入れてなく、多くが芝で活躍しました。

ヤエノムテキのデビューは、3歳になってからと遅く、2月27日、阪神新馬戦ダート1700mに出走し、2着に1.1秒も離すぶっち切りの圧勝。


3月19日ヤエノムテキは、400万下条件戦中京ダート1700mに出走し、直線短い中京競馬場で、2着に2.0秒も離すぶっち切りの圧勝。
元々、他馬とは能力が違ったでしょうし、恐らくダート適性も高かったと推測します。


3月27日ヤエノムテキは、連闘で毎日杯(阪神GⅢ芝2000m)に出走しました。
ダートのレースの勝ちっぷりの高さから、一転芝のレースを試してみたのでしょうが、連闘したのは皐月賞(中山GⅠ芝2000m)に出走したかったんだと思います。
ここで2着以内に入る必要がありました。

このレースには、当時公営から転厩して、能力の高さを見せつけた、オグリキャップも出走して来ました。
レース映像は、平成三強物語 - 1988年 オグリキャップ(2)を参照願います。
ヤエノムテキは、初めての芝と言う事もあったでしょうが、オグリキャップの4着に敗れます。

通常なら、初芝、初重賞な訳で、4着は上々とも言えるのですが、この成績だと抽選を勝ち取らなければ、クラッシック第1冠目、皐月賞(中山GⅠ芝2000m)に出走出来ません。
そして運良く抽選を通り、4月17日ヤエノムテキは、皐月賞に出走しました。

クラッシック登録のないオグリキャップが出走出来ないのはしょうがないとして、出走すれば圧倒的1番人気となったであろうサッカーボーイは裂蹄から菌が入り、飛節炎となって回避しました。
混戦ムードとなりました。
この年の皐月賞は、いつもの中山競馬場改修工事のため、東京競馬場の開催でした。

1番人気は、前走スプリングS(中山GⅡ芝1800m)に勝って4勝目、成績安定しているモガミナイン。
2番人気は、朝日3歳S(中山GⅠ芝1600m)、前走弥生賞(中山GⅡ芝2000m)優賞馬、サクラチヨノオー。
3番人気は、京成杯(中山GⅢ芝1600m)優勝、前走弥生賞(中山GⅡ芝2000m)2着のトウショウマリオ。
抽選でやっと出走出来たヤエノムテキは、9番人気でした。

逃げたのはキョウシンムサシ、2番手サクラチヨノオーでしたが、アイビートウコウが向こう正面で交し、キョウシンムサシも追いかけ、先頭に並びました。
ヤエノムテキは、サクラチヨノオーのすぐ後ろに付けています。
スタートから3F(600m)は35.1、1000m通過59.8のハイペース。
3-4コーナーで、先行勢が動き出し、アイビートウコウに迫り団子状態になります。

直線向いて、インコースが空き、するするとヤエノムテキが出て来て先頭に立ちます。
サクラチヨノオーが追いかけますが、交せそうにない。
大外からディクターランドが強襲し、サクラチヨノオーを交しますが時遅し、ヤエノムテキが優勝しました。

1着 ヤエノムテキ 2:01.3
2着 ディクターランド 3/4
3着 サクラチヨノオー 1/2

ペースは早過ぎず、それでいてハイペース・・・ヤエノムテキに向いた流れでした。

ヤエノムテキ、ディクターランドとも、毎日杯で、オグリキャップに惨敗しています。
オグリキャップは、クラッシック登録がなかったので、皐月賞に出られなかっただけで、世代最強馬はオグリキャップと言う認識でした。

5月29日ヤエノムテキは、日本ダービー(東京GⅠ芝2400m)に出走しました。
レース詳細は、平成三強物語外伝 - サッカーボーイを参照願います。
ヤエノムテキは、サクラチヨノオーに敗れ4着。


7月3日ヤエノムテキは、中日スポーツ賞4歳S(中京GⅢ芝1800m)に出走しました。
レース詳細は、平成三強物語外伝 - サッカーボーイを参照願います。
ヤエノムテキは、体調回復したサッカーボーイに敗れ2着。


9月11日ヤエノムテキは、古馬混合オープン特別のUHB杯(函館オープン芝1800m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、オープン2勝のトウショウサミット。
3番人気は、金鯱賞(中京GⅢ芝1800m)優賞馬、パッシングパワー。

逃げたのはパッシングパワー、2番手マイネルフリッセ、3番手ヤエノムテキ。
スタートから3F(600m)は36.4、1000m通過1分0秒8のスローペース。
ヤエノムテキは3-4コーナーで仕掛け、直線1頭だけ次元の違う脚を繰り出し、残り100mで逃げるパッシングパワーを交し、1馬身3/4離して優勝。
2着は粘ったパッシングパワー。

1着 ヤエノムテキ 1:49.4
2着 パッシングパワー 1 3/4
3着 コクサイダイヤ 3 1/2


10月16日ヤエノムテキは、京都新聞杯(京都GⅡ芝2200m)に出走します。
レース詳細につきましては、平成三強物語 - 1988年 スーパークリーク(2)を参照願います。
ヤエノムテキが皐月賞馬の貫録で優勝。


11月6日ヤエノムテキは、菊花賞(京都GⅠ芝3000m)に出走し
レース詳細につきましては、平成三強物語 - 1988年 菊花賞(京都GⅠ芝3000m) スーパークリーク(3)を参照願います。
ヤエノムテキは、ここまでの実績から1番人気に推されますが、抽選で出走にこぎつけたスーパークリークに敗れ、10着。


12月4日ヤエノムテキは、鳴尾記念(阪神GⅡ芝2500m)に出走します。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、前走大原S(京都オープン芝2400m)に勝った騸馬ハツシバエース。
3番人気は、前走冬特別(東京900万下芝1800m)に勝って駒を進めて来た、カゲマル。

逃げたのはダンシングジオット、2番手はダイナカーペンター、3番手ミスターシクレノン。
ヤエノムテキはハツシバエースと共に、その後に付けています。
スタートから3.5F(700m)は43.3、1100m通過1分9秒8のスローペース。

レースは淡々と流れ、3-4コーナーでは先頭グループが団子状になりました。
直線向いてダンシングジオットは後退、ダイナカーペンターが先頭に立ちます。
先団のすぐ後ろに付けていたヤエノムテキが、馬群の間から抜け、先頭に立ちます。
ダイナカーペンターはここで後退。
外からカゲマルが追って来ますが、ヤエノムテキに届きそうにもない。
インコースから、ハツシバエースが凄い脚で突っ込んで来ましたが、ヤエノムテキがハナ差抑えて優勝。

1着 ヤエノムテキ 2:33.1
2着 ハツシバエース ハナ
3着 カゲマル 1/2

ヤエノムテキはタマモクロス、オグリキャップ、サッカーボーイ、スーパークリークと空前の対決となった1988年有馬記念(中山GⅠ芝2500m)には向かいませんでした。


1989年1月22日ヤエノムテキは、日経新春杯(京都GⅡ芝2200m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、前走愛知杯(中京GⅢ芝2000m)2着のインターアニマート。
3番人気は、1987年高松宮杯(中京GⅡ芝2000m)優勝、1988年高松宮杯(中京GⅡ芝2000m)2着の、ランドヒリュウ。

逃げたのはハッピースズラン、2番手ダイナカーペンター、3番手ランドヒリュウ。
ヤエノムテキは、その後に付けています。
スタートから3F(600m)は36.6、1000m通過1分0秒6のやや遅目のペース。

向こう正面下りから先行勢が仕掛け、逃げるハッピースズランとの差を縮めて行きます。
3-4コーナーでは、ランドヒリュウ、ヤエノムテキが、ハッピースズランに手が届くところまで進出します。
直線で2番手まで進出していたランドヒリュウが、ハッピースズランの大外から差して来て、外から馬体を合わせ、ヤエノムテキも差して来ます。
ランドヒリュウはゴール100m前で、二の足を使って粘るハッピースズランを交わし、先頭に立ち、ヤエノムテキを首差押さえて優勝。

1着 ランドヒリュウ 2.14.4
2着 ヤエノムテキ クビ
3着 ハッピースズラン 1 1/2

ヤエノムテキは、前にいたランドヒリュウのペースに捉え切れませんでした。


4月2日ヤエノムテキは、産経大阪杯GⅡ(芝2000m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、前走日経新春杯(京都GⅡ芝2200m)でヤエノムテキを負かした、ランドヒリュウ。
3番人気は、前々走愛知杯(中京GⅢ芝2000m)2着のインターアニマート。

逃げたのはヒデリュウオー、2番手ゴールドシチー、3番手プレジデントシチー。
しかし1コーナーでランドヒリュウが2番手に上りました。
ヤエノムテキは、その後に付けています。
スタートから3F(600m)は36.8、1000m通過1分0秒6のスローペース。

向こう正面でヤエノムテキは、少しだけ順位を上げました。
3コーナーでゴールドシチーが仕掛け、ランドヒリュウを交わして2番手。
3-4コーナーで各馬仕掛け、先団に付けます。

直線向いて、逃げるヒデリュウオーを、ゴールドシチーが交わします。
馬場の真ん中からヤエノムテキが伸びてゴールドシチーを交わすと、後は後続を引き離す一方。
ランドヒリュウがじりじり伸びて、ゴールドシチーを交わしましたが、時遅し。
ヤエノムテキが優勝、2着はランドヒリュウ。

1着 ヤエノムテキ 2.01.4
2着 ランドヒリュウ 3 1/2
3着 ゴールドシチー 1/2


6月11日ヤエノムテキは、宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)に出走しました。
このレースは、ヤエノムテキの春の目標でした。
結果は、イナリワンの7着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1989年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m) イナリワン(7)を参照願います。

菊花賞の大敗は、距離が向かなかったのでしょうが、この宝塚記念の敗戦は、不可解なものでした。
しかし後に、ヤエノムテキは気の悪い馬で、気分良く走らないと、力を発揮しないと言う事を知ります。


夏場は休み、10月29日ヤエノムテキは、休み明けぶっつけで天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)に出走しました。
結果は、スーパークリークの4着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1989年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)を参照願います。


12月24日ヤエノムテキは、有馬記念(中山GⅠ芝2500m)に出走しました。
結果は、イナリワンの6着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1989年 有馬記念(GⅠ芝2500m)を参照願います。
平成三強に、ことごとく敗れます。

ヤエノムテキは、例年ならば、結構な実力馬だったと思いますが、平成三強には歯が立ちませんでした。
ヤエノムテキにとって平成三強は、悪夢のようだったでしょうね。


明けて1990年1月21日ヤエノムテキは、日経新春杯(京都GⅡ芝2200m)に出走しました。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、1989年天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)2着のミスターシクレノン。
3番人気は、1989年きさらぎ賞(京都GⅢ芝1800m)優勝のナイスナイスナイス。

逃げたのはラッキーゲラン、2番手トーワトリプル、3番手外からナイスナイスナイスでしたが、すぐにモガミナインが交わして上りました。
ヤエノムテキはその後に付けました。
スタートから3F(600m)は37.0、1000m通過1分1秒3のスローペース。

3-4コーナーで各馬仕掛け、ヤエノムテキも少し上って行きました。
直線向いて、2番手のトーワトリプルが差して、ラッキーゲランを交わして先頭に立ちます。
ヤエノムテキが外から差して来ますが、バテないトーワトリプルを交わせそうにない。
大外からハツシバエースが、凄い足で突っ込んで来ました。
ヤエノムテキが、トーワトリプルに3/4馬身まで近づいたところがゴール。
トーワトリプルが優勝、2着はヤエノムテキ。

1着 トーワトリプル 2.15.0
2着 ヤエノムテキ 3/4
3着 ハツシバエース クビ


ヤエノムテキの今年の目標の1つを安田記念(東京GⅠ芝1600m)としました。
2月25日ヤエノムテキは、読売マイラーズC(京都GⅡ芝1600m)に出走しました。
馬場状態は重馬場。

1番人気は、ヤエノムテキ。
2番人気は、1989年スプリングS(中山GⅡ芝1800m)、前走仁川短距離S(阪神オープン芝1200m)優勝のナルシスノワール。
3番人気は、昨年の優勝馬で、前走CBC賞(中京GⅢ芝1200m)優勝のミスティックスター。

逃げたのはエーコーシーザー、2番手ナルシスノワール、3番手外からミスティックスター 。
ヤエノムテキは後方に付けました。
スタートから3F(600m)は35.0、1000m通過59.2の重馬場としては速目のペース。

直線向くと先行勢が崩れ、中団からメジロワース、ヤエノムテキが差して来ます。
メジロワースの脚色に、ヤエノムテキは差せそうにもなく、さらに後方からスカイジャイアントが突っ込んで来ました。
メジロワースが優勝、2着はスカイジャイアント。

1着 メジロワース 1.36.6
2着 スカイジャイアント 1/2
3着 ヤエノムテキ クビ

ヤエノムテキは3着に敗れはしましたが、着差はわずかで、可能性を感じさせました。


4月1日ヤエノムテキは、産経大阪杯GⅡ(芝2000m)に出走しました。に出走しました。
結果は、スーパークリークの3着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 産經大阪杯(阪神GⅡ芝2000m)を参照願います。


5月13日ヤエノムテキは、安田記念(東京GⅠ芝1600m)に出走しました。
結果は、オグリキャップの2着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 安田記念(GⅠ芝1600m)を参照願います。


6月10日ヤエノムテキは、宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)に出走しました。
結果は、オサイチジョージの3着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)を参照願います。


夏シーズンは休養し、10月28日ヤエノムテキは、休み明けぶっつけで天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)に出走しました。
平成三強のイナリワン、スーパークリークは脚部不安による回避。
そしてその後、そのままターフに姿を現す事なく、引退しました。
このレースには平成三強の一番人気、オグリキャップが休み明けぶっつけで出走しました。
結果は、まるで皐月賞(中山GⅠ芝2000m)の再現を見るかのような走りで、ヤエノムテキ優勝。
初めてオグリキャップに対して先着し、溜飲を下げました。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)を参照願います。


11月25日ヤエノムテキは、ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)に出走しました。
結果は、ベタールースンアップの6着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)を参照願います。


12月23日ヤエノムテキは、有馬記念(中山GⅠ芝2500m)に出走しました。
結果は、オグリキャップの7着に敗退。
詳しいレースの模様は、平成三強物語 - 1990年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)を参照願います。
ヤエノムテキはこのレースで、オグリキャップと共に引退しました。


ヤエノムテキは種牡馬となり、1991年に5億のシンジケートが組まれましたが、あまり人気がなく、産駒もさほど活躍せず、1996年シンジケート解散。
それでも2010年まで種牡馬として繋養され、その後功労馬として日高スタリオンステーションで功労馬として余生を送っています。

種牡馬として成功しなかったのは、サンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイム等、海外からの種牡馬が大活躍したと言うのがあります。
優秀な産駒を出すのに、良質の繁殖牝馬も不可欠な要素ですが、ヤエノムテキのような内国産馬には、良質の繁殖牝馬との交配の機会はありませんでした。
この頃に種牡馬になった馬にとって、サンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイムは、悪夢のような凄さでしたからね。

もう1つは、スローペースのスピード勝負の競馬が多くなり、スピード不足の血統は、ことごとく活躍しませんでした。
ニジンスキー系は、ハイペースで最後の底力があるタイプが多くて、直線3F(600m)が34秒より速い切れ味を要求されるレースには、向きませんでした。

次回は、平成三強物語外伝として、タマモクロスについて書きます。

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2012年2月16日 (木)

平成三強物語 - 1988 オグリキャップ(2)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の3強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成3強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

最初にこのページを読む前に、平成三強物語 - 1987年-1988年 オグリキャップ(1)を一読願います。

今回は、オグリキャップの3歳JRAデビューから、夏までについて書きます。

1988年3月6日オグリキャップは、中央競馬に移籍して、ペガサスS(阪神GⅢ芝1600m)初出走しました。

1番人気は、4連勝中で、シンザン記念(京都GⅢ芝1600m)を勝っている、出走馬中唯一のJRA重賞ウィナー、ラガーブラック。
2番人気は、オグリキャップ。
地方競馬で、12戦10勝2着2回、内1勝は芝の勝利で、芝もダートも圧勝ばかりでしたが、公営馬と言う事で軽んじられ、1番人気にはなりませんでした。
当時は、中央競馬と地方競馬の交流は少なく、地方競馬に偏見を持っている人が多かったです。
地方競馬への偏見は、現在もですけどね。
それでも2番人気と言うのは、もしや・・・と思う人が多かったんでしょう。
3番人気は、ダートではありましたが、新馬、400万下条件戦2戦2勝のワンダーテイオー。
他の出走メンバーには、この時点では人気はありませんでしたが、後に重賞ウィナーとなる、グレートモンテ、インターアニマートも出走しています。

逃げたのはホリノライデン、2番手グレートモンテ、3番手ラガーブラック。
オグリキャップは、当初後ろから3番手につけました。
スタートから3F(600m)のタイム35.4、1000m通過が59.1と平均ペース。
先団グループは一団となり、入れ替わりました。

オグリキャップは、3-4コーナーで先団に上ります。
4コーナーから直線向いて、逃げたアグネスカノーバの外からオグリキャップが仕掛けると、ケタ違いの脚色を繰り出します。
残り200mでオグリキャップが先頭に立つと、後続を置き去りにします。
馬群からラガーブラックが上って来ますが、3馬身差離された2着まで。
オグリキャップは、ゴール前は手綱を緩める余裕の楽勝。

1着 オグリキャップ 1.35.6
2着 ラガーブラック 3
3着 マチカネイトハン 1 1/4

直線からの模様が、映像にあります。


3月27日オグリキャップは、毎日杯(阪神GⅢ芝2000m)に出走しました。
1番人気は、前走ペガサスS(阪神GⅢ芝1600m)楽勝のオグリキャップ。
2番人気は、きさらぎ賞GⅢを2着したファンドリデクター。
3番人気は、函館3歳S GⅢ芝1200m(現函館2歳S)を勝った後、休養していたディクターランド。
ついでに4番人気は、新馬、400万下を連勝中のヤエノムテキ。
他には、きさらぎ賞GⅢを勝ったマイネルフリッセ、後に重賞を勝つホリノライデン、グレートモンテ、インターアニマートも出走しています。

逃げたのはホリノライデンでしたが、1コーナー過ぎにグレートモンテに交わされます。
3番手はディクターランド。
オグリキャップは、後方に付けました。
スタートからの3F(600m)は36.2、1000m通過が1分0秒9と、平均ペースからやや遅目。

オグリキャップは前走同様、3-4コーナーで先団に上ります。
重上手なのか、直線抜け出したファンドリデクターの脚色が良いですが、オグリキャップも良く伸びて来ます。
前走ほどの切れ味はありませんでしたが、オグリキャップが粘るファンドリデクターを、首差交してゴール。

1着 オグリキャップ 2.04.8
2着 ファンドリデクター クビ
3着 インターアニマート 3 1/2身

ちなみにこのレース4着のヤエノムテキが、次走の皐月賞GⅠ芝2000m優勝、7着に敗れたディクターランドが皐月賞を2着しました。

クラッシック登録のないオグリキャップは、皐月賞、ダービー、菊花賞の3冠には、出走出来ませんでした。
現在なら、高い追加登録料を払えば出走できるよう、規定が変わったんですけどね
規定が変わったのは、オグリキャップの存在も、1つの原因です。

5月8日オグリキャップは、京都4歳特別(京都GⅢ芝2000m)に出走しました。
現在この京都4歳特別と言うレースはなく、代わって秋に開催していた京都新聞杯が、この時期に移設されていますね。
京都4歳特別は本来、ダービトライアルではないものの、ここで賞金を加算して、ダービの出走権を取る位置づけのレースです。

1番人気は、オグリキャップ。
2番人気は、シンザン記念(京都GⅢ芝1600m)優勝勝で、ペガサスS(阪神GⅢ芝1600m)はオグリキャップの2着、皐月賞(中山GⅠ芝2000m)9着のラガーブラック。
3番人気は、シンザン記念(京都GⅢ芝1600m)4着の後、休養明けのマグマアロー。

このレースには他に、きさらぎ賞GⅢを勝ったマイネルフリッセ、後に重賞を勝つエーコーシーザーも出走しています。
オグリキャップは、主戦ジョッキーの河内騎手が、東京競馬場のダービトライアルNHK杯GⅡ芝2000mに出走するサッカーボーイに乗るために、南井騎手が代役で騎乗しました。

逃げたのはエーコーシーザー、2番手アルピガ、3番手パワーウイナー。
オグリキャップは、中段より後方に付けます。
スタートからの3F(600m)は36.5、1000m通過が1分1秒2と遅いですが、これは今日と競馬場の馬場が荒れていたため。
この馬場では、平均ペースくらい。

オグリキャップは向こう正面から早仕掛け気味に上がって行き、3-4コナーで馬込みに突っ込みます。
直線向くと運よく前が空き、南井騎手が軽く追ったら先頭に立ち、後方を大きく突き放します。
そのまま差を広げ、5馬身差大楽勝。
2着に人気薄のコウエイスパート、3着も人気薄フミノアチーブ。

1着 オグリキャップ 2.03.6
2着 コウエイスパート 5
3着 フミノアチーブ 3 1/2身


6月5日オグリキャップは、ニュージーランドT4歳S(東京GⅡ芝1600m)に出走しました。
当時は、NHKマイルC(東京GⅠ芝1600m)もなく、クラッシックに出走出来ない外国産馬等が目指す、最大のレースでした。

1番人気は、オグリキャップ。
2番人気は、前走400万下条件戦を2馬身1/2千切って勝ったトマム。
3番人気は、前走菖蒲特別(東京オープン芝1400m)2着のリンドホシ。
他には、この後秋に重賞を勝つヤエノダイヤ、札幌3歳S GⅢ芝1200m勝ち馬ミヨノスピード、後に重賞を勝つマキバサイクロン、バレロッソ、アイビートウコウも出走しています。
オグリキャップの鞍上は、主戦河内騎手が復帰。

逃げたのはアイビートウコウ、2番手ハヤブサモン、3番手ダイワダグラス。
オグリキャップは最初、後方に付けました。
スタートからの3F(600m)は34.0、1000m通過が58.1の、3歳馬にしてはかなりのハイペース。

オグリキャップは、道中徐々に中団に進出し、3-4コーナーでは、前目に先団に取り付きます。
4コーナー回り、直線向く頃には4番手。
直線の長い東京競馬場、早仕掛けかと思いきや杞憂で、直線向くとと、馬なりで上って行きました。
手綱を押さえたまま、スピードの違いで先頭に押し出されます。
ハイペースに、他馬は懸命に追いますが、全く伸びません。
残り300mでちょっと気合を入れると、後方を突き離し、後は手綱を押さえても、7馬身差大楽勝。
2着リンドホシ、3着トマム。

1着 オグリキャップ 1.34.0
2着 リンドホシ 7
3着 トマム 3/4

時計がビックリで、当時の3歳にしては破格の1分34秒0。
この当時、GⅠ2勝しているニッポーテイオーが、日本最強マイラーと思われてました。
ニッポーテイオーが、3週間前に勝った同コース同距離の、安田記念GⅠ芝1600mの勝ちタイムより、オグリキャップのニュージーランドT4歳Sは、0.2妙速いタイムなのです。
オグリキャップを追っていたら、1分33秒台のタイムだったでしょうね。

オグリキャップのニュージーランドT4歳Sは、オグリキャップの伝説のレースの1つです。

7月10日オグリキャップは、高松宮杯(中京GⅡ芝2000m)に出走しました。
このレースも、走れるレースが少ない外国産馬等が目指すレースでした。
3歳のオグリキャップには、初の古馬との対戦です。

1番人気は、オグリキャップ。
2番人気は、前年の高松宮杯優勝馬で、重賞2勝馬の強豪ランドヒリュウ。
3番人気は、1987年朝日チャレンジC(阪神GⅢ芝2000m)優勝馬で、前走の金鯱賞(中京GⅢ芝1800m)2着他、重賞の2着が計3回あるプレジデントシチー。
他にはオークス(東京GⅠ芝2400m)優勝馬コスモドリーム、1987年カブトヤマ記念(福島GⅢ芝1800m)優勝馬ユウミロクも出走しています。

各馬、牽制するようにスタートして、押し出されるようにランドヒリュウが先頭で逃げます。
2番手パワーウイナー、3番手プレイガイドバード。
オグリキャップはその後、4番手に付けます。
スタートからの3F(600m)は36.1、1000m通過が1分0秒5とランドヒリュウがスローペースで逃げましたが、その後ペースを速めます。

オグリキャップは向こう正面で外に出し、3-4コーナーで上がって行き、4コーナー手前では2番手に付けます。
直線向いて、ランドヒリュウの脚色衰えず、2馬身後方からオグリキャップが懸命に追います。
直線短い中京競馬場で、レース展開はランドヒリュウに有利。
オグリキャップは1完歩ずつランドヒリュウを追い詰め、残り200mで並ぶと、さらに1馬身1/4差突き抜けました。
2着ランドヒリュウ、3着に同じく3歳のコスモドリーム。

1着 オグリキャップ 1.59.0 レコード
2着 ランドヒリュウ 1 1/4身
3着 コスモドリーム 4

これでオグリキャップは、公営から移籍した馬としては、ハイセイコーの記録を破る重賞5連勝を果たしました。
以下映像の3:00から、高松宮杯の直線だけのレース映像があります。

クラッシック登録のないオグリキャップは、秋には菊花賞ではなく、天皇賞秋、ジャパンC、有馬記念を目標にしていました。
しかし1988年には、古馬にとんでもない強さのタマモクロスがいたのです。
オグリキャップとタマモクロスは、伝説の戦いを繰り広げます。

次回は、平成三強物語外伝として、ヤエノムテキについて書きます。

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2011年12月23日 (金)

平成三強物語 - 1990年 有馬記念(中山GⅠ芝2500m)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の三強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成三強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

オグリキャップは、秋2戦、天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)と無残な敗北を喫し、引退レースとして有馬記念に出走して来ました。
これ以上、オグリキャップの無残な敗戦が見ていられない心ないファンは、ジャパンカップ後、直ちにオグリキャップを引退させるよう、馬主の近藤俊典氏を脅迫すると言う事件となりました。

鞍上は、秋2戦騎乗して結果の出なかった増沢から、スーパークリークの引退で、空いてた武豊となりました。
本来であれば、実績も経験も豊富な増沢に比べ、まだまだ駆け出しの武豊でしたが、この時点で天才の名を欲しいままにし、事実史上最速100勝達成、スーパークリークで史上最年少GⅠ制覇、1988年には史上最年少でで全国リーディングで、翌1989年も全国リーディング、1990年も全国リーディングほぼ確実と、人気ばかりでなく実績もありました。
武豊か、岡部が乗って、どうしようもない馬は、しょうがないムードがあった程でした。
事実、岡部の1988年 有馬記念の騎乗も、武豊の1990年 安田記念の騎乗も、オグリキャップの持ち味を最大限活かした、見事な騎乗でした。

1989年 有馬記念の記事にも書いていますが、オグリキャップは物凄く調教の走る馬で、栗東で最も時計が出ない、Bコースで調教の追い切りをします。
並みのオープン馬でも、1200mを80秒なかなか切らないコースなのですが、オグリキャップはこの時点でも77秒前後で走る事が出来ました。

1番人気は、ジャパンカップで日本馬最先着した3歳馬ホワイトストーン、2番人気は何故かしら5歳馬メジロアルダン、3番人気は菊花賞(京都GⅠ芝3000m)で3着に敗れたメジロライアン、4番人気にやっとオグリキャップ、5番人気オサイチジョージ、6番人気ヤエノムテキと続きます。
実はレース前に、面白い流言が飛んでいました。
馬券は今とは違い、枠連までしかなかった当時、オグリキャップと同枠の馬が、代用で有馬記念に2着までに来ると。
枠順が発表された時、同枠に入ったのはメジロアルダン・・・あながち、オグリキャップの代用で2着までに来るのは、あり得ない話じゃありませんでした。
ここまでの実績からすると、メジロアルダンの2番人気は、人気が過熱し過ぎで、この流言があったのでは?と勘ぐってしまいます。
鞍上は、オグリキャップの最初の主戦ジョッキーだった河内洋と言うのも、因縁めいていました。

自分に競馬を教えてくれた師匠は、オグリキャップ衰えても、マイル戦ならまだ日本で一番強いのではないか?と言っていました。
この有馬記念も、もしスローペースで、上がりのスピード勝負になれば、オグリキャップは、まだまだ勝負になるとも言っていました。
しかし世間一般では、オグリキャップはこの有馬記念で引退して、種牡馬入りが決まっていましたので、無事ゴールまでたどり着いてくれれば、着順なんてどうでも良いムードでした。
自分も、そう思っていました。

そして当日のパドックです。
自分は通常、メインレースの1つ前のレースはスタンドで見ず、パドックに陣取る事にしていました。
そうでなければ、人が多くてじっくりパドックを見る事が出来ません。

それにしても、オグリキャップの引退レースとして、あの中山競馬場に約15.5万人もの人が来て、どこに行っても人の波。
当時はまだ、有馬記念には、前売り券は必要なかったんですね。
そのため、有馬記念の2レース前から、パドックに陣取っていました。

在りし日の、全盛時のオグリキャップは、気合を思いっきり外に出し、2人挽きの手綱を持って行くほどで、パドックの見栄えのする馬でした。
しかし、この日のパドックも残念ながら、秋2戦同様、うつむいて、2人挽きの手綱を持って行くほどの気合は見せず、元気がないように見えました。

逆に気合を見せて、パドックで目立っていたのは、ホワイトストーン、メジロライアンの3歳勢、メジロアルダンも良く見えましたし、このレース逃げると目されていたミスターシクレノンも良く見えました。

スタートです。出遅れた馬はありませんでしたが、逃げると目されていた松永幹夫ミスターシクレノンは、ダッシュせず、ゆるりと2番手と目されていたオサイチジョージが逃げます。
レース前に放馬のアクシデントがあった、岡部幸雄ヤエノムテキも珍しく2番手に先行し、その後メジロアルダン、オグリキャップも4-5番手と先行します。
オグリキャップの後ろには、マークするように柴田政人ホワイトストーン、横山典メジロライアンは後方から。

ペースは見た目にも、びっくりするようなスローペース。
600m通過が37.1、1000m通過は63.5と条件クラス並みの、超スローペース。
このため、馬群は団子状になりますが、どの馬もオサイチジョージを突っつきません。
2コーナーで、2番手ヤエノムテキ、3番手少し上がったメジロアルダン、4番手インコースで自然に上がったホワイトストーン、オグリキャップ真中段前、依然メジロライアンは後方から。

1600m通過は1:40.0、向こう正面で、たまらずミスターシクレノンが上がって行きましたが、それでも各馬折り合いがつき、淡々と流れて行きます。
この頃から、少しずつペースが上がって行きます。
3-4コーナー中間くらいから、勝負所と各馬が上がって行き、この中には、逃げるオサイチジョージを射程圏に捕らえたオグリキャップもいました。
2000m通過は、2:03.5。
スタンドで、自分の斜め前にいたおじさんが、「オグリキャップ、ゆっくり・・・ゆっくりと・・・」と言っていたのが、印象的でした。

ここまで超スローペースでしたので、後は瞬発力、スピード勝負です。
故障しないで、無事回って来てくれれば良いと思っていたオグリキャップは、直線手前で武豊が合図して、ゆっくり加速して直線を向きます。
オグリキャップは、急に追うと手前を変える(利き脚に変えて加速する)のにモタモタするクセがありました。
しかし安田記念と同様、ゆっくり加速したので、モタモタするクセは見られません。

これだけのスローペースですから、道中折り合いをつけ、いかにリラックスして走り、脚を残しているかがポイントです。
逃げた、オサイチジョージの脚がまだ残っていましたが、スピードではオグリキャップの敵ではありません。
直線向いて、オグリキャップがオサイチジョージを交わし、先頭に踊り出ます。
豪腕、柴田政人のホワイトストーンが、インコースを突いて突っ込んで来ます。
横山典メジロライアンが、物凄い足で突っ込んで来ます。

どの馬にも脚は残っていますが、ホワイトストーン、メジロライアンの脚は凄かった。
競馬の神様、故大川慶二郎が、メジロライアンの馬券を持っていたのか、テレビの放送で「ライアン!」と叫んだのは有名な話です。
しかしオグリキャップの、この日のスピードは違い、ホワイトストーンを引き離し、メジロライアンも交せそうには見えませんでした。

驚きの、引退レースで堂々復活、オグリキャップ優勝です。
しかも勝ちタイムは、同日の900万下同条件、グットラックハンデの勝ちタイム2分33秒6より遅い、2分34秒2です。
昨年の有馬記念と比べても、2.5秒も遅いです。

優勝時の実況、「見事に、引退の花道を飾りました。スーパーホースです、オグリキャップです。」は、名実況として、今に語られています。

2着はホワイトストーンを交わした、メジロライアン。
でも、メジロライアンは、もっと早く仕掛けていれば、結果はどうだったでしょうね?

1着 オグリキャップ 2.34.2
2着 メジロライアン 3/4
3着 ホワイトストーン クビ

現在、ウィキペディアを見ると、当時の瀬戸口調教師が、この秋のオグリキャップが、骨膜炎で苦しんでいたと、完調状態で出走した訳ではなかった事を示唆しています。
出走したのは、オーナーの意向だったのでしょうか?
調教VTRを見ても、タイム的にもいつもと変わらず、走る姿も素人目には良く見えましたが、関係者にはいつもと違うと感じていたのでしょうね。
パドックでの気合、気迫は、春の頃とは比較にならないくらい、ありませんでした。

後に、増沢とオグリキャップの相性が良くなかったとの説が出されていますが、自分は違うと思います。
オグリキャップは、もう昔日の強さではなく、調子も悪かったんだと思います。

しかし、後に有馬記念パドックでは、手綱を引く池江と辻本厩務員が、天皇賞秋の2倍の力で手綱を引いたので、ひょっとしたらと思ったそうです。
うつむいていたのは、厩務員が手綱を引いていたからだと。それで、元気がないように見えたんですね。

後に、武豊TVで、武豊の思い出のレースベスト5の第4位に、このレースを選びました。
そこでは武豊は、「オグリキャップは、鞍上の指示に従う、乗りやすい馬だった」と語りました。
オグリキャップの調子については、春の出来にはないんだろうなと思っていて、乗っていて、3コーナーまでは勝つ事は考えず、普通に回って来たそうです。
4コーナー手前で、オグリキャップの行きっぷりが良くい、もしかしたら・・・と思い、最後は優勝・・・
「こんな事って、あるんですね」としみじみ語っていた。

現在の、JRAの有馬記念のCMがこのレースで、「神はいる、そう思った」と言うフレーズですね。
オグリキャップが有馬記念で優勝したのは、少し体調が戻り、絶好のスローペースで上りのスピード勝負になり、武豊が絶妙の騎乗をした結果です。
まあ、少しだけ、神の後押しがあったかも知れませんが。

オグリキャップの引退式は、人気が凄かった事もあり、異例の京都競馬場、公営笠松競馬場、東京競馬場の3場で行われました。
東京競馬場へは見に行きましたが、有馬記念の時から少し太っていましたが、有馬記念のパドックより気合乗りが良く、まだまだ現役で通用するんじゃないかと思われるほどでした。

これで、オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの3頭共に引退し、次には種牡馬として覇を競う・・・はずでしたが、これは生まれた時代が悪かったのです。
オグリキャップは、これだけの人気馬で、血統は大した事がないとは言え、18億ものシンジケートが組まれました。
スーパークリークは15億、イナリワンのシンジケート値段は不明。

前年に、凱旋門賞馬トニービンが種牡馬入りしていましたし、平成三強と時を同じくして、25億円のシンジケートが組まれ、後の大種牡馬サンデーサイレンスが種牡馬入りしました。
同年には、ブライアンズタイムも種牡馬入り。
この3頭とも、ものすごく活躍した種牡馬です。
特にサンデーサイレンスにつては、競馬史上、ボールドルーラーも、ノーザンダンサーも、レイズアネイティブも及ばなかったほど、多くの活躍馬を輩出しました。
これはまた、平成三強とは別の話・・・

平成三強は、イナリワンが少し公営などで成功したくらいで、オグリキャップ、スーパークリークは、全然活躍馬を出さないまま、種牡馬引退しました。

これにて、平成三強物語を終了します。

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2011年12月21日 (水)

平成三強物語 - 1990年 ジャパンカップ(東京GⅠ芝2400m)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の三強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成三強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

前走の天皇賞秋で、不可解な敗北を喫したオグリキャップは、前年とは違い、ジャパンカップ(以後JC)に直行しました。

まず、外国出走馬について紹介します。

ベルメッツ(英)牡馬3歳
同年、キングジョージ五世&クイーンエリザベス・ダイアモンド・ステークス(アスコットGⅠ芝12F約2414m・・・以後キングジョージ)に勝った馬で、この年の招待馬の一番の目玉です。
他にはGⅢ、GⅡを1勝ずつ。
キングジョージ勝ちのJC参加は初でしたし、結構競馬新聞なんかで、本命を打つ人も多く、最終的に1番人気になりました。

ベタールースンアップ(豪)セン5歳
前年、オセアニアのホーリックスが優勝した事で、日本のオセアニア勢の見方が一変。
しかも、ホーリックスはレベルの低いニュージーランドの馬に対し、ベタールースンアップはオーストラリアの馬で、直前に連闘で、コックスプレート(ムーニーバレー芝2040m)とマッキノンS(フレミントン芝2000m)と言う、オーストラリアの大きなGⅠレースを勝って来日しました。
しかもホーリックスばりに、連日芝2000m以上の長いところで時計を出す、ハード調教。
近年、オセアニア最強馬と言う触れ込みもあり、最終的には2番人気に支持されました。

カコイーシーズ(英)牡馬4歳
ヨーロッパでは、GⅢを2勝のみですが、3歳時に英ダービー(エプソムGⅠ芝12F約2414m)3着、キングジョージ2着、英国際S(ヨークGⅠ芝10F110Y約2092m)2着と、GⅠでも善戦していましたが、勝ちきれていませんでした。
この年のキングジョージも、ベルメッツの4着。
しかしアメリカで、ターフクラシックS(ベルモントパークGⅠ芝12F約2414m)を勝っていて、アメリカと日本ではスピード競馬なので、日本の馬場に合うかもしれないと考えられていました。3番人気になりました。

プティットイル(仏)牝4歳
牝馬ながら、昨年GⅠ愛セントレジャー(カラGⅠ芝14F約2816m)勝ちし、今年はアメリカのGⅡを2勝、穴人気気味でした。

アルウーワッシュ(英)牡5歳
イギリスでは、重賞を勝てませんでしたが、昨年イタリアに遠征し、大きなGⅠレース、共和国大統領賞(カパネッレGⅠ芝2000m)、ミラノ大賞(サンシーロGⅠ芝2400m)、アメリカに遠征してカールトンFバークH(サンタアニタGⅠ芝10F約2011m)に優勝しました。
当年は、アメリカに止まりレースをしましたが、勝ち星はなく、ターフクラシックS(ベルモントパークGⅠ芝12F約2414m)2着が最高です。

オード(仏)牝4歳
春にフランスで、GⅢとGⅡを1勝ずつしていますが、その後アメリカに遠征し、GⅠを勝ちきれず。人気はありませんでした。

イブンベイ(英)牡6歳
昨年まで実績に加え、今年は芝のレースで、ドイツGⅠ、ベルリン銀行大賞(デュッセルドルフGⅠ2400m)、愛セントレジャー(カラGⅠ芝14F約2816m)勝ちしましたが、何と言ってもダートですが、ブリーダーズ・カップ・クラッシック(ベルモントパークGⅠダート10F約2011m)をアンブライドルドの2着しました。
日本で種牡馬になる事が予定され、オーナーも日本人。
JCでは、南関東公営の河津ジョッキーが乗る事になりました。
現在でも、公営のレースに偏見を持っている人はいるでしょうが、ジョッキーの交流がなかったこの当時、公営の騎手は中央の騎手と比べ、一般に低く見られていました。
外国馬に、わざわざ公営騎手、それもトップジョッキーではない河津騎手を乗せるのは、戦前から「マジかよ!」って反応でした。

なお、イブンベイに河津騎手が乗るならと、公営時代のオグリキャップの主戦ジョッキー、当時笠松競馬所属の安藤勝己ジョッキーが、本来のオグリキャップのオーナー、佐橋氏に直談判したが、実現しなかったそうです。
オグリキャップに騎乗した、増沢ジョッキーには冗談じゃなかったでしょうが、実現して、安藤勝己騎手が乗ったらどんな結果だったろうと思います。

スタイリッシュセンチュリー(豪)牡4
前年スプリングチャンピオンS(ランドウィックGⅠ芝2000m)とヴィクトリアダービー(フレミントンGⅠ芝2400m)の2つのGⅠを勝っています。
ホーリックスの活躍で、オセアニアの見方が変わったとは言え、今年はベタールースンアップに歯が立たず、人気は低かったです。

フレンチグローリー(仏)牡4
フランスでは、GⅢまでしか勝てませんでしたが、北米に遠征して、カナダのロスマンズ国際S(ウッドバインGⅠ芝12F約2414m)に優勝しています。

ファントムブリーズ(愛)牡4
GⅠ優勝なく、GⅡ3勝、GⅢ2勝しています。人気はありませんでした。
この馬の話題は、鞍上のアメリカ女性騎手、ジュリー・クローンの方だったですね。当時JRAでは女性騎手はいなかったのです。

日本馬では、オグリキャップが最高の4番人気、以後ダービー3着、菊花賞2着のホワイトストーン5番人気、天皇賞秋を勝ったヤエノムテキ8番人気、オサイチジョージ10番人気と続きます。
オグリキャップには、前走と同じく、鉄人増沢が騎乗し、ホワイトストーンには、イナリワンが脚部不安となったため、柴田政人ジョッキーが騎乗しました。

1990年 安田記念(東京GⅠ芝1600m)に、オグリキャップのパドックの様子を書いています。
この日も、いつもと同じ2人曳きながら、安田記念まで見せていた手綱を持って行く仕草がなく、淡々とパドックを回り、覇気に欠けるように見えました。

ゲートが開いて、ここで波乱が・・・逃げると思っていたイブンベイが、出遅れて後方から。
同じく、オグリキャップも、増沢にしてはスタート悪く、結局最後方に付けざるを得ませんでした。
他に是が非でも鼻に立とうと言う馬がなく、オサイチジョージ、スタイリッシュセンチュリー、プティットイルの3頭が牽制して、結局オサイチジョージが逃げました。
2番手スタイリッシュセンチュリー、3番手プティットイル、4番手カコイシーズ、その後のグループに、ホワイトストーン、ベルメッツ、その後ろにオード、ヤエノムテキ、ベタールースンアップ、後ろから相変わらず、オグリキャップ。

そこからペースが上がりますが、馬順は落ち着いたまま進みます。
3-4コーナーではオサイチジョージ、スタイリッシュセンチュリー、プティットイルの順で、それをマークするようにカコイシーズ、後方のホワイトストーン、ベルメッツ、オード、ベタールースンアップが上がって行きます。
4コーナー回る頃には、先行勢の足色が鈍り出し、後ろにいた馬が被さって、団子状になります。

直線向いて残り400m、先団をマークするように乗っていたカコイシーズが、先頭に立ちます。
前を行っていたオサイチジョージ、スタイリッシュセンチュリー、プティットイルは、脚色ぱったりで、ここまで。
中団からスルスルと良い脚で、ベタールースンアップが接近して来ます。大外から、オードも突っ込んで来ました。
ベタールースンアップが、ゴール前カコイシーズを捕え、抜き去り、大外から凄い脚でやって来たオードも、ゴール前頭コイシーズを捕え、ゴールしました。

ベタールースンアップは、近年オセアニア最強馬と言われているだけあって、ハイペースをものともせず差し切りました。
2着したオードの脚も凄かったですが、後100m先がゴール板でも、抜けなかったんじゃないでしょうか?

オードは、日本の馬場が合ったんでしょうね。恐らく調子も良かったでしょう。でも、ベタールースンアップが1枚上手だった。
カコイシーズも、完璧に乗りましたが、これで負けたらしょうがないでしょう。

3歳のホワイトストーンは、4着と善戦しました。しかし、前3頭とは力負けでしたね。

1着 ベタールースンアップ 2.23.2
2着 オード アタマ
3着 カコイーシーズ アタマ

オグリキャップは、増沢にしては珍しい出遅れで、最後方から・・・これは、どう言い訳しても、騎乗ミスですね。
しかしスタート良く、好位に付けていても、勝ち負けしそうな脚色じゃないですね。
天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)の惨敗は、ステップレースを使わないからと言う人もいましたが、JCの後方のまま11着は、昔年(せきねん)の出来にはないと言う事が、はっきりしました。

オグリキャップの次走は、引退レースとして、有馬記念(中山GⅠ芝2500m)に出走すると発表されました。
オグリキャップの、こんな無残な姿を見ていられないファンから、馬主の近藤俊典氏に、引退させろと脅迫状が届く騒ぎまで起きました。


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2011年12月19日 (月)

平成三強物語 - 1990年 天皇賞秋(東京GⅠ芝2000m)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の三強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成三強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

平成三強の1頭、スーパークリークは、この秋は京都大賞典(京都GⅡ芝2400m)から復帰し、グレード制導入以後初となる同競走連覇を達成しました。
しかしレース直後に、左前脚の繋靭帯炎が判明し、その後の秋のレースを回避、そのまま年末に引退を発表しました。

平成三強のもう1頭、イナリワンは夏の休養後、秋に向けて調整が進められましたが、脚部不安(具体的には不明)で秋に引退が発表されました。
その年の有馬記念当日の12月23日、中山競馬場で引退式が執り行われました。

宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)後、両前脚に骨膜炎を発症したオグリキャップは、ステップレースを使わず、そのまま天皇賞秋に直行。
今から考えてみると、オーナーは1989年に、あれほどオグリキャップを酷使したのに、この年はステップレースを使わないなんて、おかしな話です。
しかし、前年のオグリキャップの酷使は、この時すでに、批判を浴びていましたから、当時はそれほど不思議に思いませんでした。

スーパークリークの主戦ジョッキーは武豊、イナリワンには柴田政人、ヤエノムテキには岡部幸雄、そして今さら首にした河内洋や、自主的にジョッキーを降りた南井克己には、騎乗依頼出来ません。
陣営は、オグリキャップのジョッキーを、当時前人未到の2000勝が見えていたベテランジョッキー、増沢末夫に決定しました。
正直当時のJRAには、オグリキャップの主戦を務めるのにふさわしい、実績のあるジョッキーは、他にいませんでした。

増沢末夫は、1957年デビューで、1966年の日本ダービーにアサデンコウに騎乗し優勝して、重賞初勝利でダービー制覇。
1973年、74年と第一次競馬ブームの中心、ハイセイコーに騎乗しましたが、騎手としては40歳以降に活躍を始め、1977年以降、リーディングを争うようになりました。

増沢と言えば、スタートが上手で、「逃げの増沢」と言われ、人気薄の逃げ馬を絶妙のペース配分で、粘らせる名人でした。
また、福島、新潟等のローカル競馬の鬼と言われ、増沢が福島で乗る馬の単勝オッズが下がりました。
この年、増沢53歳でしたが、老いるどころか、この年通算100勝しています。

平地レース通算2,016勝したジョッキーですから、逃げばかりでなく、先行、差し、追い込みと、様々な競馬をこなしましたが、やはり逃げ、先行馬が、特に合っていたように思います。
長い騎手人生には、何度も人気馬にも乗っていますが、増沢と言うと、人気薄を腕で持って来るイメージが強かったですね。

休み明けとは言え、オグリキャップ1番人気、宝塚記念を制したオサイチジョージ2番人気、宝塚記念でオグリキャップに1/2馬身まで迫ったヤエノムテキ3番人気、この年高松宮杯GⅡ(中京芝2000m)を勝ち、武豊鞍上のバンブーメモリー4番人気、前年の天皇賞秋では、オグリキャップとともに、4強に数えられていたメジロアルダンが5番人気。

1990年 安田記念に、オグリキャップのパドックの様子を書いています。
この日も、いつもと同じ2人曳きながら、安田記念まで見せていた手綱を持って行く仕草がなく、淡々とパドックを回り、覇気に欠けるように見えました。

ゲートが開き、オグリキャップも出遅れなく、お互い牽制し合いながら、2コーナー過ぎにはロングニュートリノが逃げます。
オグリキャップは先行して5番手、マークするようにオサイチジョージ6番手、ヤエノムテキ7番手、8-9番手にメジロアルダン、後方集団にバンブーメモリーが付けました。
ペースは緩みなく、ロングニュートリノをラッキーゲランが終始突っつく形で、スタートからの3Fが35.1、1000m通過は58.2とハイペース。

オグリキャップはじっと先行して、同様にオグリキャップをマークするように、オサイチジョージ、ヤエノムテキ、メジロアルダンがすぐ後ろにつけています。
その後もペースは緩まず、1400m通過1:22.1、1600m通過1:34.4とかなりのハイペースです。
4コーナー手前から、スムースにオグリキャップが先頭集団に並べかけました。
当時、東京競馬場で、このレースを見ていた自分は、ここでオグリキャップの勝利を確信しました。
その時、自分には見えていませんでしたが、インコースわずかに開いた内側を目指して、栗毛の馬体が、インコースを突いていました。

残り400m、オグリキャップは、急に追うと手前を変える(利き脚に変えて加速する)のにモタモタするクセがありました。
それにしても、増沢がいくら追っても手応えが悪過ぎで、いつまで経っても加速しません。
その隙に、内からするするとヤエノムテキが先頭に立ち、後続を離しました。

横に広がり、オグリキャップの後ろから、早目に仕掛けた武豊バンブーメモリー、そしてワンテンポ遅らせて追い出したメジロアルダンが差して来ます。
本来なら、芝2000mでオグリキャップの後ろから差す馬などなく、あの程度の差なら、ヤエノムテキを差せない筈もありませんでした。
しかし、この日のオグリキャップは、いつものオグリキャップではなかった。

抜け出したヤエノムテキはバテず、早仕掛けしたバンブーメモリーを交わし、メジロアルダンがヤエノムテキに迫りましたが、頭差及ばず。
オグリキャップを負かし、ヤエノムテキがコースレコード、1.58.2で優勝しました。
2着のメジロアルダンは、前が塞がる不利もありましたが、脚色が良かっただけに、もっと早く仕掛けていたら、結果はどうだったでしょうね?
鞍上の横山典弘の騎乗ミスと言ったら、可哀相でしょうか?
逆に1 1/4馬身差、3着の武豊バンブーメモリーは、もし完調状態のオグリキャップに勝とうと思ったなら、あのくらいのタイミングで追い出さなければ、勝負にならなかったでしょう。
しかし実際は、戦う相手は、オグリキャップではなかった。

ヤエノムテキは、皐月賞を勝っているように、中距離に適正があった馬でした。
しかし絶対的スピードがある訳なく、後ろから鋭い切れ脚があるでなく、追ってバテないのが取り得と言う馬で、馬の気性も悪く、乗り方の難しい注文の付く馬でした。
彼にとって不幸だったのは、平成三強と走った時代が一緒だった事。
1989年天皇賞秋スーパークリーク、オグリキャップ、メジロアルダンの次の4着、1990年 安田記念オグリキャップの2着。
しかも芝2000m以上になると、適性がなく、1990年 宝塚記念以外は着外ばかり。
陣営は、生まれた時代の不幸を呪った事でしょう。

ヤエノムテキが勝った皐月賞は、同じようにインコースから先頭に出て、直線バテずに粘り切ると言う競馬で、今回の天皇賞秋と、判で押したように同じ乗り方でした。
皐月賞の時のジョッキーは、西浦勝一でしたが、今回のジョッキーは岡部幸雄。
岡部は、1990年 安田記念からヤエノムテキの主戦ジョッキーとなりました。
当時の不動の関東リーディング、トップジョッキー岡部を迎えると言うのは、ヤエノムテキ陣営が、どれだけこの馬に期待していたか、分かろうと言うものです。
恐らく研究熱心な岡部の事、皐月賞に勝った時の騎乗も、参考にしたに違いありません。
それにしても、鮮やかに乗りました。

ヤエノムテキの厩務員だった、荻野功は、アメリカ研修の際、岡部とアメリカで出会い、その時からいつか良い馬を育て、岡部に乗ってもらう事が目標だったそうです。
それはヤエノムテキによって実現し、さらに岡部からは、天皇賞秋GⅠ制覇となって返って来ました。

自分にとって、勝ったヤエノムテキを祝福するより、オグリキャップの無残な敗戦にショックでした。
参考までに、この日のレコード1.58.2は、前年2着した1989年 ジャパンカップの2000mの通過タイムより、0.2秒遅いです。
天皇賞の前に、ひと叩きすれば良かったのでしょうが、それでもぶっつけで、安田記念を勝っている訳だし・・・

オグリキャップ終始道中5番手。かかり気味と言う話もありますが、YouTubeの粗い映像では分かりません。
当時、自分は東京競馬場で直接見ていましたが、口を割ったり(ジョッキーが手綱を抑えているが馬が行きたがり口が開いてしまう)していなかったように思います。
やや早目の位置取りですが、増沢は、自信を持って先行しているように思いました。

特に敗因は分からず、もしかして、故障していなければ良いが・・・とも思いました。
しかし特に故障の発表はなく、このままオグリキャップは、ジャパンカップの出走に向かいます。

1着 ヤエノムテキ 1.58.2 レコード
2着 メジロアルダン アタマ
3着 バンブーメモリー 1 1/4

後に、このレースの前にテレビ局が、オグリキャップの人気に当て込み、24時間体制で、オグリキャップの様子を、カメラで撮っていたと言う事が分かりました。
これは神経質な馬にとって、かなり悪い事です。
またファンが大挙して、馬房を訪れ、勝手に餌を与えていた事も、分かりました。
しかしこれだけが敗因とは、今考えても、とても思えません。

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2011年12月17日 (土)

平成三強物語 - 1990年 宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の三強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成三強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

天皇賞春(京都GⅠ芝3200m)に勝利したスーパークリーク、惜しくも惜敗したイナリワン、そして安田記念(東京GⅠ芝1600m)を快勝したオグリキャップは、再び宝塚記念(阪神GⅠ芝2200m)で、対決するはずでした。
安田記念で、オグリキャップへの見事な騎乗振りを見せた武豊は、ここではスーパークリークに騎乗する約束でした。
本来であれば、昨年までのジョッキー、南井克己が乗るはずですが、理由は不明ながら、海外に行ってしまいました。
これほどのスーパーホースにも関わらず、オグリキャップの鞍上が未決定だったのです。

オグリキャップの最初のジョッキー、河内洋は、大きな騎乗ミスはありませんでしたが、タマモクロスに敵(かな)わなかったため、騎乗振りに積極性がないとの理由で、降ろされました。
今さら、騎乗依頼なんて出来なかったでしょう。
次のジョッキー岡部幸雄は、1回きりと言う条件で騎乗しましたが、この宝塚記念には、ヤエノムテキに乗る予定でした。
そのため、宝塚記念のみのコンビとして、若手有望ジョッキー、岡潤一郎が騎乗する事となりました。

岡が若いが故に、オグリキャップの騎乗の不安について、競馬記者がインタビューした際、「あれだけの凄い馬(オグリキャップの事)だから、またがっているだけで、勝てるんじゃないですか?」と答えました。
岡は、トップジョッキーを期待される、若くして上手なジョッキーだったのですが、1993年1月30日のレースで落馬した際ヘルメットが脱げ、馬に頭を蹴られ、頭部損傷が原因で、才能が花開かないまま、帰らぬ人となりました。

3強が出て来ては、敵(かな)う訳がないと、出走頭数が減りました。
直前にスーパークリークが、筋肉痛で出走を取り消し、残念ながら平成3強揃っての対決は実現しませんでした。
スーパークリークはその後、凱旋門賞出走も予定していましたが、宝塚記念を取り消した事で、プランは白紙に戻りました。
イナリワンは、予定通り出走。それでも10頭と、出走頭数は少なかったのです。

その年、阪神競馬場の芝が傷んで、ボロボロの状態でした。雨が多かったからなのか、記憶は定かじゃありません。
4コーナーから直線ゴールまでにかけては、まるでダートコースに見えるような、あちこち土が剥き出しになり、ところどころ芝が生えているような状態でした。

ゲートが開いて、是が非でも行こうとする馬はなく、逃げ宣言をしたシンウインドがゆるりと先頭に立ちます。
オサイチジョージは直後の2番手、オグリキャップは早目4番手、ヤエノムテキ、バンブーメモリーは中団、イナリワンは最後方から2番目。
スタートからの3F(600m)は35.7と平均ペースくらい・・・いや馬場を考えると、ちょっとハイペース気味。

レースは淡々と流れ、1000m通過が61.1と、馬場を考えると、やや早いくらいのペース。
3コーナーから、オサイチジョージが、逃げるシンウインドに被さって来ます。
オグリキャップは、馬なりで3-4番手を追走。

3-4コーナーで、オサイチジョージは、逃げるシンウインドを捕え、交して行きます。
4コーナー手前で、ここが勝負どころと、オグリキャップが上がって来ます。
同様に、オグリキャップの後ろから、ヤエノムテキ、イナリワンが差を詰めます。

オサイチジョージの丸山ジョッキーは、オグリキャップの末脚を考えると、オグリキャップがスパートする前に、離して置きたかったでしょうね。
4コーナー手前でスパートして、後続を離しにかかります。

4コーナー回って、岡が追い出すと、モタモタする仕草は見せますが、その後の加速は見られません。
脚色は、意外な事にオサイチジョージと変わらず・・・いっこうに差が縮まりません。

オグリキャップの後方から、ヤエノムテキが突っ込んで、オグリキャップとの差を縮めます。
オサイチジョージが、3 1/2馬身差で優勝、GⅠ初制覇。
オグリキャップは、何とか2着を確保、しかも信じられない事に、後ろから来たヤエノムテキに、1/2馬身差まで詰め寄られました。
平成三強のもう1頭、イナリワンは、天皇賞春の激闘が応えたのか、直線伸びず4着。

1着 オサイチジョージ 2.14.0
2着 オグリキャップ 3 1/2
3着 ヤエノムテキ 1/2

レースの上り3Fは、37.3とダート並みのタイム。
馬場が悪かった割に、ペースが速かった事もあるでしょうが、この日の直線の馬場が、どれだけ荒れていたか、分かろうと言うものです。

鞍上が若い岡潤一郎だったせいか、騎乗ミスと言う声が大きかったのも事実です。
岡は、非難には沈黙で応えました。

果たして、岡の騎乗ミスだったでしょうか?自分は違うと思います。
自分に競馬を教えてくれた師匠は、最悪だった荒れ馬場コンディションの適性ではないか?と言っていました。
たしかに荒れ馬場は、スピードを封殺した事は事実です。
しかしオグリキャップはダート競馬中心の公営出身、ダートも走る訳で、釈然としないものがありました。

オグリキャップは、レース直後に両前脚に骨膜炎を発症し、アメリカ遠征も中止となりました。
オグリキャップが、春になかなか調子が上がらなかったのも、脚部が思わしくなかったのでしょうか?
そして少なからず、前走の安田記念の激闘が影響していたようにも、思えてなりません。

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2011年12月15日 (木)

平成三強物語 - 1990年 安田記念(東京GⅠ芝1600m)

競馬には、あいつさえいなければ・・・と言う事は良くありますが、平成の初めに、3頭の偉大なサラブレッドが、しのぎを削って、GⅠレースを取り合った時代がありました。
これは、昭和の三強、トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスになぞらえ、この3頭を平成三強と呼びました。

オグリキャップ・・・1988、1990 有馬記念、1989 マイルCS 1990 安田記念
イナリワン・・・1988 東京大賞典(大井)、1989 天皇賞春 1989 宝塚記念 1989 有馬記念
スーパークリーク・・・1988 菊花賞、1989 天皇賞秋、1990 天皇賞春

マイルチャンピオンシップ、ジャパンカップを連闘して、有馬記念惨敗した後、休養に入ったオグリキャップは、産経大阪杯(GⅡ芝2000m)で復帰予定と言うのと、その後天皇賞春、または安田記念の後、宝塚記念を目標にする、アメリカのアーリントンミリオンに出走予定と、2月に発表がありました。
しかし、その後ずっと音沙汰なしでした。
ウィキペディアには、2月に帰厩後、産経大阪杯を目指して調教していたものの、調子が上がらず、復帰が伸びに伸びて、安田記念ぶっつけになったと書かれています。
自分は当時、スポーツ紙の競馬情報は、目を皿のようにして見ていましたが、そんな情報は全く見かけませんでした。
ネガティブな情報は流さないとか、スポーツ紙にそんな不問律でもあるのでしょうか?

もしも産経大阪杯に出て来たら、再びスーパークリークと一騎打ちになったはずですが、見れなくて残念と言うべきか、見れなくて良かったと言うべきか。

当時、マイル戦(芝1600m)の強豪と言うと、昨秋に武豊の駆け引きで、実力以上にオグリキャップを苦しめた、バンブーメモリーくらいです。
その他、芝2000mより長い距離の成績が振るわない皐月賞(中山GⅠ芝2000m)優勝馬ヤエノムテキ、これまた芝2000mが適距離で、前走産経大阪杯(阪神GⅠ芝2000m)で、スーパークリークの2着だったオサイチジョージが出走して来ました。
オグリキャップの海外遠征の際は、すでにアメリカ遠征の経験のあった、武豊を鞍上にすると、早くから話がありました。

オーナーサイドと、昨年のオグリキャップのジョッキー、南井克己が、どの時点で不仲になったか分かりません。
海外で乗れない事の不満なのか、騎乗の扱いの不満なのか、どうも南井克己は、その後自主的にオグリキャップの騎乗を降りたように思わました。

名目上は、アメリカ遠征のテスト騎乗と言う事で、武豊はオグリキャップの鞍上。
昨年までのオグリキャップの鞍上、南井はシンウインドに騎乗しました。
武豊は図らずも、平成三強の全馬に騎乗した事になります。

ここで、オグリキャップのパドックの様子について、書きたいと思います。
オグリキャップでのパドックでの気合乗りは凄く、2人曳きでしたが、それでも手綱を持つ人がもって行かれるくらいでした。
それでいて、パドックでは落ち着いていましたね。
例えばオグリキャップが出て来ると、心ないにわか競馬ファンが、フラッシュを焚いてオグリキャップの撮影をすると、パドックの他の馬がビックリして、飛び上がって驚きました。
しかしオグリキャップは、我関せずと、悠然とパドックを回っていましたね。
この日、東京競馬場でレースを見ていた自分には、オグリキャップは、いつも通りの気合乗りに見えました。

一昨年の有馬記念で、宿敵タマモクロスを破り、オグリキャップが優勝した時のジョッキー、岡部幸雄は、オグリキャップを「まじめに走り過ぎる馬で、前半どれだけリラックスさせて走らせるかが、ポイント」と見ていました。

全馬揃ったスタートで、スタートの下手なオグリキャップは、スタートの上手な武豊によって、良いスタートを切りました。
大外枠でスタートが良かったピュウターオールが逃げの構えを見せますが、逃げ馬に乗せると、しばしば穴を開ける、柏崎が乗る逃げ馬、ケープポイントが先頭を譲らず、内枠の利を活かして逃げます。

オグリキャップは早くも3番手、シンウインド南井が、オグリキャップをマークするように4番手、その後方に関東の名手岡部幸雄が乗るヤエノムテキ、さらに後方オサイチジョージ、バンブーメモリー。
武豊は、オグリキャップの行く気に任せているようで、気持ち良く走っているように見えます。

ピュウターオールとケープポイントがやり合ったせいか、この当時のマイル戦にしては、かなりのペースの速さで、スタートからの3F(600m)が34.4、1000m通過が57.2ととんでもないハイペースです。
逃げるケープポイントを追走して、ピュウターオール、オグリキャップ、シンウインドが併走、3-4コーナーけやき付近から、勝負どころと見たか、ヤエノムテキが直後に進出します。

4コーナーを周り、ハイペースがたたり、ケープポイントの脚色は一杯。
オグリキャップは追わず、馬なりのまま先頭に出ます。まだ脚は残っているのか?
残り400m、中段にいたオサイチジョージ、後方にいたバンブーメモリーが追い出します。
ここで、南井シンウインドがオグリキャップに並びかけ、負かしに行きます。南井の意地か?

オグリキャップは、武豊が軽く気合をつけると、シンウインドを離して行きます。
軽く気合を入れただけなので、オグリキャップが加速する前に、モタモタするクセも見せません。
それでいて、じわっと加速させたのです。

岡部幸雄は、東京競馬場ではしばしば、坂上までじっと我慢し、脚を溜めて、一気に追い出して差し切る競馬を得意にしていました。
オグリキャップをマークするように乗っていた岡部ヤエノムテキは、これでは間に合わないと、坂下から早目に追い出します。

シンウインドをねじ伏せるように交わして、ヤエノムテキが2番手に出ますが、武豊が目一杯追っていないにも関わらず、差は縮まりません。
オサイチジョージも、後ろから懸命に追いますが、2番手のヤエノムテキに迫るのが精一杯。
ハイペースのため、それ以外の先行勢は総崩れ、馬群は長く千切れ、後方からホクトヘリオスと、バンブーメモリーが上がって来たが、とても間に合いません。
ヤエノムテキとの差を2馬身に保ったまま、楽にゴール。シンウインドを交わして、ヤエノムテキに首まで迫ったオサイチジョージ3着。
勝ちタイムは、当時の東京競馬場レコード、安田記念レコードの破格の1分32秒4。

この日の獲得賞金を加算すると、通算獲得賞金額が当時の日本歴代1位となりました。

1着 オグリキャップ 1.32.4
2着 ヤエノムテキ 2
3着 オサイチジョージ クビ

やはり、武豊は、この安田記念の騎乗を見ても、不世出のスーパージョッキーですね。
恐らく、オグリキャップのビデオを見て、研究したには違いないでしょうが、一昨年の有馬記念の際の岡部幸雄と、とても似た騎乗振りです。
岡部から教わった訳ではないでしょうが、レース前半は、オグリキャップにリラックスして走らせ、直線で加速する際、急には追わず、じわっと加速する事で、モタモタするクセを出させませんでした。

もうひとつ、武豊TVだったと思いますが、そこで一生懸命走る馬に、急に手綱で指示を出しても、馬はすぐに反応出来ない。
舌打ち等して、馬にジョッキーを意識させた後、手綱で指示を出すと、スムーズに反応してくれると言う意味の事を、言っていました。
このレースでも、オグリキャップに、舌打ちしたのでしょうか?

確定後、とんでもないレコードタイムで走ったにも関わらず、オグリキャップは、ウィナーズサークルでの写真撮影の際に、手綱を持つ人を持って行くほどの気合でした。

勝利インタビューで、武豊は、「皆オグリが凄いと言うけれど、今日騎乗して、オグリの凄さが身に染みて分かった」・・・いやいや、去年からオグリの凄さは知ってたはずでしょう(笑)。
競馬記者から、「早仕掛けだったのでは?」と言う質問には、「オグリキャップの後ろから交わせる馬は、いる訳がない」。
後に武豊TVで、思い出のレースベスト5の第4位に、オグリキャップの引退の有馬記念を選出しました。
その時、このレース(安田記念)で初めてオグリキャップに騎乗した時には、「正直言ってあれだけの馬ですから、緊張しました。」と本音を語っています。

このレース、オグリキャップの余裕の勝利に見えたのですが・・・

※ インタビューについては、記憶に基づいて書いておりますので、大意は合っていると思いますが、細部の正確性には欠けます

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