H3601.トウケイニセイ

2012年3月 9日 (金)

トウケイニセイ物語

2012年3月6日トウケイニセイが、死亡したニュースが流れました。
特に、インターネットのニュースに大きく流れた事、公営もJRAも含めた競馬好きが、インターネットの様々なところに書き込みをしていました。
現役時代、他競馬場にめったに遠征せず、ずっと盛岡競馬場、水沢競馬場で走っていたのですが、それでもトウケイニセイが死亡した現在、多くの人に愛されていた事を改めて知りました。

トウケイニセイの父、トウケイフリートは、大井競馬場の東京大賞典(JRAの有馬記念に相当)等、南関東の重賞をいくつか勝ちましたが、負ける時には惨敗も多く、競争成績にムラがある馬でした。
7歳にJRAに移籍しましたが活躍せず、その後岩手競馬に移籍して、7歳、8歳と大きなレースにことごとく勝利し、岩手競馬のトップとなりました。

公営の競走馬は、よほどな事がないと種牡馬にはなれません。
しかし岩手で活躍したトウケイフリートは、種牡馬になれたものの、初年度種付けに集まった牝馬が、たった5頭。
初年度種付け後、急死しました。
トウケイニセイはその内の1頭、エリモグレースに受胎し、1987年5月21日に生まれました。

トウケイニセイの1年先輩には、後に岩手競馬の1つの伝説となる偉大な競走馬、スイフトセイダイとグレートホープがいます。

トウケイニセイのデビューは、2歳時の1989年9月30日で、鞍上菅原勲を迎え、D580mのレースを快勝します。
デビュー戦の貴重な映像がこちらです。

1989年 水沢競馬場 3歳G5 トウケイニセイ

レース後、屈腱炎となり、約1年半休養します。

この屈腱炎のため、条件戦をコツコツと戦う、裏街道路線となりますが、これは足元が弱いトウケイニセイには、むしろ良かったかも知れません。
その後、足元と相談しながらの競馬となります。

4歳と古馬になった1991年4月27日、復帰戦で3馬身差楽勝すると、条件戦をコツコツ勝利し、1992年10月10日まで18連勝の、当時連勝の日本記録を樹立します。
この頃のトウケイニセイは、オープン馬ではありませんでしたが、岩手競馬のトップホースと変わらないくらいの人気がありました。

当時、Nifty Serveと言う、日本最大のパソコン通信サービスで、「エクリプス伝説」と言うHNの岩手在住の方がおりました。
地方競馬板で、熱心に岩手競馬の情報をアップされてました。
「エクリプス伝説」さんと後にメールのやり取りをした時に、トウケイニセイの初の敗北(2着)となった1992年11月22日の19戦目は、明らかな調整不足だったと聞きました。
「エクリプス伝説」さんは、この19戦目のレースの事は、すごく悔しいと書いていました。
もしこのレースで負けなければ、その後11連勝しましたので、現在のドージマファイターの持つ日本記録、29連勝と並んでいたところで、先に達成したトウケイニセイの記録も残っていたはずです。
「エクリプス伝説」さんは現在、岩手競馬情報館で、今でも岩手競馬の情報発信をしておられます。

しかしそこから4連勝し、1993年8月1日、トウケイニセイの初重賞挑戦、岩手の天皇賞と言われる、盛岡競馬場のみちのく大賞典(D2000m)に出走します。

この時の、岩手競馬のオープンの状況は、1992年までは、スイフトセイダイとグレートホープがトップに君臨し、他馬を寄せ付けませんでした。
しかし1992年暮れの桐花賞(岩手競馬の有馬記念)に、グレートホープの2着したモリユウプリンスが翌年台頭し、桂樹杯、赤松杯、シアンモア記念とスイフトセイダイとグレートホープを破り、トップとなっていました。
モリユウプリンス1番人気、重賞初挑戦のトウケイニセイは、何と2番人気に推されます。

第21回 みちのく大賞典◆H05(1993/08/01)

ケイワンハートが逃げますが、そこにグレートホープが絡んで、ペースが速くなります。
3番手スイフトセイダイ、4番手トウケイニセイ、6番手の後方にモリユウプリンス。
4コーナー手前からトウケイニセイが仕掛けて、先頭に並びかけ、モリユウプリンスも後方から差を詰めます。
直線向いて、トウケイニセイとモリユウプリンスが、馬体を併せて追い比べとなりますが、トウケイニセイの脚色が勝り、2馬身1/2差をつけて快勝しました。

1993年9月15日の次走は、トウケイニセイの最初の他競馬場遠征しての重賞、新潟競馬場の東北サラブレッド大賞典(D1800m)に出走します。
東北サラブレッド大賞典は、東北の競馬場持ち回りの重賞競走で、この年は新潟競馬場で開催されました。
トウケイニセイのオーナーは、他競馬場に遠征するのは反対だったそうですが、調教師が説得して出走にこぎつけたと記憶しています。
岩手競馬の強豪ばかりでなく、公営新潟競馬、山形競馬のトップとも対戦します。
今度はトウケイニセイ1番人気、モリユウプリンスが2番人気となりました。

1993年 東北サラブレッド大賞典(新潟) トウケイニセイ

新潟のウイルライドオンが逃げ、トウケイニセイは3番手、モリユウプリンスは中団に付けます。
3-4コーナで各馬が仕掛け、モリユウプリンス外から上がって行きます。
トウケイニセイはワンテンポ遅らせ、直線向いてから追い出しますが、その間にスパートしたモリユウプリンスに引き離されます。
スピードに乗ると、トウケイニセイの脚色は違い、残り1F(200m)でモリユウプリンスを並ぶ間なしに交し、1馬身1/2差をつけて快勝しました。

1993年11月23日の次走は、まだ交流競走以前の水沢競馬場の重賞、北日本マイルチャンピオンシップ南部杯(D1600m)。
トウケイニセイ1番人気、モリユウプリンスが2番人気となりました。

第6回 南部杯◆H05(1993/11/23)

オーディンが逃げ、トウケイニセイは3番手追走、モリユウプリンスは中団。
3-4コーナーでトウケイニセイが上がって行き、沙汰にその後ろにモリユウプリンスがつけます。
逃げたオーディンの脚色鈍らず、トウケイニセイが首差交してゴール。
モリユウプリンスは、オーディンを交せず3着。

1993年12月30日の次走は、岩手競馬の総決算の重賞、水沢競馬場の桐花賞(D2000m)。
トウケイニセイ1番人気、モリユウプリンスが2番人気となりました。

第19回 桐花賞◆H05(1993/12/30)

最初先頭はごちゃごちゃしますが、グレートホープが逃げ、トウケイニセイ3-4番手、モリユウプリンスは後方に付けます。
向こう正面で、後方にいたモリユウプリンスが仕掛け、先団に取り付き、それに伴いトウケイニセイも馬体を併せるように上がって行きます。
4コーナーで先頭に出ますが、モリユウプリンスが外に膨らみ、その間にトウケイニセイは先頭に立ちます。
トウケイニセイとモリユウプリンスの脚色変わらず、後方を引き離して、トウケイニセイが1馬身1/2差をつけて快勝しました。

トウケイニセイは、翌1994年5月8日のオープン戦、水沢競馬場の赤松杯(D1900m)に、モリユウプリンスを1馬身1/2差で退けます。
1994年6月5日の重賞、水沢競馬場のシアンモア記念(D2000m)。
トウケイニセイ1番人気、モリユウプリンスが2番人気となりました。

第20回 シアンモア記念◆H06(1994/06/05)

アサクサハポネスが逃げ、トウケイニセイ3-4番手、モリユウプリンスはマークするように中団に付けます。
3-4コーナーでトウケイニセイが上がって行き、モリユウプリンスも一緒に上がって行きます。
4コーナー手前には、トウケイニセイとモリユウプリンスが、馬体を併せて先頭に立ち、後方を引き離してのマッチレースとなります。
トウケイニセイとモリユウプリンスの脚色変わらず、トウケイニセイが1/2差でモリユウプリンスを退けました。

1994年7月31日の重賞、盛岡競馬場のみちのく大賞典(D2000m)。
トウケイニセイ1番人気、モリユウプリンスが2番人気となりました。

第22回 みちのく大賞典◆H06(1994/07/31)

アフケクショネットが逃げ、トウケイニセイ2番手、モリユウプリンスは5番手と先行。
3コーナー手前にはアフケクショネットが脱落し、押し出されるようにトウケイニセイ先頭、外からモリユウプリンスが並びかけます。
直線内にトウケイニセイ、並走していたトウホクグラス、その外にモリユウプリンスが追走します。
トウケイニセイは、トウホクグラスを交させませんが、外のモリユウプリンスの脚色良く、およそ2馬身差突き抜けて優勝しました。
モリユウプリンスは、初めてトウケイニセイを破りました。
レース後、トウケイニセイは、モリユウプリンスと馬体を併せたら、モリユウプリンスを抜かさせなかったんじゃないか?と言う話も出ました

1994年8月28日の重賞、水沢競馬場の東北サラブレッド大賞典(D2000m)に出走し、キクノホープに5馬身差をつけ優勝します。
これで東北サラブレッド大賞典2連覇。
モリユウプリンスは、このレースには出走しませんでした。

1994年9月25日の重賞、水沢競馬場の北日本マイルチャンピオンシップ南部杯(D1600m)。
モリユウプリンスはこのレースにも出走しませんでした。
トウケイニセイが1番人気。

第7回 南部杯◆H06(1994/09/25)

昨年同様、オーディンが逃げ、トウケイニセイは5-6番手。
3コーナー手前でトウケイニセイが上がって行き、4コーナー手前には先頭に立ちます。
直線はトウケイニセイの独走で、2着サクラグットオーに5馬身差優勝。
トウケイニセイは、これで南部杯連覇。

1994年11月6日の重賞、盛岡競馬場の重賞、北上川大賞典(D2500m)。
トウケイニセイ1番人気、休み明けのモリユウプリンスが4番人気となりました。

第17回 北上川大賞典◆H06(1994/11/06)

グレートホープが逃げ、トウケイニセイは外を回り3番手、モリユウプリンスは馬群の後、後方から2番手。
向こう正面で、グレートホープを交しトップクライマーが先頭、3コーナーから各馬仕掛け、トウケイニセイも上がって行きます。
4コーナーの団子状態から抜け出したのは、トウケイニセイ。
インコースからユウユウサンボーイも抜けて追走し、その後方からモリユウプリンスが追い込んで来ます。
トウケイニセイの脚色良く、ユウユウサンボーイを2馬身突き放して優勝。
モリユウプリンスは、ユウユウサンボーイを交せず、3着。

ちなみにユウユウサンボーイは、2歳時に川崎の全日本3歳優駿(当時の馬齢表記)で、公営2歳の頂点に立ちました。
その後、JRAに移籍しますが重賞を勝てず、岩手競馬に移籍し、オープン特別は勝つものの、重賞は勝てませんでした。
しかし9歳になった1997年11月24日の北上川大賞典で、生涯2度目の重賞を勝ちました。
これは現在も、最長間隔重賞勝利2522日と言う、日本記録となっています。

1994年12月5日の重賞、水沢競馬場のフレンドリーカップ(D2000m)。
重賞とは言え、岩手競馬の重賞の賞金で、記憶に間違えなければ優勝賞金1千万前後。
JRAも出走する事が出来、実際JRAから遠征して来ましたが、当時の条件クラス、900万下クラスの馬でした。
この賞金では、公営で最もレベルが高い、南関東公営からの出走もありませんでした。

1994,95年フレンドリーカップ・95年南部杯

00:00からが、1994年のフレンドリーカップ映像です。
JRAのラガーチャンスが逃げ、並走するようにネイビースター、スローペースで馬群は団子状となります。
向こう正面でユウユウサンボーイが先頭に立ち、3-4コーナーでトウケイニセイが上がって行き、同時にその後方からモリユウプリンスも上がって行きます。
直線向いてトウケイニセイが先頭に立ち、馬体を併せてモリユウプリンスが追走し、後方は千切れてマッチレース。
トウケイニセイはモリユウプリンスに1/2馬身差粘って優勝しました。

さすがに岩手競馬のオープンクラス相手では、JRAの900万下は通用しませんでした。
しかしこのレース、岩手競馬側の企画に問題があり、せめて優勝賞金に3千万以上出さなければ、JRAや南関東公営から良い馬は集まりません。

1994年12月30日の岩手競馬の総決算、水沢競馬場の桐花賞(D2000m)。
トウケイニセイ1番人気、モリユウプリンスは、このレースには出走しませんでした。

第20回 桐花賞◆H06(1994/12/30)

トップクライマーが押して先頭に立ち、トウケイニセイは中団。
向こう正面からグレートホープやミヤシロテュードオが仕掛け、それとともにトウケイニセイが上がって行きます。
3コーナーには逃げていた馬は脱落し、グレートホープ先頭、ミヤシロテュードオ2番手、すぐ後にトウケイニセイ3番手。
4コーナーで先頭を捉えると、楽々3馬身差をつけて優勝。
これで桐花賞連覇。
2着ミヤシロテュードオ、3着には8歳の古老、グレートホープ。

トウケイニセイは、翌1995年4月23日のオープン戦、水沢競馬場の赤松杯(D1800m)に出走し、ミヤシロテュードオを1馬身1/2差で退けます。

1994年5月21日の、水沢競馬場のシアンモア記念(D2000m)。
トウケイニセイ1番人気、休み明けのモリユウプリンスが2番人気となりました。

第21回 シアンモア記念◆H07(1995/05/21)

ミヤシロテュードオが逃げ、トウケイニセイ2番手、モリユウプリンスは3-4番手と先団に付けます。
ミヤシロテュードオは道中スローに落としますが、向こう正面からペースアップします。
3コーナー過ぎにトウケイニセイがミヤシロテュードオに並びかけ、モリユウプリンスが上がって行きます。
直線向いてトウケイニセイが先頭に立ち、モリユウプリンスが追いかけますが、1/2馬身差まで迫ったところがゴール。
トウケイニセイは、これでシアンモア記念連覇。

1994年6月25日の、上山競馬場の東北サラブレッド大賞典(D1800m)。
上山競馬場はかつて山形県上山市にあった競馬場で、山地にある競馬場自体が傾斜している、特殊なトラックでした。
競馬の累積赤字により、惜しくも2003年に競馬廃止します。
トウケイニセイ1番人気、理由は良く分かりませんが、デビュー以来ずっと手綱を取っていた菅原勲が、このレースだけ千田知幸に代わりました。
宿命のライバル、モリユウプリンスはJRAのレースに出走するため、このレースには出走しませんでした。

1995年 東北サラブレッド大賞典(上山) トウケイニセイ

スーパーポップスが先頭、トウケイニセイは3番手につけます。
向こう正面でトウケイニセイは2番手に進出、上山競馬でトップを張っていたタケデンマンゲツが、3コーナー手前で上がって行きます。
3コーナーでトウケイニセイが先頭に立ち、最初タケデンマンゲツは、馬体を併せますが、4コーナーまでには付いて行けなくなります。
直線はトウケイニセイの独走で、あまり追わず3馬身差で優勝します。
これで東北サラブレッド大賞典3連覇。
2着はJRAから上山に移籍した、パッシングルート。

1994年7月30日の、盛岡競馬場のみちのく大賞典(D2000m)。
トウケイニセイ1番人気、JRAの芝のレース、吾妻小富士オープンに惨敗したモリユウプリンスが2番人気となりました。

第23回 みちのく大賞典◆H07(1995/07/30)

逃げたのは、JRAから移籍したヘイセイシルバー、トウケイニセイ3番手、先団の後ろにモリユウプリンス。
向こう正面から、モリユウプリンスが上がって行き、3コーナーにはトウケイニセイに馬体を併せます。
3-4コーナーには馬体を併せたまま、トウケイニセイとモリユウプリンスが、ヘイセイシルバーを交して、先頭に立ちます。
トウケイニセイとモリユウプリンスが叩き合いをしますが、モリユウプリンスの方が脚色優勢で、ゴール前には3/4馬身差をつけて、モリユウプリンスが優勝しました。
モリユウプリンスは、みちのく大賞典連覇。
そしてトウケイニセイを生涯2度破った、唯一の馬となりました。

1994年9月11日の、水沢競馬場のフレンドリーカップ(D2000m)。
トウケイニセイ1番人気、モリユウプリンスが2番人気となりました。
JRAからも出走して来ましたが、昨年同様条件クラス、900万下クラスの馬。

1994,95年フレンドリーカップ・95年南部杯

02:30からが、1995年のフレンドリーカップ映像です。
最初珍しく、トウケイニセイが先頭に立ちますが、正面スタンド前ではリュコトブキが交して逃げます。
モリユウプリンスは最初後方に付けましたが、正面スタンド前で上がって行き、2コーナーでは4番手に付けます。
向こう上面で、モリユウプリンスを交して、内からヘイセイシルバー4番手。
3コーナーには早くもトウケイニセイが先頭、モリユウプリンスは追走して馬体を併せようとします。
直線向いて、トウケイニセイが独走します。
2番手は、モリユウプリンスよりヘイセイシルバーが脚色良く、並ぶ間なしに交して行きました。
トウケイニセイは5馬身差圧勝、2着にヘイセイシルバー、3着にモリユウプリンス。
トウケイニセイはフレンドリーカップ連覇。

1995年10月10日の、水沢競馬場のマイルチャンピオンシップ南部杯(D1600m)。
1995年は、交流元年とも言う年でした。
中央競馬と、公営競馬側で話し合い、地方全国指定交流競走となりました。
これは、中央競馬と、公営競馬で、統一グレード制を敷く、前段階だったのです。
これに伴い、南部杯の優勝賞金は、岩手競馬として破格の5千万円となりました。
この賞金だと、JRAを始め、公営競馬各地から、強豪が集まりました。

JRAから重賞5連勝中のライブリマウント、他トーヨーリファール、キョウエイボナンザ。
宇都宮競馬からイチノキング、笠松競馬からアメージングレイス、南関東公営からヨシノキング。
迎え撃つ地元勢は、総大将のトウケイニセイを始めとして、モリユウプリンス、ヘイセイシルバー、ユウユウサンボーイ。
さすがにここでは、ライブリマウント1番人気、トウケイニセイ2番人気、トーヨーリファール3番人気、ヨシノキング4番人気、モリユウプリンス5番人気。

第8回 南部杯◆H07(1995/10/10)

ヨシノキングが外から先頭に立ち、ライブリマウント2番手、トウケイニセイ3番手、モリユウプリンスは先団後方。
3コーナーからペースが上がり、ライブリマウントが仕掛け、遅れじとトウケイニセイも上がって行きますが、ライブリマウントについて行けません。
直線向いて、ヨシノキングが粘りますが、馬体を併せライブリマウントがねじ伏せに行きます。
ライブリマウントが1/2馬身出たところがゴール、2着ヨシノキング、その約2馬身1/2後方に、3着トウケイニセイ。

前述の「エクリプス伝説」さんは、優勝したライブリマウントに対し、トウケイニセイは8歳と高齢だが、これが全盛時でも勝てたかどうか・・・と賛辞を送りました。
この時のライブリマウントは当時、ダート日本最強だったでしょうね。

1995年12月31日の、岩手競馬の総決算、水沢競馬場の桐花賞(D2000m)。
このレースが、トウケイニセイの引退レースとなる事が、発表されていました。
記憶に間違えなければ、トウケイニセイはここまで、脚部不安か何かで、休んでいたはずです。
例によってトウケイニセイ1番人気、モリユウプリンスが2番人気となりました。
しかし、トウケイニセイの体調には、不安もささやかれていました。

第21回 桐花賞◆H07(1995/12/31)

デタントが逃げ、トウケイニセイは2-3番手、モリユウプリンスは最初後方でしたが、正面スタンド前にはトウケイニセイのすぐ後ろに付けます。
デタントは最初スローに落としますが、向こう正面からペースを上げ、後方に約5馬身差の大逃げとなります。
3コーナーから、ミヤシロテュードオとトウケイニセイが上がって行き、4コーナー手前には、トウケイニセイが先頭に立ちます。
後はトウケイニセイの独走でゴール。
2着に中団から差して来た、ヘイセイシルバー。
モリユウプリンスは、勝負所で置いて行かれ、7着の大敗。
トウケイニセイは、体調万全ではなかったそうですが、それをものともせず、桐花賞3連覇。

競争成績は、43戦39勝2着3回3着1回。
41戦連続連対は、未だに破られていない、日本記録です。

この馬を、岩手競馬史上最強馬と言う人は多いです。
8歳に、ライブリマウント、ヨシノキングに先着を許しましたが、1993年から1995年当時、日本有数のダートの強豪だったでしょう。
主戦ジョッキーの菅原勲は、1999年JRAのダートGⅠ、フェブラリーSに、岩手のメイセイオペラで優勝しました。
後に、トウケイニセイとメイセイオペラ、どちらが強かったか尋ねられたところ、トウケイニセイと答えています。

1995年の競争成績に対し、地方競馬の特別表彰馬となりました。
2000年からは、水沢競馬場で、D1600mの重賞競走、トウケイニセイ記念が、年初に開催されています。

競争成績が優秀でしたので、種牡馬にはなれましたが種付けの人気はなく、また少ない産駒もあまり活躍せず、2004年に種牡馬引退。
他馬なら屠殺される可能性もあったところですが、JRAのエリモの冠名で有名な、北海道えりも町のエクセルマネジメントに引き取られ、余生を送っていました。
2009年には、岩手県滝沢村の「馬っこパーク・いわて」に繋養され、東日本大震災後は、終生飼育を目的とした「トウケイニセイ基金」が有志によって立ち上げられたほどです。
死亡時25歳、人間なら約100歳というところでしょうか?

公営競走馬ながら、卓越した競争成績と人気、そして天寿を全うした生涯でした。

トウケイニセイ◆水沢競馬場に凱旋 (2009/01/12)

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